自転車関連のBlogはニュースになる程炎上しないが、いざ法律に抵触する行為となれば、まったく関係のない人がWEB上の雲の中に隠れつつ炎上を楽しむ。
法律と隣り合わせの自転車は特に気をつけなくてはならない。自転車に限ったことではないが炎上もパターン化している。完全に非があるものを特定し、炎上させる側は匿名性が守られ、勝ち目のない上にいろんなものを失ってしまう。
まったく関係ないが、
今年あった当ブログに起こった事や身の回りのことを書いてみる。
ブログを運営していると悩みも多い。
■ウエブの悪い仕組みと良い仕組み
私自身BLOGをコツコツと書いているがアクセス数が増えることと比例して批判も多くなっていった。ところが同様に比例し、様々な方から「ブログ見てます」とか声をかけられて嬉しいこともある。
ネットの一部の中傷に傷つくこともあるが、このような実世界でつながる事はウェブの仕組みがうまく作用した賜物だろう。
今年あった実際の話。
■ネット上での中傷
もう書いてしまうが、某巨大掲示板に名指しで私のことが書かれているのを知ったのは今年6月。スレッドは2つ。
知ったきっかけはTwitterのフォロワーさんからだった。特に何か悪いことをした事はないのだが、
私を名指しで「死ね」←ネットの挨拶です。
などは普通に書かれている。
スレッドは、チーム系とパワーメーター系だ。
私は相手のことを全く知らない。相手は私のことを知っているという不思議な状態の中で心無い言葉がやりとりされる。例えば道端で初めてすれ違った人に上記の「ネット上での挨拶」は通用するのか考えてみる。
ネット上で行われることは、実世界で許容されることとは異なるもので、そもそも同じように受け取らなくてもよいものだ。事実、朝練やお店で上記のネットの挨拶を頂いたことはない。
なかなか面と向かって思うことを言うことができないのが人間であり、特に我々日本人は初めての人と会うと一定の距離を置いたりすのだが。
ところが、ネット上では何か大きなふしぎな力を得て初対面でもなく、お互いあったこともない人に向い「挨拶」を繰り返す。
自分自身がネットの空間上でどのようなトリガーで標的となり、真実か、嘘かわからない事に対し、信じ同調する人、それは違う、という人が入り混じる文章がネット上で構成され、一つのイメージを形成していく様は圧巻だ。
例えば、のむラボホイールを売ったが、ネット上で面白く書くならば
「FJTさんのむラボホイールを放出!」
と書くわけだ。
ネットには面白く書く文章の方程式が存在する。
ブログのタイトルもコツがあって
「早い人からペダリングおしえてもらった」
とタイトルを書くより
「プロ選手に教えてもらった、ペダリングに関する3つのポイント」
と書くわけだ。
タイトルで大方「みたい」「みたくない」は決まる。
話は戻るがホイールに関しては
今回であれば私は東京に引っ越すにあたり前後18本のホイールをCorima以外放出したにすぎない。
「FJTさんWH-7900 C24を放出!」
「FJTさんRS-500 のローラー用リアのみほうsy」
とは書いても面白くもなんともないわけだ。
実はコリマも当初売ろうと思っていたが周りからから半年ぐらい止められていた。
結論は売らなくてよかった。
機材の価値を知る漢は本当は彼かもれない。
■実際に本人に会ってみるといい
一時期、ホイールを組んでくれた方も、自転車を組んでくれた方もネット上で叩かれたが、
ブログにおいて特に言えることは、
「結局本人に会って話をしてみると、思ってた人間と全然違う」
ということだ。多くはそれに該当するが、残念なのは
「実世界で会って話をすると普通だけど、ネットだとぜんぜん違う」
場合。後者のほうが、人間関係を悪化させるケースが多いと思う。どちらが先で、どちらが後か、ネットを使う際に重要であるといえる。日本語のうけとりかたというか、日本人の質なのだろうが、
「練習しているけど、遅い」
よりも
「遅いけど、練習している」
両者ともに同じ文章で構成されているが、我々が受け取る感覚は全くそれと異なる。前者は「こいつ才能がない」であったりする悪いイメージがつくが、後者は「こいつこれからもっと早くなるかも?」と期待が持てる。
■イメージは各個人の頭のなかに
話を戻すと、
BLOG上では「文字」と「写真」で全てを判断する。この判断するという事がそもそも多面的に見られない(多くの人が見ることができない)ので、各個人で推測し人それぞれが異なったイメージを確立する。本来人間は悲しんだり、喜んだり、怒ったり、多面性のあるのが人間であるが、スポット的にほんの一部分のみを知り、その人の全体を把握した気になる。という事がネットを使う人の習慣にある。
特に不幸なことは、たとえば過去に某チームが良くない行動を取ったことを、永続的と思えるほど叩き続ける、ということに表れている。
今回の件であればアクセス数が増え、知られることにより標的としては的が大きく、某所で取り上げやすかったのかもしれない。
面白かったのは結構頻繁に当ブログに来ていただいていており、評価もつけていただいている方のようだった。試しにそれらしき人から、IPアドレスを頂いて、その人だけBANしたら、「アクセスできなくなった」とその動作結果を某掲示板に書いてくれたリアクションが嬉しい。
正直仕組みは作ったが、きちんとBANできているかこちらもわからなくて、意図せず動作検証結果を報告してくれたのはありがたかった。この結果から、BLOG上で「ある特定のユーザーだけを排除」する仕組みをBLOG上に作ることができた。
次はこんな機能を入れてみた。
その人がアクセスしてくるとBANせず、特別なページに誘導する仕組みを作って、メッセージを添え、コンタクトをとれるチャットっぽい事をできるような仕組みにしたのだが、この点については一生懸命作った割には、なにも反応がなかったのは残念だった。ネット上で一対一で向かい合った時に果たして、”どんなネットの挨拶”をするのか興味があった。
この成果から、一時期実家の両親がBLOGについて、ああだ、こうだ言ってきたので実家からのアクセスを2ヶ月くらいBANしていたら、姉から「最近BLOG見られなくなって寂しいらしいよ」と聞かされたので、それからはBANの仕組み自体をなくしている。
もう少し、話を吐露する。
■物理的な攻撃に発展した9月28~30日
ブログを引っ越したあとに「秒間相当数のアクセスにも耐えられる仕組みにしました!」とポストしたところ3日間DDoS攻撃を受けたw
これには参った。さすがにネットで文章で中傷されても良いが、サーバ宛に攻撃してはいけないと思う。
嫌いなBLOGがDDoSで落ちてしまったら、どうだろう。
それはそれで標的や、燃料投下を失うことになり
お互いにつまらなくなると思うのだ。
攻撃の内容は、レベルで言うと非常に短い時間の間にリロードするような感じだ。
秒間どれだけ攻撃を食らったのかはわからないが、ログを見ると
9月30日が相当数のアタックがあり、期間は3日間に渡り攻撃が有った。
上記は「一日」で14.5万件のリクエストがあったという事がログからわかる。
トラフィックは4.9GBだ。 ぎがばいと。
こんなのが知らぬ間に3日間に及んだ。
Average traffic:3サンプリング
28, 4.0GB
29, 4.5GB
30, 4.8GB
THREAT ORIGINS:場所はUSAから。多分多段してる
USA and JP
日に日にtraffic上がっていくのが脅威だったわけであるが、
落ちてもある種、当ブログの耐久性をテストをしていると割り切る。
ところが趣味で作った当ブログは結局の所落ちなかった。
通信回線にもよると思うが、
おそらく当BLOGの1秒間あたりのリクエスト処理数は 推測するに秒間 9900〜10000 リクエストぐらい。
仕組みとしてはNGINXとCDNを使用している。あともうちょっと細工。
ここまでかくと余計にこうげk
だからといって攻撃はしてはいけない。
趣味で快適なレスポンス環境を用意した結果、
新手な攻撃にも耐えることがわかった。
でもそこまでしなくても、いいと思う。
■終わりに
今年あった当ブログの対外的な公には書いていない話は以上だ。
『ウェブはバカと暇人のもの』という本を読んだが、私自身も上記にあるようにいろんな対策や、データを取ったり、朝晩練習したりと相当暇人なのだろう。でも誹謗中傷も、それらを取り巻くBLOGへの攻撃も、見方を変えて考えてみれば、ここまで書いたとおり非常に面白いことがわかる。
人間には、物事に対して最終的にどう受け止めるか選択する自由がある。
真に受けるのも、反応するのもしないのも、傷つくのも自分自身で選択する。
総括すると、結局はネット上においても「沈黙は金、雄弁は銀」であると言える。
黙って見続け、多くを語らず動向を観察することも一つ賢い選択なのではないだろうか。
ただ、周りから見ると「こんな長い文章を書いておいて偉そうに」
と、突っ込まれたならば、確かにその通りかもしれない。
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今月も多くの人によくわからない文章で構成される当ブログを見ていただけた。
そのなかの1人や2人いや10人ぐらいネットの挨拶を振りまくユーザーが居ても
リアルな付き合いを大事にし、違った見方をする力を身につけたいものである。
そして「沈黙は金、雄弁は銀」にもあるとおりネット上では
スルー力が何よりも力になる。