練習会をしておもうのだが「自分が満足できる内容とコースか」
というわがままが叶うかどうかで判断されがちなのがもったいない。あの練習会はいい、あの練習会はダメと聞くことがあるがそれは「自分から見た主観的な判断」だ。そうなってくると難しいのが、「全員が満足するスペシャルな練習会は存在しない」ということになる。
脚質も違う、登坂能力も違う、エンデュランスも違う、走行テクニックも違う。参加してくれる方々が「自分に合った練習会」になるように色々と考えるが、なかなかうまく行かない。というのも、人それぞれ参加する目的はいろいろあるが私は練習会の際に二つの事を目標にしてる。
一つは「ペース、展開を考えて、出しきって勝つこと」と「仲間を強くしたい」の二つ。こんなことを書くと怒られてしまうし、軋轢が発生してしまうかもしれないが、正直に書くと、マネージャーや監督、応援してくれる人の為に走りたいと思うが、チームのためには走ってない。
非常に難しい思考だけど、どちらかというと、練習してる仲間と走ってる。「土地柄、一緒に練習できない仲間もいるじゃないか!」と言われるが、私は聖人君子ではないし、同じ釜の飯(ファミマのバナナ)食った仲間をどうにか追い込んで強くなってほしいと思ってる。
逆に、自分も強くならねばならず最後にぶっちぎって悔しい思いをしてもらうにはどうしたらいいか考えるのも、自分の為になる。特に、今後活躍しそうな中学生のVC福岡の鎌田くん、千里高のたけはる二人には強くなってほしいから、走ってる時に結構言う。走り方は問題ないから、むしろ心の部分。
千切れそうなときに、詰める心の部分、限界まで追い込むところ。というより一緒に走ってて楽しい。みんな違うチームジャージ着てるけど、走ったらサイクリストで関係ない。練習会が大きくなってくると「あの練習会はチーム員勧誘のため」なんてsnsで書かれるのを聞いた。
参加してくださってる方はわかるだろうけど、そういうのは一切ない。むしろ、「うちのチームには入らないほうがええよ(笑)」と冗談で言うくらいだ。特に理由は書かないが、イナーメE、zero、オールアウト、湾岸、VC福岡のようなチームに人が集まり、魅力的に見えるのか、一度深く考えてみても面白い。
今の時代は、大企業のサラリーマンよりも、googleやAmazonで働くことを好む。ただ、私の場合は実生活でもチームでもそうだけど組織の歯車になりつつも、自分のやりたいこと、信念をある程度理解してくれる人たちとやっていける環境で働き(走り)たいとおもってる。
北摂練はチームとは関係のないが、受け身ではなく何かしらの信念やテーマを自分で決めて走るほうがいい。だれもあなたの道は決してくれるかも自分で決めず、他人に決めてほしいと思うのは、何かあった時に自分が責任を取りたくないからだ。最終的には、人のせいにできる逃げ道がある。
練習会をしてると、いろんなことを思うが、揺るがないのは「強くなりたい」っていう単純なことだと思ってる。山の山頂には「強くなりたい」ってゴールがあるが、その頂きに向かうルートは様々だ。その山頂にたどり着くためのテーマはやり方は自分で決める必要がある。
私は登るための山(目標)を用意して、みんなに登れる環境を提供したい。今は本当に登りがきついコースだけど( ˆᴗˆ )、次回は平坦と信号が無いコースを考えてる。色んなことに悩み、失敗しながら参加してくれる人が強くなる手助けをチームの垣根なくやってきたい。
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