忙しさをアピールする為の基準はあるのか

私は今、練習する時間の捻出方法を考えている。時間の捻出が出来ない場合、多くは自分自身のスケジューリングが甘い。私の場合余程の繁忙期で無い限り、練習時間の確保は容易である。というのも、まわりのチーム員の話を聞くと「よくその時間で練習できるな」という方が多い。

サラリーマンにとって毎日朝9:00に仕事が始まり、夜21:00に仕事が終わって家に22:00前に毎日帰ることができるなら、自転車を乗るために「時間がある」と言ってもいい。また金も入ってくる資金が有る良い環境であると言える。

先日、比叡山の帰りある方と帰った。その際に激務の中でも練習をしている話に心を打たれた。しかし、私はその方がそこまで忙しいと今まで気づいていない。本当に忙しい人は他人に対し、「私こんなに働いている!忙しい!」という「忙しさアピール」をしない傾向にある。

ただ滑稽なことにそれらと反対側には「忙しさアピール」を特技とする人もいる。ソーシャルやブログで「わたし寝てません(笑」や「忙しい中練習しました!(笑」や「忙しすぎて何も手に着きませんwww!」と言った具合である。

これらは自己の「忙しさ」の状況をブログに書ける「余裕」のある「忙しさ」に過ぎない。いわば自己基準の忙しさだ。では忙しさとは、どのようにして決定されるのだろうか。

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時間と密度の変動

先ほどの通り、忙しさの基準とは人それぞれある。いわば自己基準である。だとすると忙しさの軸となる基準は何なのだろうか。それは日々繰り返される仕事の中に存在している。日々の単位時間あたりの仕事密度は、おおよそ閾値が有るように見える。

「今日はいつも通りだったな」

と言った具合に「無意識」のうちに決定される。それらは日々の単位時間あたりに処理される仕事量が基準になっている。この「いつも通り」から仕事量がマイナスに振れるか、またはプラスに振れるかで「忙しさ」がそれぞれ決定されている。

とすると、人によって忙しさの基準が異なるのも理解できる。もし「忙しさアピール」で他人と「忙しさ」を比較するならば、普段の業務がどんな内容なのか、また何時に出社し、何時に帰宅し、その間はどれくらいの利益を生んでいるのか、それらを比較すべきだろう。

もしかしたら9:00-25:00がデフォルト業務だとする人からすれば、22:00までに帰宅できる人と比べると「わりと早く帰るんですね」という判断になりえる。とすると様々な自己標準を持っている人達の前で恐ろしくて、恥ずかしくて「忙しい」なんて言えない状況になる。

すわち我々は「私の能力的に忙しい」という自己の世界で生きている。ただ、ここで単位時間あたりで処理できる仕事量は、本人の「性能」に左右されている。同じ仕事をさせても速く処理できる人もいればそうでない人もいる。いわば「デキる社員」「出来ない社員」だ。

明確な人間性能の差が生まれる。

不幸であり幸いな話だが、この単位時間あたりの性能差が忙しさに起因しているようだ。

単位時間あたりの処理能力

最近のスマホはサクサク動く。ただ初期のアンドロイドは使うのにイライラさせられた。何より動作が遅い。なぜ遅いのかというと、単純に「アンドロイドOS」というOSをリアルタイムに動作させる脳みそ(CPU)が追いついていない。

しかし最近のスマホの進化は目覚ましく、ヌルヌルとアンドロイドは動作するのだ。これは単純に単位時間あたりの性能差に他ならない。

このような差が人の中にもあり、優劣を生む。それらが社会で各々の仕事をこなして行く。それらをこなしていくうちに、自身の性能に対し自分自身がどれほど仕事を処理できるのか理解してくる。

この自身の「能力」と時間あたりの仕事「処理」を基準とし、プラスやマイナスのフレから「忙しさ」を勝手に決定している。とすると忙しさとは「自分の能力の無さ」とも言い換えられる。

能力と仕事内容の掛け算

忙しさとは、どのように決定されるのだろうか。それは人と比較して生まれ、決定されるものではない。ある人にしたら、「暇人だな」と思う仕事もある。しかしこの暇人だと見下している人にとっても同様のことが言える。

この見下した人が忙しいと思うことは、あるひとからすると「そんな時間かかってるの?」と思われる事もある。

同じ仕事内容によっても、自己の能力に対して単位時間あたりに捌けるか捌き切れないかで、時間の占有具合が変わってくる。忙しさとは、突き詰めると当の本人の能力差から生まれる。いかに世の中同じ時を生きているといえど、それら能力により差が生まれてくるのも無理はない。

残酷だが人間の頭の良さ、性能差なのだろう。

本当に私は時間が取られ、忙しいのだろうか。その時間が取られている原因は能力から生まれたもので、能力が違う人それぞれが勝手に基準を設けているものではないか。そう考えると「忙しい」とは非常に曖昧であり、当人の能力を示す一つの能力の基準として置き換えられよう。

忙しくいと口にした時、私の「忙しい」とは、自身の能力の低さを表し、露呈している基準となってはいないだろうか。

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