良いチーム

昨年プロツアーで年間総合優勝した、宇都宮ブリッツェンの栗村修監督が考える「良いチーム」とは。監督とはどのような事に重きを置いてチーム運営をしているのか。
http://blog.osamukurimura.jp/blog/2012/11/post-2.html

次のページからは私自身が落とし込んだ考えなので、特に読まなくてもいい。相当長いし。

栗村修監督が考える「良いチーム」とは、「選手たち自身が進化のプロセスを創りだせるチーム」と定義している。
では「監督」の仕事と役割は何かというと、以下の4つを上げている。

1. 進化できる可能性の高い人材の組み合わせの構築
2. 理念や具体的な目標の設定
3. 活動するための明確な価値観の提供
4. 問題が起きた時の修正能力

私が思うに、今まで色々な選手や、チームを組織し運営されてきた名将であるから、的確に、コンパクトに、要点をまとめた4つの役割だとおもう。

「1」は人材について触れている。
人と人との組み合わせの話で、ある人とは相乗効果が生まれるが、ある人とは、単にストレスの元凶にしかならなかったり、といった具合だ。そこで金太郎飴みたいな右習えという、メンバーで構成されることが求められているのではなく、ネガティブな思考ではない、多方面にポジティブな思考を持つ人材が必要であると読み取れる。ネガティブな要素を持つ人材は、組織にとっても悪影響だし、チームメンバーにとっても悪影響を及ぼす。

「2」理念や具体的な目標の設定
ここでは、良いチームの条件を次のような表現で示している。
「これなしに良いチームを創る方法があれば逆に教えて欲しいものです」
要するに、チームとして走る上で、少しこの意味を逆手に取ってみて、チームを崩壊させるならば、みんなが納得出来ない、「理念がなく」「抽象的な目標」を設定すればチームは機能しなくなる。

案外崩壊させる方法は単純だったりする。そのチームで走るためのモチベーションとしての、目標設定なのだから、モチベーションがなくなれば、別の自身が目指すものと最も近い、モチベーションを探し求め、別チームや、別競技、引退へ進むだけだ。

だから、栗村監督は、具体的な目標を掲げる必要があると説いているのだと思う。例えば、自身のチームに落としこむと、エリートツアー3連覇総合優勝でもいいし、所長に続くJPTで走れる選手の創出、各カテゴリで1勝ということでもいい。

モチベーションの維持という意味では、企業方針のように具体的な数値と、何時までにどのような状態であるのか、明確にしなければならないが、それは現状から、達成し得ない目標でも構わないと私は思っている。

そもそも安易に達成できると思っている事自体が浅はかで、手の届くか届かないかの目標を掲げることが、モチベーションの維持につながるのだろう。簡単に成し遂げられると思ったときに成長する速度が遅くなる。

「3」活動するための明確な価値観の提供
価値観の提供については、「2」 が行動するための「動機作り」(このチームで走ろう、戦おう)なのに対して、『3』 は行動のあとに生まれる感情のケアになる、とある。

こんな一文が書かれている。
「目標を達成するために努力を続けてある程度の結果は残したけど…」

「・・・」の部分にそれぞれの価値観を見いだせない不満や、納得行かない感情が含まれていると読める。具体的に自身のチームに置き換えて考えてみると、

「実業団2年連続総合優勝を達成するために、辛い練習と日々の努力を続けて、表彰台などにも上がり、ポイントも取り、ある程度の結果は残したけど…」

ここでは、
「結果を残したから見返りをください」
「結果を残したからお金下さい」
という話ではない。そのような人はチームにとって不要である。もしこういう事を言い出す、不満ばかり言う選手が出てきた際には、1で必要とされる、ポジティブな思考を持つ人材ではなく、不利益な効果を生む人材に該当するので、容赦なく排除すれば良い。

感情のケアと表現されているが、プロチームじゃない実業団のようなクラブチームの場合は趣味なのだから、応援や、現地までの車の工面、宿の手配、先輩からの早くなるための教え等、それだけで十分だと思う。

それ以上の報いを得たいと思うならば、プロチームにいけばいいが、皆が勝利のために努力してきた事をないがしろにすることも、組織としてやってはいけない。何かしらの評価や、よくやったと、少しの労いの言葉と、来年も頂点目指して頑張ろう、それだけでいい。

あとは各個人や、強くなりたいという選手が集まり能動的に練習していく。このときに、おそらくエリートツアー優勝の為に、と考えているより、自身が強くなりたいという、意識の方が強い。
結果、優勝という道筋かある。
その際、強い集団で固執するのではなく、チームとして進化するなら広くその練習の門の場を広げていく必要がある。誰しもが通る道だが、やってる練習は辛いし、強度も高いし、置いていかれるしで、初めは辛いが、自分の場合はいまでこそ、今のメンバーと走っているが、走れるようになって、顔を覚えてもらえるまで、実業団のメンバーとは怖くて話したこともなかった。自分もそんなときがあったのでここに明確に書いておく。
自分から主体的に動くとなにか変化が起こる。

個人の話になってしまったので話を戻すと、ほどよい距離感を保つならは、求めすぎない、期待しすぎない、といった程よい関係が望ましい。なにかの期待や重圧を抱えて走るのは、お互いに辛い。

思うのは、自分に受けた恩をないがしろにすることも避けるべきで、与えてもらったものに対して、結果で恩返しすれば良い。頑張ったので、僕は早かったので、なにか見返りをくださいと思うようでは、人間的な器が小さく、それまで受けた恩自体を忘れているのではないだろうか。

結局、win-winの関係が望ましい。

「4」問題が起きた時の修正能力
こんな一文が書かれている。

「人が集まれば必ず問題が生まれます。」

確実に起こることで、ここで重要なのは早期の介入。事態が後ろへ、後ろへ行けば行くほど犠牲が大きく、問題も大きくなってくるという事が、実際にあると考えられる。私が思うのは、プロチームなら、監督、選手共に給料が出ているのである程度役割や、責任分界点が明確だが、我々のような片手間の、お小遣いの範囲の趣味でやっているクラブチームの場合はどうかというと、すべてが当てはまるわけではない。

例えば、監督に頼りっきりだったり、昔から支えてきている影響力の有る選手だったり、または強い選手だったりに、選手が頼りっきりになる状況が往々にしてある。それはチームの新陳代謝がうまくいっていない状態であり、良くないチームであると考えてる。

「あなた達が決めるならそれでいいです、でも口だけは出します」だとチームとしてはうまく回らない。それは先に述べた弁証法ではないが、監督→選手、選手→監督と互いに言えることだ。

ここではじめの話に戻り、「選手たち自身が進化のプロセスを創りだせるチーム」という事を思い出してみると、監督は先程の4つの重要なポイントを抑え、そして、すべての選手、一人一人自身が進化のプロセスを創りだせるチームを目指すこと。と、言うのはたやすいが、当然承知の上で書いている。

そこから相乗効果が生まれるなら、チームとして最高の状態にあると言える。誰かに判断を委ねず、周りに流されず、主体的に選手個人が、自分自身が動く。

ということが何よりも重要であって、その際、ネガティブな思考や、誰かを貶める愚かな行為を持つ考えは正し、

明確な目標を掲げ

建設的な意見の元で監督と、選手一人一人がチームを進化させる過程を作っていけるのが、良いチームの条件ではないか。

今自分が置かれている状況において、
栗村監督の文章を読むと、今一度考えさせられるのだ。