ある限られた一定時間に対して何を考えるのか

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昨日は心機一転練習に向かったが、引き返してきてしまった。幾つか理由があるが少しの気がかりがあるとやる気を削がれてしまう。迷ったり、気が向かなかったら走らない。集中力が欠けて思わぬ怪我をしてしまう場合もある。

何時もの練習の道を通り、峠のふもとまで行って引き返す。一日という時間の間に出来る事は限られている。自転車に何時間も乗ることもできないし、仕事をいつまでもやっていると人生の貴重な時間を使ってしまう。子供の頃もらったお小遣いと同様に24時間という限られた時間を使わなくてはならない。

人と電話するのもそう、ネットを見るのもそう、本を読むのも練習するのもそう。限られた時間を消費しながら生活している。

ここで気づくことがある。「峠まで行ったのに引き返してきた」という事実に対してどう考えるかということだ。一つは、「せっかく走ったのに勿体無い」という考えもあるし、「本来峠を登る時間をべつの事に融通できる」と考える二通りある。

昨日考えていたのは残念ながら(帰宅途中までは)前者であったが帰宅後本を読み、早く寝た。たまにはこういう事も良いなと後者の考えに変わった。

最近自分の中で気づくことがある。環境が変わったからかもしれないが過去のことに固執してしまったりやってしまったことを後悔する時間は無意味なことだと思えてならない。事実として変えられない事に悩み、時間を消費して行くこと程無意味なことはない。

それならば、今できることに目を向ける方がよほど有益だ。ただ、誰も予測できない未来にも不安を抱く必要もない。考えて行けば、自ずとやるべきことが見えてくる。徐々に一日を使う精度を上げ、自身の目指す目標達成の為に進みたい。

一日という日を一区切りにして、その中でできる最大限の事する。身近なことからコツコツと。

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