サイクリストがシクロクロスに学ぶ10のこと

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シクロクロッサー。彼らはハタから見れば、とても特別な事を行っているように見える(当人たちは普通だが)。泥の中を喜んで走り、冬の寒さの中でも短パン半袖という風貌だ。世間一般的には到底受けいれられない競技性と、その特種な条件下で走る彼らは、時として奇異にうつる。

ただそれら一見理解し難い彼らの生態も、知れば知るほど興味深く、そして学ぶべき点も多い。それはもちろん普通の「自転車乗り」もそうだし、もしかしたら人によっては人間として学ぶべき点も多い。しかしなぜ、彼らから学ぶべき事が多いのだろうか。

ここで今あえて「自転車乗り」と表現した。様々な意味付けと、それらの思惑も確かに有るが、多くのそれら昨今の自転車に乗る人達に伝えたい事を10に分けて記載することにした。私はそれらについて「なんだそんなことか」と思われても一向にかまわない。

私は一人の自転車乗りとして、シクロクロスから多くを学べた事が、自分自身の自転車人生を色濃く、鮮やかな価値を生み出したのだと感謝している。その学んだ10の事を、シクロクロスシーズンが終わりに近づいている今だからこそ、綴ってみたい。

なお本記事は少しボリュームがあるが、休み休みで良いので順番に読んで頂けたら幸いだ。

Photo:Kikuzo

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人から素直に学ぶ

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歳を重ね、大人になると、だんだん人の話を聞かなくなる。例は悪いが私の親も年々頑固になり、人の話をまったく聞かなくなってきた。そればかりか、自分の話したいことだけを永遠と(聴く側はうんざりだ笑)話し続ける。それが人間の奥なる欲望(自分大好き)として如実に現れている。

ただ、シクロクロッサーは(こと自転車に関しては)有識者から非常に素直に、そして熱心に学ぶ姿勢を持っている。その理由はシクロクロスの特有の競技性が、彼らの考え方に影響を及ぼしていそうだ。どういうことだろうか。話は少しそれるが、シクロクロスは「このテープとテープの間ならどこ走ってもイイよ」という競技だ。

遠回りしようが、ヤブの中を走ろうがまったくかまわない。選手に求められているのは自然界の「速さ」であり上位カテゴリーであれば60分間で「一番遠くに行った人」が勝ちだ。その3600秒、1秒という皆に平等に与えられた時間の中で、少しでもライバルより先に、前へ進みたいと思っている。

シクロクロスで面白いのは「経験値が高い」という持ち味は”=速さ”へ繋がっている事だ。ただ脚があるだけでは不十分で、かといってテクニックだけでも頼りない。そして忘れがちなメンタルは、とても重要な要素として選手に寄り添っている。たとえテクニックがあったとしても、どんな場所でも技術を繰り出す勇気と思考の部分は、メンタルに左右される。

その各々が持っている「経験」に少しでもあやかろうと、シクロクロッサーには有識者に教えを求める。速い人は、自分に無いテクニックだったり、走り方だったり、もしかしたら「秘密のライン」を知っているのかもしれない。「知っている」と「知らない」でタイムが大きく異なる競技性は選手を虜にする。

シクロクロッサーは、良く聴き、良く考え、素直に(見た目上は?)先人から学ぶ。

どならない

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私がまだ下位カテゴリーで、C1のレースを応援していた時の話だ。その日は東近江にシクロクロス全日本チャンプ竹之内選手が凱旋帰国していた。もちろん速さと美しい走りは、その日の観客を魅了した。普段見れないトッププロの走りを、肌で感じる滅多に無い機会だった。

スタート後、周回が進むにつれていよいよ選手がばらけ初めてくる。そうすると、力の無いものはラップ(周回遅れに)される。ある周回中、竹之内選手の前に今にもラップされようとしているもたつく選手が居た。観客は固唾を飲んで見守っていた。竹之内選手が背後に迫った時、やや減速しながらこう、声を発した。

「そこ行かせて欲しいなぁ(笑」

だった。「笑マーク」かと言われれば違うかもしれない。ただ、他の種類の自転車レースなら「どけ!」で「美しく」変換される場面だ。もしかしたら「おい、邪魔だ、どけ!」がある種類の競技でよく用いられる「標準語」なのかもしれない。自転車競技は紳士なスポーツだ。もちろん紳士な心を持った人も大勢いるだろうし、怒鳴った事が無い人も大勢いる。

例えば罵声や怒鳴るような声を発する理由を考えてみると、競技の特性上絶対スピードが異なり、風を切る音で聞こえづらい、といった環境面の理由もある。また「どなる」という行為自体が戦術面で有効という側面もある。結果、威圧的な声のかけ方もありえる。

ただ、シクロクロスではレース中に怒鳴り声など殆ど聴いた事が無い。これは日本のシクロの文化なのか。もしかしたら、世界のシクロクロスを生業している環境に行けば、もちろんその様な発言もあって当然だろう。ただ、自分の中(見てきた狭いコミュニティ)では罵声と無縁の世界だった。

一方で「罵声はよろしくない」という暗黙の周知がシクロクロッサー間に宿っているのかもしれない。日本人特有の「右ならえ」の文化が、人がやっていない事をやってはいけないという思考になり、今の環境を生み出しているとも考えられる。どちらにせよ、良い文化だし、他の競技でも見習うべき習慣だ。

あの日以来、竹之内選手の巧みな走りと、真摯な対応は私を魅了してやまない。きっとあの会場に居ただれもがそう思ったに違いない。

シクロクロッサーは、強ければ強いほど寡黙で怒鳴り散らすことはしない。

寒さに強い

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雪が降っても寒いだけ。冬の競技だといえど、半袖短パン(もちろんTシャツにデニムもアリだ!)だ。それが彼らの「正装」だし、走るためのルールだ。彼らは本当に寒さに強いんだろうか。いや、強いという表現は妥当ではない。むしろ「我慢強い」のではないのか。

寒さに我慢する理由はなんだろう。それはシクロクロスを走りたいという根本的な欲求だ。そのために必要な「正装」をして寒さの中で我慢している。誰だって温かいダウンジャケットを着て、いつまでもぬくぬくしたい。できるなら暖かいストーブの前に陣取って。

いや、晴れているならまだマシだ。シクロクロスは全天候型の競技だ。もしかしたら、雨が降っているかもしれないし、雪が降っているかもしれない。体を濡らす雨は選手の体温を急激に奪う。そんな中でも選手たちは寒さに我慢して走る。もちろん、中にはそれで欠場する選手もいるはずだ。

先日の中国シクロクロスがまさにその例だ。当日は40年ぶりの寒波が訪れ、3日分の食料を備えること、との注意喚起がなされた。その日は長野県の野辺山CXの時よりも寒く、極寒の為多くの欠場者が出た。スタートに着く前に「見えない脚切り」が行われたと言って良い。

この時既に「シクロクロッサーの強さ」が試されていたのだ。

その中で好例とも言える事例を「Tonic CX Team Japan」を率いるTeisuke Morimoto氏のレース記事から引用したい。

ニュースで「西日本の方は三日分の食料を備蓄すること」などと聞くようになると、どうやら自分のコンディション以前にスタート地点に立つだけである種のフィニッシュなのではと考えを改め、とにかくレース会場に辿り着くことを最優先に行動を移しました。

Tonic CX Team Japan Facebookより

結果的に、JCXポイントを51pt獲得する事に至った(これは、とんでもないことだ!)。「寒さに強い」という要素が多くの貴重なポイントを獲得したのだ。

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寒さにに対する「考え方」や「強さ」のおかげで順位は1つ、もしかしたら2つ以上あがる。寒さに強いという事は、走るために必要な強さだ。真冬に海パン一丁なんて選手はもちろんどこを探しても居ないだろうけど、そんな選手がいたら飛びっきりに強いはずだ。

シクロクロッサーは、目先の温かさを欲しがらない。走り始めたら寒さなんて忘れてしまう事を知っている。そして、寒さの中で走ることで、暖かい応援にも包まれる事も知っている。

レースを楽しむ

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「レース」を楽しむ、と表現したら「ダレ」を想像するだろうか。「参加者」だろうか、それとも「観客」だろうか。その答えは双方にある。私は自転車レースなんて見るのは一部のマニアの楽しみだと思っていた。しかし、今ではソレは違う。シクロクロスに触れてからというもの常に「観戦したい」という熱を常に帯びている。

まずはビール片手に観戦、なんてことも日常茶飯事で普通の光景だ。もちろん、だれも咎めたりはしない。まるで音楽愛好家が夏フェスでも見るかのように。もしも、ロードレースでビールなんて飲んで観戦していたら、白い目で見られること間違いない。このような特殊な環境も、他のレースにはない醍醐味だ。

ここで一つ、考えてみてほしいことがある。

「応援」とは自分が知っている選手だから応援するのだろうか。いや、ことシクロクロスにおいては少し違うようだ。難しいセクションを魔法のように進む選手には、惜しみない応援が送られる。強い選手には応援が矢のように飛んでくる。ただ、シクロクロスの場合はバニーホップだったり「魅せる走り」をみんな見たがり、期待している。

そして選手もそれを理解している。観客ができないようなとても難しいテクニックを披露する。この日レース会場に訪れた多くの観客を楽しませる為に。

シクロクロッサーは知っている。自分が走っていて楽しいって事は、観客も楽しんでいるってことを。シクロクロスは見る方も、走る方も楽しめる自転車競技の中でも稀なスポーツだ。間違いなくこれからさらに、競技人口と多くのファンを獲得していくのだろう。

機材調整に熱心

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泥の上をヨタリながら走り、一見ぶっきらぼうで、全く繊細じゃないという印象を受けるシクロクロス。ただ、私が今まで見てきたどの競技よりも繊細だ。特にレース前の機材調整。例えばロードレースの場合、空気圧は8bar(バール)かな?7.5barかな?と、それぐらいの「さじ加減」だ。

今までロードの空気圧で7.6barか7.7barか、その0.1barで悩み苦しむ人なんてあまりお目にかかった事はない。ただ、ことオフロードになると低圧が基本だ。だから0.1bar単位で調整できるという話もうなづけるが、1.8barなのか1.7barなのかはたまた1.6barなのかスタート直前まで悩む。

もしくは、数値的でデジタルなアプローチをしない人もいる。今まで慣れ親しんだタイヤを触り、沈み具合で適正な感覚を掴んでいる。これは意外と適正値に収まっていることが多い。私がいつも同行させていただいているシクロクロッサーは「ニギニギ計測派」だった。

あるとき当人も空気圧がどれくらいか気になり、確認したいと言った。実際に測ると、私の1.85barに対して1.7barとほとんど大差ない結果だったのだ。私はデジタルスケールを使っている。ただ、昔は空気圧を手で押し込んで確認したりしていたはずだ。

しかし意外と感覚の世界でも、そう大崩れしない空気圧で設定されている。ただ、経験から導き出された結果なので、初めて空気を調整するならデジタルスケールを使うのがよろしい。空気圧とくれば次はタイヤである。

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シクロクロッサーの関心ごとの1つにタイヤがある。おそらく彼らが一番好きな機材は、タイヤなんじゃないかって思っている。コースによってタイヤのパターンを変える。このコースにはサンド(砂用のスリックタイヤ)を、泥が多ければマッド(ノブが高い)を。さらにデュガスやFMBといった高価なタイヤも惜しみなく投入する。

全てはコーナーを誰よりも早く抜けるため、そして1秒でも早く走るために。こと、ロードバイクならタイヤの1つや2つで大きな順位の変動は起こらない。タイヤが及ぼす減速要素よりも、ドラフティングや位置どりが勝敗を分ける。ただ、シクロクロスはパックになれど己の力が速さに大きな要素を占める。

その中で機材が及ぼす速さの影響は鈍感な人でもわかるほどだ。コーナーリングの食いつき、芝生の突き返し、どれを取っても空気圧一つで明確に体感できる。シクロクロッサーは機材調整に熱心。その一手間が1秒早く走れるのか、遅くなるのか、連続する積み重ねが勝敗を分けることを知っている。

洗車がお上手

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シクロクロスやオフロードを走るようになって、洗車が上手になった。なんて人も多いことだろう。泥の中、水たまりの中、砂の中、雪の中、全部コースの一部なんだから汚れるのも当然のことだ。私はシクロクロスを始める前、汚れっぷりに呆れかえってこう思った。

「これは罰ゲームに等しい」

汚れるのが嫌なんてシクロクロッサーも中にはいる。ただ、より過酷なマッドコンデションになればなるほど、テクニックの差で順位が変動する。泥が好きで得意な人も大勢いるのだ。話は少し逸れるけど、パリルーベという石畳を走るクラシックレースがある。そこで砂と泥にまみれたバイクが日本にやってきた際、もちろん「汚いナマのバイク」だった。

「気を利かせた」係りの人は一生懸命その薄汚れた泥を綺麗に落とした。笑い話だけど、まさに猫に小判ってやつだ。話は戻り、端から見たら汚れたバイクはシクロクロッサーにとってはなんら汚くないのかもしれない。汚いと思わず、無心で綺麗にする。次のレースのために丁寧にメンテナンスする。

一回走ったら、一回洗車。また次練習したり、レースで走ったりするためにせっせと愛車を綺麗にする。冬の寒さの中でも真水で洗ったりするのもお手の物だ。ここで少し注意事項がある。もしも、真冬の川辺や水たまりにシクロクロッサー入水する事があっても安心してほしい。

レース結果が悪くても彼らには「その気」は無い。

真冬で水浴びなんて、最悪のケースを想像してしまうけど、彼らはそこで自転車を洗ったり、服に付いた泥を落としている。もしも高圧洗浄機で真水をぶっかけられているシクロクロッサーを見ても止めないでほしい。彼らは水攻めにあう芸人ではない。泥だらけのジャージは洗濯機を壊してしまう。彼らは喜んでとにかく綺麗になりたい。

シクロクロッサーは子供の頃の泥んこ遊びよりも、かなりひどい汚れ方をする大人に育ってしまった。ただし汚い衣類でそのままでは帰らず、最善の努力をして衣類やバイクの汚れを落とす。家に着く前に大部分の洗車や洗濯は終わる。これはロードには無い習慣かもしれない。

シクロクロッサーは、必要に迫られてバイクや衣類を綺麗にする技術を身につけていく。

個性的な持ち物

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私はシクロクロッサーの個性的な持ち物(バイクや身に付けるもの)を見て「なんてマニアックなんだ」と興奮した。今まで見たことの無いフレームやタイヤ。そしてピストかと見間違えるシングルスピード(スプロケ一枚)のバイク。ロードでは「クラシック」とされるクロモリフレームはむしろメジャーだ。

その中でハンドメイドのバイクとして東洋は知っていたけど、「Tonic fabrication」「Speedwangen」「KUALIS」「Independent Fabrication」….とあげたらキリがない。もちろん、シクロクロスのワールドカップで圧倒的なシェアを持っているブランドではないけど、むしろそれが良いのだろう。

シクロクロッサーは人と被らず、ユニークで、走っていても自身の「スタイル」や存在感を出せる機材を使っているように見える。対して私はどうなんだろう。

「油圧ディスク」「電動変速」「フロントシングルナローワイド」「簡易リアサス」「エアロヘルメット」と「イケテないハイテク機材」の塊だ。もちろんどちらにスタイルを振るかは人それぞれだけど、シクロクロス的には私は全くイケテてない。

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さらに、彼らの持ち物をよく見てみよう。あぁ、まずオシャレなのはジャージやワンピースだ。ガチャガチャとした、街中のビラ配りの広告のようなデザインなんてあまりお目にかかれない。何かしらのポリシーを持って、インパクトのある色を使って、シンプルかつ印象的にまとめあげてる。

遠くから見てもどんな選手がどこを走っているのかはすぐにわかる。もちろん「全部Raphaっぽいデザイン」に見えてしまうけど、よく目を凝らしてみればそれぞれが、それぞれに個性的だ。鮮やかなジャージ達は、まるで色鉛筆の気分で泥のキャンバスをあざやかに彩る。

あ、ここで更に追い討ちをかけるのは私の着ているジャージだ。深くは言及しないけど、相当にイケテない。でも、オシャレなジャージが席巻するシクロクロスにおいて、これも一つの「スタイル」なのかもしれない。

そして「持ち物」という言葉で忘れてはいけないのは、誰も通ったことのないラインを見つけ、早く走るテクニックっていう個性的な持ち物も身に着けている。

テクニックに貪欲

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「テクニック」っていうキーワードが出てきたところでシクロクロッサーのバイクの扱いを見ていこう。これが8つ目だ。彼らは時として、プロロード選手をテクニックでねじ伏せる。名だたるプロ選手がシクロクロスに参加して、無名の選手より遅いなんて事は当たり前に起こりえる。

シクロクロスは日本人のサイクリストが大好きなパワーメータで言うところの「パワー対決」をしているんじゃない。シクロクロスではウェイトレシオではなく、FTPでもなく「速さ」が一番重要な軸となる。この速さという幹から、枝葉のようにパワーやテクニックメンタルの葉っぱが付いている。

コーナーリング1つにしても、ブレーキングしながら曲がるのか、それともコーナー進入前に減速してから曲がるのか、コーナー1つとっても千差万別のテクニックがある。しかし厄介なのは、全てのコーナーで同じテクニックを使う事が最善ではない場合がほとんどだ。

あるコーナーでは使えた「最速パターン」が次のコーナーのレイアウトでは全く無意味になってしまう、なんてことは日常茶飯だ。ワンパーターンの基本動作(アウト・イン・アウト)が必ずしも通用しない場合も多い。

参考KOSSY先生:「シクロクロス、コーナリングテク考察

最速だと思っていたラインは、実は本人の引き出しの中で最速であって、レース出場者全体から見たら非常に遅いラインだったりする。それらを取り巻く要素がテクニックに集約されている。私は今まで、本当に真っ直ぐにしか進めないサイクリストだった。

コーナーリングなんて、ママチャリでも出来るわい。と半ば本気で思っていた。

だからシクロクロスをやってよかった。その間違えた「井の中の蛙大海を知らず」のように、テクニックという奥深き海を知らなかった。その海に踏み入れた途端、浅瀬だと思っていた砂浜は、深海のように深く、いっこうに底が見えない。

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しかし、テクニックを知れば知るほど、テクニックを磨くことに魅了されていった。一番良い上達の近道は、良い先生に習うことだ。それはロード乗りではなく、BMXやMTBといった種目の選手が良いだろう。彼らは自転車を体の一部かのように操るすべを熟知している。

残念ながら、この「テクニックに貪欲」の章で私がテクニックを語ることは出来ない(というより語ってはいけない)。なぜなら、まだ見習いだからだ。ただ、多くのシクロクロッサーがテクニックをより身につけたいと切に願っている。

シクロクロッサーはテクニックに貪欲だ。自分よりも上手い人から教えを頂き、なんとしても速く走りたいと願っている。知れば知るほど、その海はより深く、どこまでも潜ってみたいと思わせてくれる。

あー、本当にテクニックを教えて下さい。

応援を心の底から

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いよいよ9つ目だ。正直に、昔自分の中にあった「ゆがんだ」感情を記しておきたい。シクロクロスを始めた当初「なぜ知らない選手を応援するのか?」という疑問を持っていた。ロードレースなら、まず知らない他チームの選手が走っていても(心の底からは)応援はしない。

私がいかに卑屈な人間かここで暴かれてしまったわけだが、少なくとも私はそうだった。

しかし、シクロクロスを始めてからというものその考え方は良い方向に導かれていった。シクロクロスは走っている選手よりも圧倒的に観客の方が多い。そして、それらの観客は早かろうが、遅かろうが、無条件で選手を応援する。

「がんばれー」じゃなく、心の底から「がぁんばれぇええ!」だ。

確かに応援している人が、根っからのシクロクロス好きと言うこともありうる。しかし私は知らなかったのだ。「カテゴリーO(オー)」なる人たちの存在を。シクロクロスはC1〜4やCL1、M1と年代別、強さ別、性別と分けられている。その中で規格外の「O(オー)」とはなんだろうか。

カテゴリーO(オー)のOは「応援」である。

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純粋に少数のコアなアンダーグラウンドカテゴリではあるものの確実に「カテゴリーO」が存在している。シクロクロスを楽しみに応援に来る人、カテゴリーOだ。しかし、観戦という彼ら(正しくは彼女ら)はとても良い観戦ポイントを知っている。

実は、元々ロードで知り合いだった人がカテゴリーOだった。応援も秀逸で、各カテゴリーの選手の名前はほとんど知っていて(さらには女性関係なども)、さらには「アダ名」で応援する。そしてどのセクションが面白いか、観戦ポイントをくまなく研究している。

「〜選手のラインはこうだったけど、あの人はああだった。ありゃ、遅い。」

と、技術解説もお手のものだ。理由は、多くの走りを見て目が肥えているからだろう。もしかしたら「秘密の最速ライン」をC1選手の誰よりも知っているのかもしれない。そういう意味では「カテオー」も侮れない存在である。

シクロクロスは同じコースを様々なカテゴリーで走る、キッズもそうだし、もしかしたらキッズクラスのM1おじいちゃんも同じスタートを切り走る。その中で応援は惜しみなく行われる。最終レースのC2の最後尾で走っていた、私のチームメイトにも、無数の応援(という名のヤジ)が向けられる。

シクロクロスは選手だけがシクロクロッサーではない。応援する人たちもまた、シクロクロッサーなのである。

そして、生涯現役

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1万2000文字を超えた最後はこのタイトルで締めたい。私の中で今でも印象的で、忘れられない言葉がある。私にロードの「いろは」を教えてくださった今もマスタークラスで走る選手が、ロード現役選手時代にこんなこと言っていた。

「ロードはいつか選手を辞める時が来るけど、シクロはおっさんになっても選手続けるんだと思う」

その翌年か、その後すぐ、プロ時代から10年以上にも及ぶロードレースの一線から退いた。でも今もなお現役のシクロクロッサーとして走っている。私はその理由に少しづつ近づいてきた。確かにシクロクロスは年齢を重ねても競技者として長く続けられる。そして、テクニックも毎年進化していく。

積み重ねられたテクニックは、若者が通らないようないぶし銀のラインを導き出す。歳を重ね、様々な経験と人生を歩んできたように、それらの経験が一つの最適解を生む。シクロクロスと人生は似ている。人生経験豊富な人が生きていく上で有利なように、シクロクロスもまた、経験値が高いことがレースを速く走る上で有利に働く。

人生も失敗と成功を繰り返し進んでいく。失敗から得た遠回りは、歳を重ねるごとにだんだんと最適な道を選んでいく。先人が通った同じ道で、若者は同じ轍を踏むことがあるかもしれない。それがまた一つの経験になり、差として違いが生まれていく。

シクロクロスは、年齢がそこまでハンデにならない。確かに有酸素運動のスポーツでは加齢と共に能力が低下していくが、下積みの土台な長ければ長いほど大崩れするようなこともない。その要素が生涯現役という素晴らしい体験を支えているのかもしれない。

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もしかしたら、キッズクラスで走っていた息子がC1になり、共に同じカテゴリで競うなんてことがあるかもしれない(名手小坂さんがそうであるように)。そして、孫がキッズカテゴリで、おじいちゃんはマスターで走っているかもしれない。そして、ラップタイムが孫には負けられない、おじいちゃんには勝てない、なんてこともあるかもしれない。

「生涯現役」である理由付けはいたる所に散らばっている。

確かにシクロクロスの安全な競技性も受けているのだろう。BMXやMTBをやってきた選手がシクロクロスは特に安全と言っている。確かにシクロクロスで救急車が出動することは滅多にない。大きなクラッシュも滅多に見ない。こと、ロードレースの性質上毎回救急車が来ることに見慣れてしまったが、それを考えてもやはりシクロクロスは安全だと言える。

シクロクロスは、それらの要素が綿密に絡み合い、長く競技を続けられる息の長いスポーツだ。私も最後の競技者としての〆は、シクロクロスマスターで終わりを迎えたい。

あとがき

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私がこの記事を書く切っ掛けになったのは、レース後に楽しみにしている数々の写真からだった。とあるフォトグラファーの写真を眺めていた時、写真達に刺激を受けた。自分のカテゴリー以外の模様を克明に、そして鮮やかに伝えてくれる写真は、瞬間瞬間を色鮮やかに切り取る芸術作品に思えた。

フォトグラファーがシャッターを切るように、私もまた写真を見ながら一つ一つ文章を綴った。互いにファインダーの向こう側にいるシクロクロッサーに刺激を受けて。そこには、生き生きとしたシクロクロスの空気感や、応援の声援が聞こえてきそうな雰囲気、選手の息遣いが克明に写真に刻まれていた。

そんなインスピレーションをもらいながら、この記事を書き始めたのは1月の関西CX希望が丘が終わった後だった。初めは一つ、二つの気づきをいつものようにまとめていた。それが数が増えて、気づけば10のキーワードになっていた。

自分でもたまに思うのだが、何故ここまで文章を書きたいのかは未だによくわかっていない。確かなことは、気づけば1.2万文字を超える文字がディスプレイを埋め尽くしていた。書き終わったのは関西シクロクロス最終戦前の週だった。

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なぜこのような文章と量を生み出すことが出来たのか客観視をしてみたい。まず思いつくのは、無数の素晴らしい写真が影響していた。あわせて、それらを生み出すシクロクロスという競技があるからに他ならない。しばらく書いていて、ふと、次のような事を思い浮かべていた。

シクロクロスは、コースディレクターと選手が生み出す泥の上の芸術作品だと。フィギュアスケートが「氷上の芸術」なら、シクロクロスは「泥の芸術」だ。芸術なんて全く理解していない私が芸術だと感じたら、それも一つの芸術の形なんだろう。

真っ白なキャンバスに絵を描くように、シクロクロスもまた自然の中に絵を描く。無数に張り巡らされたテープは、何もない大地に下書きをする。引かれた線の上には、鮮やかな服装に身をまとった選手達が、仕上げの色を塗るかのように同じゴールを目指して、走り抜けてゆく。

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ここまでが、私の知っていたシクロクロスだった。しかし、話にはまだ続きがある。

すこし現実的な話をしたい。いくら美しい言葉でシクロクロスを語っても、シクロクロッサーが走った後は自然界にダメージを与える。難しいセクションほど、山肌は削れ、踏み荒らされた泥地と化す。シクロクロッサー達が荒らした大地はレース後どうなってしまっているのだろうか。正直気になっていながらも、真相を知る由もなかった。

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photo: Jun Yano(FB)

それを偶然知ったのは、ソーシャルメディアで流れてきた1枚の写真だった。烏丸半島でレースが行われた数日後、大地を修復する為に作業されている方たちの姿があった。私はいままでこのような努力と運営が成されていることを知らなかったし、考えもできなかった。

削れたキャンバーを土で盛り直し、元に戻す。来シーズンまた我々シクロクロッサーが走れるようにと。

シクロクロスを行われる場所は誰かの土地を好意で使わせていただいている。もしもめちゃくちゃに破壊されたキャンバーやボロボロになった公園をそのままにしていたら、来年の開催は難しくなるだろう。そして泥が付いた靴で売店にでも入って不快な事が起きれば、次回開催は水の泡となる。

いくら運営サイドが努力しても、肝心の我々シクロクロッサーがそれらを台無しにしてしまう場合も往々にしてある。我々はその土地の方、運営サイド、マーシャルといった方たちのご行為に支えられて「走らせて頂いて」いる。

最後のあとがきで、特に書きたかったことは、レース運営に携わる方々の見えない努力と配慮への感謝だ。これを書かずして、末筆とすることは到底できない。そして今年も楽しく無事にシクロクロスシーズンを終えられる事に心からのお礼を。

関西シクロクロスの設営から撤収、そして運営まで、シクロクロス黎明期から今日まで、様々な会場でシリーズ戦を行い、日本におけるシクロクロスの発展にご尽力いただいた京都車連の皆様、並びに各レースのマーシャルの方々、有志の方々に心からのお礼を申し上げたい。

千秋楽の桂川を前にふと思う。来年も「シクロクロス界の安くて、 美味しい、ファミレス」を実現できるように、シクロクロッサー自身も頑張らねばと。シクロクロスはサイクリストに多くのことを教えてくれた。願わくばシクロクロスが生涯の友になることを期待し、末筆とする。