批評を受け止める度量

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頭に血が上っているときは、一晩文章を置くと良い。当事者であるときは内容を客観的に見られない。夜に書いた恋文は次の日見返すと、破り捨てたくなる。それにしても、飽きずに文章を書いているなと不思議に思う。「レビュー」なんて大それたことを書いているつもりは無く、私個人的な「一人の意見」である。

ただ、そういう事に慣れていない人、拒絶反応を起こす人も中にはいる。今読んでいる本に面白い記述があった。

日本はそれなりに大きくて広い国なのだが、人と人との関係が密で濃く、フェアなレビューも人格攻撃と受け止めてしまうくらい議論に慣れていない。そのため他人による批評を受け止める度量が狭いので、実名で実のある厳しいことが書けない風土なのだろう。

日本人は議論に慣れていないらしい。確かに自分の主張は声高らかに通すが、いざ反論されると論理的になれず、自身の主張から脱線して、感情的な思考にすぐ移る。この手の人間は厄介だ。問題解決よりも、自身のわがままや歪んだ思想を押し通す。こうなると論理的な会話はほぼ無理で討論するだけ時間の無駄だ。

こういう場合は、自分自身の限られた時間を彼らに割かないようにする。時間とお金は同じように「使う」事で意味をなす。自分の頭の中で処理するそれら無駄な時間も、例えば資格勉強だったり、語学勉強、読書といった有効な時間に割くことができる。時間は有限で、いつかは死ぬ。

どうにかして、それらを変えてやろうという気持ちが有るならその前に自分自身を研鑽し、変えることの方がどれだけ有益なことか。自身の大切な時間を、他人のよくわからない言動に惑わされや消費していくのは、一度立ち止まり、よく観察し、不要なものをそぎ落としていく。

有限な時間をいかに価値あるものとして消費し、自分へのリターンとして活かすか。限られた1日の中でどこまでやれるか、結局は他人よりも自分がどうするかその考え方一つで決まる。

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