身体という機材をうまくコントロールするためには

限界に近づいて行くほどに自身のメンタルが自己主張しだしていく。辛さが増すにつれて、メンタルが騒ぎ出す。やれ「つらい」だの「やめたい」だのと練習を阻害する事を思い始める。ただ、面白いことにこれらは考え方次第なのだと最近気づかされる。

考え方はこうだ。

火事場の馬鹿力というものがある。緊急事態に自分でも出せないパワーを出せるアレだ。普段の生活では出せないが、何かしらの条件で脳のリミッターが解除される。ということを考えると、身体のパフォーマンスを限界まで引き出すためには、脳(メンタル)の占める要素が大きい。

身体的な追い込みの閾値の上限は筋肉自体にあるわけではなく、筋肉の収縮のための電気信号の指令を出す脳にある。厳密にはこのように考えられるが、より高い負荷をかけてくると筋肉が悲鳴をあげてくる。すると、本能的に脳は活動をセーブする為に指令を出す。このセーブする閾値が「追い込み」であったり、継続的に繰り返すと「強さ」になる。

従って「追い込んだ」と言える状態は人それぞれ千差万別という事になる。仮に「どれだけ追い込めたか」を数値に出来たとすると、人それぞれ値は大きく異なるだろう。私にとって追い込めたと思う状態は、あなたにとってはまだ我慢できる状態かもしれない。

この決して測ることのできない「見えない差」が元々大きく違わない身体的な要素に差をつけている。

確かに自身の周りを見渡すと、強いとされる人たちのメンタルや思考はまるで鋼のようだ。骨折しても「痛いだけ」とか雨が降っても「濡れるだけ」と常人からすると狂っている。

しかし「常人から」という事が肝で「狂っているとされる当人」は自身がなんら身体的に他人と変わりない「常人」だと考えている場合が多い。それら、大多数の常人よりも少し抜きんでるにはメンタルでの追い込みの「見えない差」が大きく影響してくる。

この見えないメンタルの部分はどんなに技術が進んだとしても、決して測定することはできない。逆に数値化できたとしても、どうやったら数値を上げるために追い込めるかまでは誰も教えてくれない。

そう考えて行くと「影の努力」や「見えないところの努力」と言われるものは人目のつかない所で「コソ練」する事ではなく、常にその人の中に存在しているように思えてならない。

私自身、ブログに「これだけパワー出ました」や「これだけもがきました」と書いているが、これらを客観的に見ると「おれ練習してるよ、頑張ってる、誰かに認めて欲しい」という欲求が見え隠れしてはいまいか。これらは、人間の「認められたい」という本能らしい。

私自身この欲求にも似た本能がもろに出ているようではまだまだ人間として未熟かもしれない。パワーメーターでは決して測れないメンタルをどうやって強化して行くのか、強さを決定する要素の一つではあるものの実態は掴みづらい。ただこの要素の存在に「気づけた」なら、自身の伸び代はいかようにも変えられるのではないだろうか。

脳でうまく身体をコントロールして、どこまで身体的な限界まで迫れるか。それが練習して強くなる事の本質だと考えている。

図解 脳に悪い7つの習慣
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