終わり無くして、始まりもない。

「シーズンっちゅうもんはな、あっ中間に終わるもんや。」確か四月頃に監督が言っていたことだ。今この瞬間に私のシーズンが終わったわけだけど、振り返ると本当にその言葉の通りだと思う。流れの中に身を置くととても長く感じるが、いざ振り返り後ろを見れば一瞬の出来事のようにすら思えてくる。

元々何かに特化した強い選手ではないので決定力がない事は自覚していた。シングル一回入った以外は特に目立った成績はない。着には絡めず、ゴールスプリントの決定力も無い中で、組織的に動いていつも練習するメンバーが優勝すればどこか報われたような気がしていた。

おそらく単体でも勝てるメンバーは、チームでなくとも勝てる。私が居ようが居まいが、勝敗を分ける大きな要素になったとは考えにくい。詰まる所自己満足の世界で走っている。ただ、チームとして一丸となって戦った、という事実は一人では得られるものでは決してない。それは揺るがない事実だし、貴重な経験といえる。

同じ志と、辛い朝練を繰り返し手にしたモノは何だったのだろうか。それは仲間と走った達成感以外見当たらない。得られたものは確かにそうだが、では達成感が欲しくて走っていたのだろうか。それもどうやら違う。得ようと思って得たものではなく、途中で自然発生的に沸いてきた感覚だ。

本音を言うと、お金もかかるし、レースでは成績でないし「レースごっこ」は自己満足でしかないと思っていたので、途中中折れしかけてきた。ただ、それでもやめなかったのは尊敬するチームのある選手や、夢中でキツい練習を一緒に繰り返す仲間と一緒に走りたかっただけなのかもしれない。

その中でこのチームの選手として勝てたのならばこの上ない喜びだっただろう。チームという人が組み合わさることで構成される組織は、喜びも減ることなく等分に皆に分け与えられ、共有できる。それが魅力的であり、チームの原動力になることは明らかだった。

今日は11月に入った。長いようで、とても短い、むしろ本当にレースシーズンを過ごしていたのか疑うほどに過ぎ去って行ったシーズンだ。朝4時台に起床し早くから練習。夜仕事が終わってから血の味がする練習する。年間の遠征費を何十万円も出して、布切れ一枚で60km/hを超える速度で鉄くずに突っ込むかもしれないレースに出る。

ただそこまでやっても、結果が出る場合とそうでない場合がある。皆が皆努力している中で鎬を削るから当然のことだ。それをわかっていて、誰からもお願いされることもなく、淡々と練習をする。第三者から見れば、なんとも不思議な生活だ。

そこで何か見返りを求めていたか?といわれればそうではない。言うなればハイリスクローリターンの競技だ。そこまでつなぎとめていた目的や目標は何だったのだろうか。例えば、私が今乗っている大分駅から小倉へと向かうSONICという列車は、明確な目的を持って進んでいる。乗客に素晴らしい九州の海岸線を見せながら、終着駅へと進む。

今年の明確な目標はチーム総合優勝だった。終着駅はそこにあった。その目的は今日果たせた。しかし自分自身が果たしたというよりも、そのわずか数パーセントをかろうじて担えたとしか言いがたい。そのために費やした道のりはもしかしたらチームには必要の無いこともあっただろうし、人によっては意味があったのかもしれない。

それらの判断は第三者の内にある事で自分の力が及ばない揺るがない部分だ。とすると、唯一どうにかできることと言えば自分自身で自分のやってきた事を評価し、良かったか悪かったか判断する他ない。その中で何か物事を変える必要があれば変えなくてはいけないし、そうでなければさらにより良く改善すべきだろう。

結局は、人の価値観よりも己の価値観の中で生きているにすぎないと分析しているが、それも一つの気づきなのだろう。人は大きな決断をする時は悩むが、好きなだけ悩めばいいと思う。悩むことは悪いことではなく、良いこと。たとえその判断が間違えていたとしても、ゲームオーバーにはならず世の中は何事もなかったかのように進む。

失敗しない人間などいない。ただそれら、蓄積された失敗と成功を元にわずかながらでも良い方向に進ませる事が出来れば、それは自分の経験値になって行く。若いうちに苦労しろというが、成功よりも苦労から学ぶべきことの方が多い。自転車競技はただゴールを目指すだけの競技ではない。

ゴールを切るその瞬間まで考え、体を動かし、状況判断をする。だれしもが予測不可能な一秒先を知り得ることはできない。自らが下す瞬間瞬間の判断の積み重ねが、一つの結果を生み出す。その「判断」こそが、苦悩を生み、喜びを引き出し、次への架け橋になる。結果として自分の選択した判断は責任を持たなくてはならない。

判断したのは私(あなた)なのだから、どんな失敗があっても人のせいにしてはいけない。「失敗は人のせい、成功は自分のおかげ」こういう思考を持たないよう、常に謙虚でありたい。今日で一つの区切りになるわけだが、この積み重ねてきた事を糧にして新しいことに挑戦する時期なのかもしれない。

始発駅があれば終着駅があるように、始まりと終わりがある。私が乗っている列車は小倉が終着駅だ。ただ、その「終わり」は見方を変えれば「始まり」で、また始発駅として新大阪へと向かう。終わり無くして始まりはない。何かを終わらせることは、始まりを迎える為に必要な準備だ。

「終わり」とは永遠に続く線ではなく、新しいことを始める一つの通過「点」にしか過ぎない。