2年という時間は、人の身体から何かを奪い、同時に何かを与える。2年ぶりのロードレース。第30回 西日本チャレンジサイクルロードレースが広島森林公園で開催された。記念すべき第30回という節目に、ふたたびこの地に立てるとは・・・。
久しぶりのロード出走である・・・。
しかし、会場は何度も走り込んできたコースだ。どこで踏み、どこで展開が生まれそうか。三段坂の登りの勾配変化、下りのライン、コーナーの先に待つ風の向き。それらは記憶というよりも、経験則として染みついている。
全日本選手権や実業団レースも開催される由緒あるこの場所には、ロードレースのあらゆる要素が凝縮されている。登り、下り、テクニカルなコーナー、そして風。コースの相性は多分よい。
5年前にE1、3年前に西チャレ出場して以来のことだが、つい最近ここを走ったかのような不思議な感覚がある。記憶を呼び覚ます程ではなく、身体そのものが、この場所を覚えている感じがする。

広島のレースは保守的な展開で進むイメージがあって最後にスプリントという展開が多い。しかし今回は全く違っていた。序盤からかなりのハイペースで、平坦でも下りでも全く緩まない。「このペースで最後まで行ったら、脚が終わるかもしれんわ・・・」、と思っていた。
その思考が頭をかすめた瞬間、レースはすでに別の展開に突入していた。
第30回西日本チャレンジロードレース M 3位
ここまでの準備
今年もシクロクロスからのスイッチだが、すでに10~2月で15レースほどをこなしてきた。ウォーミングアップの手順、段取り、時間からの逆算。すべてをいつもと同じ感覚で進めた。ロードでもあんまり変わらない。
繰り返してきたルーティンは、不確実なレースの前に唯一確実なものとして存在する。
ウォーミングアップ時の身体の反応は、90%といったところだった。調子の良い時は、身体を合わせていくと110%ぐらいのパワーが湧き出てくる感覚がある。だが今回は夜勤明けでの出走だった。バッドデイに陥っていないだけでも上出来だろう。
いつもは一人で黙々とすべての準備をこなす。しかし今回は、マネージャーのななちゃんが諸々の面倒を見てくださり、スムーズに事が運んだ。久しぶりのサポートは新鮮だった。いつもありがとう!
かつてロード時代はこの有難いサポートを当たり前のように感じてしまっていたこともあったが、レースも、サポートも、走れること自体も、感謝しかありません。
機材セッティング
- バイク:S-WORKS TARMAC SL8
- ホイール:ROVAL RAPIDE CLX III
- タイヤ:ピレリ P ZERO RS CL 28C
- チューブ:ピレリ SmarTube RS 60mm
- 空気圧:F 4.3bar / R 4.5bar
- クランク:ELILEE X-Trecento
- ギア:54/40 x 11-34
- サドル:S-Works Power EVO with Mirror
- ヘルメット:OGK AERO-R2
- シューズ:Suplest
- グローブ:OGK
- チェーンオイル:UFO
- ジャージ:サンボルト
タイヤは以前からフィーリングの良さを確認していたピレリ P ZERO RSとSmarTube RSの組み合わせを選択した。ただし、ひとつ判断を誤った。空気圧の設定がやや高すぎた。F 4.3bar、R 4.5barまで入れてしまったが、あと0.2bar低くても良かっただろう。


路面自体はスムーズなのだが、グリップ感がわずかに希薄になり、序盤はふわふわとした接地感に慣れるまで時間を要した。タイヤと路面の設置感がほんの少しだけ噛み合わない、微妙な違和感があって1周目は結構ビビってた。
気温は2~4度。かなりの低温域だが、シクロクロスの泥と寒気の中を走り続けてきた身体にとっては日常の範囲内だ。ウォーマーは装着しなかった。
ただし、腕の毛を剃り忘れていたため、エアロ効果の観点から夏用のメッシュインナー長袖を着用するという、やや苦しい辻褄合わせを行った。
ドリンクはボトル2本に250mlずつ分配した。エアロボトルをレースで使用するのは今回が初めてだったため、万が一落とした場合のバックアップとして冗長構成を採った。
結局、実際に消費したのは200ml程度だったが、リスク管理とはそういうものだ。使わなかったことを後悔するのではなく、備えがあったことに安堵するほうがいい。
だれが強いの・・・
誰が要注意選手なのか。正直なところ、スタートリストすら確認していなかった。2年のブランクは、今誰が強いのかも曖昧にする。松木さんの動きをよく見ながら走り、走り方そのものを思い出していこう。考えていたのは、その程度のことだった。
あ、松木さんが一番あれやな・・・。
スタートはローリング。なるべく前方に位置取る。シクロクロスの密集した接近戦に慣れた身体には、ロードの集団はむしろ余裕のある空間に感じられた。アクチュアルスタートが切られると同時に、ハイペースな集団だと感じた。自分が遅いんかこれ・・・うむむ。
例年なら、もう少しまったりとした立ち上がりのはずだが、下りも平坦も一切の弛緩がない。
どこか落ち着きのない集団だった。前方で展開するライダーたちは、逃げを打ちたいのか、単にペースを上げたいのか、それとも集団にまったりした時間を与えたくないのか。意図が読めない。
読めない序盤のカオスの展開には、無理に逆らわず流れに身を任せつつ、いい感じでローテーションに加わりながら走るのが最善だ。先頭付近で回しているのは7~8人。脚はありそうだが、決定的な抜け出しが生まれる雰囲気でもない。
1周目――からだが痛いわ
1周目の三段坂。やけにハイペースを刻む選手がいた。その後方で耐えるのが精一杯だったが、その選手がこの日最後まで松木さんと私の3人で逃げることになる佐々木選手だった。
レース後に松木さんから聞いて初めて知ったのだが、元NIPPOの選手であり、トレック・マルコポーロなどUCIコンチネンタルチームに所属した経験も。2023年のMM30ロード日本チャンピオンだという。そりゃ強いわけだ。しかしレース中にそんな情報は流れてこないw。
目の前にあるのは、ただ苦しいペースと、それについていくか千切れるかという二択だけだ。
登りではかなりのハイペース(自分比)が続く。しかし、移行区間に入るとわずかにペースが落ちる。その一瞬を使って毎回前に出た。こうした緩急の読み方は、意識ではなく「多分緩むだろー」的な経験が教えてくれるものだ。
1周目は体感的にも明らかなハイペースで進んだ。チームのイシトモさんは、この1周目でドロップしていた。いつもの西チャレより確実にきつい。このペースで最後まで持つのか。
正直、持たないかもしれないと思った。下りや金網区間でいったん後方に下がり、脚を少しでも温存してから三段坂に突入する。
広島のレイアウトでは、三段坂の手前で高確率で左側に人が寄る。日本の左側通行と心理的にそうなる地形っぽい。このレースに限らず、私は右側に移動した。何かが起きた時、右側に誰もいなければ即座に反応できない。
昔、はこぶね(原田くん)がこの右側の位置から一人で仕掛けて勝ったよなぁ、とか思い出していた。その時のレースレポート。

2周目――食らいついたら逃げになった
2周目に入っても、ペースは一切緩まなかった。三段坂の2段目で佐々木選手がペースアップを仕掛ける。松木さんがすかさず追走し、その背中に食らいつく。気が付いたら3人。後方との距離がじわりと開き、3段目を越える頃には数秒の差が生まれていた。
2段目から3段目への移行区間で、松木さんが「後ろちょっと離れている」と声を発した(ように聞こえた)。ならば、ペースを落とさず上げて差を広げるしかない。判断に迷う時間はない。
登り区間は佐々木選手と松木さんが明らかに速い。入り口だけ(せこく、それっぽく)先頭を引き、勾配がきつくなるところで後ろに下がって回復を図る。ああ、こういうロードレース特有の走り方を、身体が覚えている。
とはいえ、体重56kgで370~400Wを出してもギリギリついていけるかどうかという強度だ。下りはスピードだす。
2周目に3人で抜け出した瞬間が、このレースで個人的に最も苦しい時間帯だった。でも2人は余裕そう(笑)、モトから告げられたタイム差は「25秒」。広島のコースでは集団の力が凝縮されやすく、下りで一気にタイム差が詰まる。
10秒程度なら、あっという間に吸収される距離だ。
しかし、下り切った後でも後続30名ほどの集団とのタイム差はそれほど縮まらなかった。それでも25秒は安全圏とは言い難い。できるだけ平坦区間と下り区間で前に出て脚を使い、その代償としてわかってはいるけど、登りでは付き切れしそうな状態に陥った・・・。
差を広げるために自分を削る。逃げるときは、逃げ切るのかという不確実性と、脚を削るという2重の不安を抱えている。
3周目――いけるんちゃうか
3周目に入り、橋を通過した時点でモトから「35秒」と告げられた。10秒広がっている。しかし、まだ安心できる差ではない。3人しかいないのだから、ペースの維持にも限界がある。
ただ、不思議なことに3人の間には自然な役割分担が生まれていた(ように思う)。佐々木選手は登りでペースを刻み(私は毎回千切れかけていたが)、松木さんは要所要所で的確にペースをコントロールし、私は下りと平坦で前に出て速度を維持する。
特に示し合わせて、言葉を交わしたわけではない。互いの得意な地形で、互いが自然と前に出る。3人の逃げ集団が、上手く機能しはじめた。
3周目の登り前、モトから「タイム差50秒」と伝えられる。20秒広がった。この時点で、逃げ切れるかもしれないという思いがうっすらと頭をよぎった。しかし、集団が本気でペースを上げれば一気に縮まりうる距離でもある。
油断は禁物だ。最終周もいいペースで進む。脚にはかなりの疲労が蓄積しているが、ここでドロップするわけにはいかない。
最終周――駆け引きと直感
最終周回に入って、佐々木選手が前に出る回数が減った(と感じた)。太ももを揉むような仕草を見せる。脚がつっているようにも見えるが、直感的にそうではないと読んだ。
おそらく最終局面に向けて脚を温存するための演技だろう(すみません!)。ローテーションを飛ばそうとする気配を感じ取り、そうはさせずに前に出すよう促す。レースにおける演技と真実の境界は曖昧だが、疑わしきは信じない(レース中なのですみません・・・)。
金網から先の区間でペースが緩みかけたその瞬間、松木さんが仕掛けた。私にとって、ここで追う理由はない。追うべきは佐々木選手の方だ。佐々木選手がしっかりと松木さんを追い、私はその後輪に張りつく。やっぱり走れますやん・・・。
三段坂手前のストレートで3人が再び合流。振出しに戻った。
この時点でモトから1分10秒余りのタイム差が告げられ、逃げ切りは確定的となった。しかし、レースはここからが本当の勝負だ。3人の中での順位争い。1段目、2段目の登りをギリギリで食らいつく。もう無理・・・。。。
3段目への移行区間で(セコく)前に出て入り口を先行するが、登りに入った瞬間、松木さんが一気に加速した。佐々木選手もしっかりチェックに入る。私も追おうとした。全力で踏んだ。それでも千切れた。
データを見れば7~8倍。出力の限界付近で、それでもなお届かないという現実。それでも踏み続けた。踏み止めるという選択肢は今はない。
下りの8秒差
ピークで2人から遅れ、最大8秒の差が開いた(と、後から聞いた)。絶望的な数字だったけど、絶望の中にも思考は動き続ける。集団とのタイム差を考えれば逃げ切りは確定している。
私が千切れて2人だけになったこの展開では、駐車場前のヘアピンの手前で高確率で牽制が入るだろう。そう読んだ。
運が味方したのは、下りでは私の方がたぶん速かったことだ。おそらく機材の恩恵である。離れていた2人との差が、八天堂横の区間、橋の区間と進むにつれてどんどん縮まっていく。モトが、COMカーが、視界に入ってきた。
全力で攻めれば追いつける。そう判断した瞬間、ブレーキから指を離した。ノーブレーキでコーナーに突入する。データーを見ると70km/h超。転倒すれば無事では済まない速度域だ。しかし、この8秒を取り戻すためには、リスクを引き受けるしかなかった。
ヘアピンに入る手前で、ついに2人の背中を視界に捉えた。三段坂の頂上で絶望していた8秒差を、単独の下りで詰め切った。「これは、追いつけるぞおぉぉ」と内心思った。
最後の一手
2人に追いつく直前、「ちょ、おま、落ち着け」と冷静さを取り戻した。2人に追いつく残り1~2秒の距離で、2人の配置を観察する。佐々木選手がローテーションを終えて後ろに下がった、その一瞬を見逃さなかった。
2人の間にわずかな隙間が生まれる。スピードを殺さず、意表を突いて一気に二人のその間を駆け抜けた。
これで、佐々木選手は私を追わざるを得ない展開に持ち込める。駐車場前のヘアピンを全力で駆け上がり、ホームストレートへ。私、佐々木選手、松木さん。理想的な番手と展開が完成した。
ホームストレート前の立ち上がりは死ぬほどきつい。三段坂の下りからここまで、全区間フルもがきの全開で踏み続けた脚だ。ゴールまで持たないことは、もちろんわかっていますが。
当然、佐々木選手が私の横から出てくる
しかし、ここで松木さんに最高のお膳立てをするなら、これしかない。イメージした通りの展開になった。佐々木選手が前に出され、松木さんが2番手という最高の配置。
あとは松木さんが最適なタイミングで仕掛けるだけだ。ゴールまでの間合いも、距離感も、仕掛ける場所も、何十回もこのコースを走り込んできた松木さんならわかっているはずだ。
私も最後の残りカスを振り絞って踏んだ。しかし、ゴールにたどり着くのがやっとだった。松木さんが1着(出し切りすぎて見届ける余裕すらなかった)。私は5秒遅れの3位。メンバーと展開を考えれば上出来だと思いたい。
理想はワンツーフィニッシュだったが、最後は力が及ばなかった。すみません。
ゴール後はシクロクロスのレース後のような状態だった。よくロードレースで、優勝した選手の後ろで同じチームの選手がガッツポーズをしている光景がある。あれをやりたかったが、そんな余裕は微塵も残っていなかった。
完全に出し切って終了。チームとしては1位と3位。この時期にしては、大きな結果を残せたと思う。
復帰の意味
この冬のトレーニングの成果が、少しながらも結果に結びついたことは感慨深い。実はシクロクロスシーズン中の12月から、完全にロードの練習にシフトしていた。CXシーズン中はありとあらゆる感染症にかかり、調子を落としてパワーが全く出なくなっていた。
それでも地道に乗り込み続け、体力が戻ってきた年末年始には一人で10日以上連続で走り込んだ。そろそろロード民と走れるかなぁ、と思って松木さん主催の練習会に顔を出すようになった。
レース1週間前、松木さんとの練習で野間峠を10分台、単独としては良いタイムで登れた。ロードを走れる状態にはなっているだろうという手応えはあった。しかし、まさか3人で逃げ切って表彰台に立てるとは思っていなかった。
広島のコースは集団ゴールになるパターンの方が多く、展開の読みが極めて難しい。それがこの日は、すべてがきれいにハマった。
パワーデータを振り返ると、1時間17分で287W。この日の体重換算で5.03W/kg。この時期としてはかなりの高強度だ。復帰戦の身体には過酷すぎた。だが、その過酷さの中にこそ、練習してきたという意味を見いだせる。
久しぶりに松木さんとレースを走れたことが純粋に楽しかったなぁ、と思った。レース前の作戦とか戦略会議も一切なくて、日経新聞の話とAiの話しかしなかった(笑)。そして、レース中は最後まで言葉を一言も交わすことなく、この展開と、結果がついてきた。
阿吽のなんとか、か。
2年のブランクは、失った時間ではなかった。その間に積み重ねたシクロクロスやMTBの経験が、下りの自信となり、密集走行の冷静さとなり、この日の走りを支えていた。回り道、寄り道に見えた道のりが、実は最短距離だったのかもしれない。
今シーズンは
ついに、ロードのシーズンイン。
今年はロードにフルコミットする。気温が低い時期は調子が良く、暑くなると途端に崩れるという自分の特性は理解している。東日本、西日本ロードクラシック、フクシマ、ニセコ、そして全日本と、8月下旬まで良いリズムでレースが並んでいる。
もう、いい歳だ。それは否定しようのない事実だ。
しかし、年齢とは単なる数字ではなく、積み重ねてきた経験の厚みでもある。20代の頃にはできなかった読みや判断が、今の自分にはできるようになったと信じたいところではある。
結果が出れば一番嬉しいが、それだけを追い求めるのではなく、走ること自体を一番に楽しみたい。
会場での応援、サポートありがとうございました。また次もよい結果を出せるように、また明日から練習していきます。























