脚で会話しながら登る時、何を考えるか

medium_7627558002(1)

スポンサーリンク

走る哲学

裏高山に上っていくと最終局面で最後のピークがある。ゴールでいつも監督はピークを取りにいくが、なぜかこの時は「監督は行かない」とわかった。「7分30秒」とだけ監督が言う。息も切らさずに。

後ろに付かれている緊迫感

強烈な周回練の後、もう残っていない足で〆の数キロの登ることにした。その5倍縛りの最中なぜか考え事をしていた。休憩中受けた言葉が頭のなかに残る。ある言葉はそれぞれ独立し、構成される文字が違う。しかし、意味することは近からず遠からず、そして共通点が多い。大阪に戻り2回目の日曜日のことだ。

チーム練習がすべて終わった後のコンビニで休憩していた時、ある2人のチームの先輩から言われた言葉の意味について考えていた。ご両人ともに賢人といえる方である。その言葉とは「沈黙は金、雄弁は銀」と「スルー力(りょく)」という言葉だ。なぜこの二つのキーワードが頭から離れなかったのか。

年末にいつものようにつらつらと考えていることを書いて、BLOGの〆の言葉として書いたことが上の2つのキーワードである。そのときのブログはこちら。その言葉の意味を考えると非常に興味深い

もともと「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉は、日本のことわざではない。トーマス・カーライルの「衣装哲学」が初出である。この意味についてはいろいろと調べて内容を把握したので、詳細な意味の説明はここでは言及しない。沈黙がなぜ必要なのか考えてみる。

誤解してはいけないのは、「沈黙」とはただ漫然と黙っていればいい、というわけではない。沈黙をしている人間がやらなくてはならない思考がある。

沈黙している時何をすべきか

medium_2648507349

沈黙をしているときに必要なことは「人の話を聞く」ことだ。沈黙とは「決して心を閉ざす」ことや「無視する」または「口を利かない」といった後ろ向きな思考ではない。沈黙している時にこそ「相手の話を聞く」という姿勢を崩してはならない。そして、「相手の話を理解する」ということもだ。

それは話し合っている最中も、離し終わった後にも言える。さらに一歩踏み込むなら「相手の置かれている背景を理解する」というところまで沈黙の最中にできたなら「沈黙は金」といえる。

「沈黙は金」という言葉に沿うなら、沈黙を受けている相手の事も考えねばなるまい。沈黙を受けている相手にも配慮が必要である。誰しもが何か投げかけたとき、反応を期待する。「これだけ練習しました→すごいね!」と。沈黙は先ほども申し上げたとおり「無視」ではない。

沈黙の対義語は何か

medium_9230218317

ご存知のとおり沈黙の対義語は「発言」である。人はいろいろと思うように物事を運びたいし、自分の意見を聞いてほしいがために発言をする。「黙っていては何もわからない」のように発言することも一つの重要なことだ。対義語だから「沈黙は金」という言葉の対岸にある。

注意したいのは発言が受け入れられる、本人に心底伝わっているのかは別の話だ。むしろ「腑に落ちた」という状態は1割もない。どちらかというと受けた発言を受け止めているだけであり、内容そのもの事態を賛同されていない場合も多い。

言葉とは気軽に発せられるこそ注意したいのは伝わっているか、ということである。そして言葉が機能しているかということだ。壁に向かって話しているわけではない。発言は受け取る人がいて初めて意味を成す。

伝えたことが受け入れられ、自分の意図するように飲み込んでもらえなければ、壁に向かって話し続けているのと同じだ。よく話し語ることのように雄弁も時として大切である。しかし、雄弁に語るときと沈黙すべき時、それぞれの使い分けを心得ている事もさらに大切である。

沈黙とスルーの仕組み

沈黙を深堀したところで、スルーについて考える。「スルー」は一番身につけたい力だ。華麗でなくてはならない。なにごとにも目くじらを立てて反応する、あれはいけない、これはいけないといった具合に。すべてスルーしろ、と言っているわけではない。沈黙と同じくどう沈黙するかである。

だから、スルーにも「相手の話を聞いた」上で、「相手の話を理解した」上で、「相手の置かれている背景を理解した」上でスルーする事が望ましい。ただ漫然と「沈黙」したり「スルー」するだけではなくどうスルーするのかが問われる。

そう考えると、自分自身はどうだろうか。何も考えず、いやなものだから臭いものには蓋をしてスルーなのか。それとも事態を理解したうえでのスルーなのか。

沈黙は多岐にわたる

「沈黙とスルー」について強烈な周回練の後、スカスカ足で〆の数キロの登り5倍縛りの最中に考えていたことだ。監督が後ろに張り付いている気配もビリビリと感じながら。

冒頭にこんなことを書いた

裏高山に上っていくと最終局面で最後のピークがある。ゴールでいつも監督はピークを取りにいくが、なぜかこの時は「監督は行かない」とわかった。

「7分30秒」

とだけ監督が言う。息も切らさずに。沈黙といえど、走る場合はその様相を変える。「脚で会話する」という事も沈黙の一種だろう。沈黙の最中に忘れてはならない思考は、走るときも同様である。沈黙をしている間に何を感じ、どう対応するのか。

そう考えると「沈黙」という行いをしていい相手というのは限られている。お互いに理解し阿吽の呼吸ではないが、言わずとも知る双方の理解がの上に成り立つのが「沈黙」ではないか。

ただ、自転車の場合は「阿吽の嗚咽」だけでいい。

スルーする技術 (宝島社新書)
トキオ・ナレッジ
宝島社
売り上げランキング: 88,906