「デジカメの写真を消してしまったので復旧してほしい」
姉の看護師の友人とあれば対応せざるおえない。
海外の復旧ソフトウェアを使って小さなサムネイルまで表示できたそうなのだが、完全に元サイズを戻すならば、有償との話だった。
業者に復旧作業の持ち込みを検討すると8GBで20000円を超えるとのこと
ということで、SDカードへの書き込み読み込みをしない状態でおいておくことを指示する。
にしても、データー削除してしまった際の代償はおおきい。お金を積んでも戻してほしいデーターとのこと。
私のmacに入れている、オープンソースのphotorecというサルベージソフトを使う。
グラフィカルなインターフェースは一切無いのでmacのターミナルから。
$ sudo ./photorec
rootじゃないと一般ユーザなのでboot disk見られないのでsuしておく。
macの起動ディスクは /dev/disk0
外付けでmacにマウントされるsdは /dev/disk1とか2とかになっているはず。
全ての領域を選んで検索する。targetも選択して.jpgとか姿勢せず戻せるものは全部戻す。
結果、全部戻せた。
写真は、何年かぶりに集まった人達の集合写真だった。
一度失い、自分ではもとに戻せないものを戻すと、人は感動するらしい。
少し思ったのは、もしそもそも失わず消えずに写真がそのまま存在し続けていたら
その写真に感動していたのだろうか。
おそらくただ大事にするだけで、感動はしないだろう。
失わないと、「価値」に気づかないような事はたくさんある。
物質であったり、人だったり、人間関係だったりする。
考え方として重要なのは、自身がその渦中にいるときに違った角度から物事を見て
価値に気づくことだ。
でないと、「豚に真珠」ということわざが似合う人間になってしまう。
本来価値があるものに対して価値を見抜けなければ、その人にとっては価値がないものと同然である。
そんなことを思いながら、消そうと思って消した写真も全部サルベージしてしまったため
そちらもお渡ししておいた。
報酬は20個のりんごであった。
無から価値を見ぬく必要があると感じた。
むしろ、元々価値がないものに対して価値があるかのように見せる方法も一つの戦略ではないだろうか。