アマチュアに引退はあるのか

「キングカズの息子が先に選手を引退」という内容の記事を先日目にした。未だ現役サッカー選手の三浦知良選手の息子さんが一足先に選手を引退したそうだ。息子が先に引退という話題性のある内容であるが、そもそもアマチュアで「引退」という言葉はどこかしっくりこない。

「引退」という言葉を辞書でひくと非常によく書いてある。引退(いんたい)とは、スポーツ選手などが選手としての身分を離れたりする事。プロスポーツ選手の他にも、スポーツを行っている学生・生徒らが最終学年となって高校・大学受験・就職活動等で試合出場の機会が無くなり、所属するクラブや部活動から離れる事も引退と呼ばれる。

この場合、キングカズの息子さんは学生だったからクラブ活動から離れる「引退」だったのだろう。ただ、アマチュアに引退という言葉はそもそも適切なのだろうか。

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プロとアマの引退

プロの場合、プロとして活動し何かしらの形でお金をもらう必要がある。ただ、マイナースポーツやプロとして勝てない選手は当然お金を出してくれる人もおらず、アルバイトをしたり、二足の草鞋を履く必要が出てくる。ただ、ここでお金をもらうことが「プロ」なのかという議論はまた別の話なので割愛する。

プロは競技者の本人のレベルが下に行けば行くほど非常に線引きが曖昧になってくる。例えば自転車競技であればシマノレーシングやUKYO、ブリッツェン、アンカー等は誰が見てもプロとして一定の理解がある。ただ、それらの裾野に位置する選手がプロかと言われると非常に判断しづらい。

この場合、組織の大きさや勝利数、チームの歴史など様々な要素が、プロをプロとしたらめている事が理解できる。ここで、トップチームの選手が引退するという言葉を使った時には、もはや選手を辞めて別の道を歩むのだなということが容易に想像できる。ただ、アマチュアを考えてみるとどうも「引退」という言葉がしっくりこない。

サラリーマンやなんでもそうだが、定年することを「引退」という言葉に置き換えて使うことがある。サラリーマンのような仕事を「プロ」と呼ぶ言い方はしないものの(職人の世界では存在しているが)「引退」という言葉を使ったとしても違和感を持ちにくい。

サラリーマンに対して「引退」という言葉を使っても違和感が感じれらないのは、勤続年数や、今までの業績、家族を養ってきたという「経歴」が存在するからではないか。そのように考えると「引退」とは一個人の行ないと、残してきた結果により重み付けがなされる。

いつかは引退をする

引退という言葉は容易に使えるものではない。ただ使ったとしても、その「重み付け」が備わっていなければなおさらだ。今日、初めて試合に出た選手が「本日で引退します」と言ったとしても何も響かない。しかし、数々の成績や貢献の礎の上に「引退」という言葉を使うならば初めて言葉の意味をなしてくる。

そう考えると、プロにもアマにもやはり「引退」という言葉は一定の条件下で存在している。ただ、ここまでは限定的な部分に焦点を当てた場合の話である事を忘れてはならない。アマチュアには引退はないという人ももちろんいるだろうし、生涯現役という「精神的側面」の考え方もあるだろう。

ただ、私は「引退」という言葉を使う際にはそれらを重み付けする何らかの要素があると一個人の考え方として主張したい。それらには戦歴や経歴、行ってきたことで重み付けがなさされる。ここで自分自身に置き換えてみると、このままではいつまで経っても「引退」という言葉を使う適切な時期が来ることはなさそうだ。

「引退」ではなく「辞めた」というくくりになるだろう。

何か目立った成績もなく、経歴もあるわけではない。「引退」という言葉を使うには多くの重み付けと、それら言葉の意味を理解してもらうだけのおこないが必要なのだ。ここで辞めたらただの中途半端な競技人生になる。私が「引退」という言葉を使うに相応しい選手になるには、まだまだ早そうだ。

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