そこにいると、気づかないことがある。例えるならば、親元を離れた子供がそうだ。親元を離れないと、些細なことで親と言い争ったりするが、一人暮らしを始め、社会人になり自立すると、ありがたみや依存していることに気付く。
ある限られた箱(保護下)の中にいる意識のうちは、箱のなかで周りを見渡したとしても全体を知る事はできない。では、箱から外に出てみるとそれが始めて箱だといことに気付く。しかし箱の中では様々なことが行われているが、外に出てしまっては箱の中のことに干渉することはできない。
ただ声はかけられるが、何か具体的に関わり、変えることはできないばかりか、同じ時間を共有することはできない。後で振り返ってもその時の記憶には箱から出た人は存在しないのだ。
ここで、本質を考えてみると、箱から出ること自体は重要なことではない。むしろ避けた方が良い。本当に必要なことは、箱の中のからでも、見えない箱の全貌をどれだけ捉えられる事ができるか、に尽きる。
当事者でありつつ、広い目線と、違った角度で物事を捉える寛容さが、今一度欲しいものだ。もし箱を四角いダンボールを意識したなら辞めよう。もしかしたら、四角ではなく、丸い箱だったり、上蓋があくタイプだったりする。
そう考えると、自分の居たところは上蓋が空くタイプかもしれない。いつでも、中を開けて見ることもできるし、中に入ることも自由だ。そんな環境と構造がある事 は外から見ていると貴重であったな、と思うのだ。
また、そのような箱を1から用意し、長い時間をかけて作り上げてきた人に感謝せねばなるまい。もし、箱を取り上げられてしまったら、どんな結果になるのだろうか。そんな、想像を一度してみてもいい。
大和書房
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