先日、とある1台のバイクの試乗会に招かれて1日ライドをしてきた。
正直なところ、「1日は長いかなぁ」と思っていたと思っていた。ただ、始まってみると、ほんとうにあっという間、一瞬で1日が通り過ぎていった。
このライドでは収穫があった。
1台のバイクを通じて、サイクリスト一人ひとりの「考え方」に直接触れることができたことだ。そこには一人ひとり、まったくことなる考え方があり、愛車への思い入れやこれまで乗ってきたバイクについて熱い想いを受け取らせてもらった。
一方で、より鮮明にクリアになった現代特有の弊害もあった。
SNSが発達したことにより、情報が得られやすくなった。それと引き換えに、発信力や拡散力のあるユーザーの声に、マイノリティ(少数派)の意見がかき消されてしまっているのではないか。そんな想いが走りながら頭の中に浮かんできた。
忌憚のない話をすると、リムブレーキからディスクブレーキに乗りかえようと思っている方が多くて驚いた。話題のアレだ。MTB界隈からすると、信じられないような話かもしれないが、ロードバイク界隈はいまでもリムブレーキとディスクブレーキどちらが良いのかという論争でまだ盛り上がっている。
リムブレーキが良いのか、ディスクブレーキが良いのかは私の中で結論が出ているので特別話として上げることはしないが、実際にリムブレーキしか持っていない方とお話しているうちに、「かんたんな話ではないんだな」と思ってきた。
直接お話をして感じたのは、ひとりひとりにロードバイクとの物語があるということだった。それは年代、性別に関係なく、ひとつとして同じものがない大事な物語だ。1台のバイクを通じて、時代時代を駆け抜けてきた「想い」の連鎖だ。
バイクの性能や、技術的な要素、はたまた構造的な話とはまた違う。感情、情緒、思い出して懐かしくなるような、思い入れが物語に詰め込まれていた。小さかった子供がいつのまにか大きくなり、ふと昔を振り返ったときの感情と似ている。
そういう一人ひとりに存在している、思い入れのような部分を知ってしまうと、一概に世の中の考え方を一括りにまとめるなんて到底無理なことだとわかる。むしろ、自分自身が発信してきた事の方向性すら疑わしくなる。
今回、1台のバイクを通じてお話を伺うことで、あるひとつの方向に全員を向かせる必要は無いのだと思った。それはディスクブレーキ化であったり、空力だったり、軽量化だったり、はたまたリムブレーキをこれからも使い続けることだったりする。
その人が、ほんとうにそのバイクを気に入って走って、物語がまた続いていけばその様式、姿形ははなんだって良いのだ。一人ひとりが求める先に空力があり、軽量化があり、ディスクブレーキがあり、リムブレーキがある。
他人が否定するものでもないし、こうあるべき、という定義すらそもそも不要な世界だ。
バイクを通じて交わした一人ひとりの物語は、インターネットの世界だけでは絶対にわからない奥深さがある。インターネットの世界にいればいるほど、汚染されていき、「みんなこういう考え方なんだ」という偏った思考に陥りやすい。
今回、1台のバイクを通じ、まさに少数であるが、現実世界の生の声を聞けて目の前の世界がより鮮明に見えるようになった。バイクを通じた乗り手の物語は無限にあり、走り続ける限りその連鎖を止めることはないのだろう。