為末氏の著書 「諦める力」で「続ける」という意味をしる -2章目-

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なぜ、続けるのか

「続ける」という言葉は「諦める」という言葉の反対側に存在するものではない。なぜ、私は自転車競技を続けるのか。単純に好きで楽しいから、そこにつきる。なぜ、3歳から27年間滑り続けたスキー(競技も含め)をぱたりと辞めたのか。振り返ってみると、『他に楽しいことを見つけたから』そこに収束するだけだ。

“好き”という目的地が変われば大きく舵を切り、自転車競技に向いたにすぎない。私は一つのことに没頭する、というと自分の視野を狭めているようでよろしくない表現だが、『好きだからやる』というと真理は単純である。

27年もやると、生きてきた人生の87%において続けてきたことになる。続けることの大切さは重要だが、今はやめてよかったと整理している。スポーツは若い時にきちんとした組織の元で続けていればある程度のところまでいける。

こんな私が別の競技で過去に全日本に参戦してたり、対価としてお金をいただいて指導者をしていたというと、皆信じない。ただ27年続けてきた事を”諦めた”からこそ、今の自転車競技があり仲間の出会いがあると思うと感慨深い。そしてこのブログもしかりだ。

気がすんだ

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photo credit: Pavel P. via photopin cc

またもや、本書内で自身に重ね合わせ感嘆してしまう。『気がすんだ』からやめた、という表現について。私が取り組んでいた競技もやり”尽くした”と自身で整理した。二十代のうちに親より年上の方や、ジュニアの保護者の方から『先生』と呼ばれ、対価としてお金を頂く。この先こんな経験はもうないだろう。

これらをしがらみと思わずに自身も「気が済んだ」から競技から離れた。だから腑に落ちた。

話はそれるが、スポーツが上達すること、うまくなること、というプロセスは年齢や考え方で違ってくると実践の中で学んだ。振り返ると、大人に教えるのは苦手、または苦痛という表現が正しい。理屈で言わないと理解できないし、理屈を知りたがる。そう、まさに”今の自分自身”のように。

小さい時からその競技をやっていない人には、それら(理屈)の傾向があるのではないかと考えている。自分自身の中で「感覚のスポーツ」と「論理のスポーツ」の二面性を面白く感じている。だからといって自転車は小さい時からやっていたらよかったなとは少しも思わない。

それぞれの時間が有ったからこそ、こうして物事を相対的に見られているからだ。

諦めるは都合の良い言葉なのか

本書の話に戻ろう。本書はスポーツの話が主だが、ビジネス面特に転職などにも役立つ内容で構成されている。間違ってはならないのは、『諦める』という意味を都合のいい言葉に解釈してはならないことだ。たとえば仕事を辞める(諦める)決断をしたとする。

この際に「MBAを取るために留学する」という理由ならわかる。しかし、「上司に怒られたので」この仕事を辞める(諦める)という理由は都合のいい意味に倒れる。しかし本書は前者、後者にも勧められる『諦める力』だ。

外から箱を見る

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photo credit: aguscr via photopin cc

「一度離れてみるといい」と、本書内に有る言葉にまさにそのとおりだと感じる。あまり共感してばかりいると、頭のよろしくない、主体性がない人間に思われてしまうが86ページにまたもや共感した。

『置かれた環境にあまりにも順応してしまうと ー』

この際及ぼされることは、自身の価値観が凝り固まってしまうことだ。チームという組織は自身に良い影響も、そして悪い影響も与える。そこで起こりうる問題は”深く入り込んで”しまい物事を偏向して見てしまうことが問題だ。

本来気にしなくても良い事を何らかの使命感や、人のしがらみで”深く入り込んで”しまうと何が起きるか。ものの見方が徐々にひずんでしまう。自身もそうであることは否定しない。運良く私の場合は会社に”無理やり”環境を変えられた。

そして外からチームを見る機会が増えた。そうすると、なんでそんなことしてるんだろうだとか、それは考えなくても本人たちがどうにかする、といった見方ができるようになる。以前、「箱を意識する」というタイトルで記載した内容と近い。

ここまでで2章を読み終わった。章毎に自身の経験に照らし合わせ、ブログを書くことも非常に面白い。明日は3章を電車で読もうか。

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