20歳の君は、30歳や40歳の人をおじさん、おばさんだと思っているだろう。50~60代であればおじいちゃんかもしれない。それは間違えていない。しかし、当のおじさん達は自分たちをおじさんだなんて思っていないし、意外と自分は若いと思っている。
君がおじさんになるのは、まだまだ先の話かもしれない。しかし、自分自身が振り返ってみるとあっという間だった。光陰矢の如し、「あの頃」はあっという間に過ぎる。だから、今のうちに、おじさんについて伝えておきたいことがある。
不思議に思うこともあるだろうし、おじさんから得られる知見もあるだろう。いくつかのテーマに分けて、これからおじさんに起こり得ることから、その対処法を今のうちに伝えようとおもう。
回復が遅くなる
君はまだ若くて、食べて、寝たら、次の日には全回復して、また走り始めることができるかもしれない。疲れが次の日に残るなんてことは、考えもしないだろう。しかし、おじさんになると回復が遅くなる。ひどいときは、2~3日も疲れが抜けないことがある。
そんな時、おじさんが陥りやすいのは、あせって練習をして無駄な負荷をかけてしまうことだ。疲労が溜まっている時に負荷をかけても、狙った負荷やメニューを完遂することは難しい。良い方向に向かうことは期待できないだろう。
十分に回復してから、狙った負荷の領域でトレーニングを行う必要がある。回復と練習は表裏一体だ。とくに回復が重要になる。おじさんになると回復に時間がかかってしまうが、あせってはいけない。
疲れが抜けないと、慢性的に疲れがたまってしまう。悪循環におちいる。これから先、回復に時間を割いたとしても、「練習できなかった」という罪悪感は捨てていい。回復が優先だ。
おじさんになると、若い時のように回復が早くなることはないが、時間を要すれば必ず回復する。その時にしっかりと負荷をかけて練習をしてほしい。
高負荷がかからなくなる
君は走り出してから1分もあれば、最大心拍数に突入しても耐えられるかもしれない。エンジンが早くかかるのが当たり前だと思っているだろう。しかし、おじさんになると、エンジンのかかりが遅くなる。おじさんは序盤はスロースタート、中盤から後半にかけていよいよエンジンがかかってくる。
しかし、この身体の傾向はおじさん特有の「思い込み」や「そうであってほしい」という願望からきているようだ。先入観、固定概念、おじさんの言い訳としては都合がいい。かの有名なエンデュランストレーニングの教祖ジョー・フリールの書籍「50歳からでも速く!」では、おじさんに”こそ”Vo2MAX領域のトレーニングが重要だと説いている。
おじさんになると、心肺機能や体力が衰えて意志力も弱くなる。辛い負荷をかける事に対して、肉体と精神が拒否するようになる。多くのおじさんが直面するこの問題は、逆にチャンスにもなることを知っておいてほしい。他のおじさん達が同じように、Vo2MAX領域のきつい練習をしなくなる。
おじさんだからこそ、週に2~3回はVo2MAX領域のトレーニングを行おう。若い君に朗報がある。Vo2MAXのインターバルで追い込み過ぎても死ぬことはない。死ぬ気で追い込んでも、残念ながらいっこうに死ねないのだ。
おじさんになった君は、とあるレース前の最後の練習でインターバル中に死ぬ気で全力でペダルを踏み続けたことがある。その先に待っていたのは、オールアウトだけだった。脚はガクガクと震えていたが、素晴らしいトレーニングだった。
もしも、Vo2MAXのトレーニングメニュー内容に悩んでいるのなら、エビデンスがあるVo2MAXショートインターバルをおすすめしたい。30秒全開、15秒レストを13本、3セット行う。キモはレスト時間がとても短いことだ。詳しいやり方は別の記事で紹介している。
おじさんでなくても、強くなりたい全ての人に有効なトレーニングだ。
おじさんになっても、先入観にとらわれずに高負荷のトレーニングを定期的に継続してほしい。おじさんになると、きついトレーニングと向き合わい人が多いが、逆におじさんの中で対おじさんと戦うならば優位性を出せる絶好のチャンスだ。
話を聞かなくなる
若い君はおじさんの話にうんざりしているかもしれない。一方的に話す、自分の事ばかり話す、昔話ばかりする、マウントを取る、自慢話をする、話が長い、人が話し終わる前に話し始めるなど、お話好きおじさんの例をあげたらきりがない。
おじさんと若い人が話すだけなら一方通行になるだけで済む。しかし、自分の話をしたいおじさんとおじさんが同時に話をし始めると、お互いの話を聞いていないのに自分の話だけをし続けるカオス状態になる。スタート10秒前になっても、騒がしいシクロクロスのカテゴリがあるのを君も知っているだろう。
あれは、おじさんがおじさんに話しているようでいて、どのおじさんもおじさんの話など聞いていない。とても悲惨だ。
おじさんになるまで、様々な人と関わってきたはずのおじさんだが、残念ながら何も学びが無かったおじさんも中には一定数いるようだ。そんな人につかまってしまった君は、大事な人生の時間を無駄にしていると感じるかもしれない。しかし、お話好きのおじさん達は反面教師だ。よく観察してほしい。示唆に富んでいる。
おじさんの話なんて誰も聞きたくない。ならば必要なこと以外は話さなければいい。聞かれたことに、答えるだけでいい。
ここで、19世紀のイギリスの評論家トーマス・カーライルの著書『衣装哲学』に記された一文を引用しよう。この本の中に、「Speech is silver, silence is golden(雄弁は銀、沈黙は金)」という一文が登場する。
沈黙を銀より高価な金に例えて、「説得力のある言葉を持つことは大事だが、黙るべき時を知るのはもっと大事である」と説いた。おじさんには耳が痛い話だが、年々その言葉の重みを感じるようになった。
¥4,620
おじさんだからこそ、相手に9割話させる。自分は1割だけクチを開けるだけでいい。相手が聞きたいことだけに答え話すだけで十分だ。それくらいがおじさんには丁度いい。その時に、話が長くならないように要点だけ端的に伝えることも忘れてはならない。
話の内容も、自分ではなく相手を中心にして組み立てるといい。人は自分の事を話したい。相手は喜んでいくらでも自分の話をするはずだ。相手がおじさんならなおさらだ。
人の話を聞くというのは小さい頃に教わったはずだが、年々悪化して年齢を重ねれば重ねるほど人の話を聞かなくなる。君にはそうなってほしくない。ただ、人生は有限だから、誰の話を聞くか取捨選択をしたほうがいい。そこは人の目利きが必要になるが、多くの人と関わっていけば、人の目利きも次第に身についていくと思う。
新しい人脈が無くなる
おじさんになると、自分の周りに似たような世代、年齢、共通の趣味の人ばかりになる。若いころのように刺激的な人付き合いは無くなっていく。もしかしたら、おじさんを慕うおじさんに囲まれている場合もあるかもしれない。
私もある時期、あまりにも忙しすぎて限られた人たちとしか関わらなくなった。おじさん、おばさんの巣窟であるFacebookの友達は今でも100人に届かない。元々、広く浅い人付き合いよりも、狭く深い付き合いが好きだったが、この傾向は意図的に人を遠ざけてしまうばかりか、人としての幅を狭めてしまうようだ。
おじさんになると、自然と人付き合いが減ってくる。自分から能動的に人との関係性を求めていかないと孤独おじさんになる。君に、よほどの知名度や実績か肩書が無い限りは、おじさんに近づいて来てくれる人はいないのだ。
寄ってきてくれるのは野良猫か、宗教の勧誘、ケータイが久しぶりに鳴ったとしても、あなただけに特別に用意された絶対に儲かる投資話ぐらいになる。
だからこそ、普段からアンテナを高くしておく。もし君にお誘いの声がかかったのなら、つながりが浅い人ほど会うようにしたほうがいい。逆説的かもしれないが、つながりが強い人(友人、親友)よりも、つながりが弱い人(異業種、初対面)からのほうが新しい情報と体験が得られる。
この傾向は、書籍「勝者の科学」にも紹介されている。ぜひ、読んでみてほしい。
アウトプットしなくなる
おじさんになると、いま自分が持っている能力や人脈の範囲”だけ”で物事を動かそうとするようになる。いわゆる現状維持だ。それでは新しいものが入ってこない。ではどうすればよいのか。最も簡単なのは、アウトプットすること、与えることだ。
自分が持っている知識でも、スキルでも何でもいいから必要としている人に届けてみるといい。もしくは、SNSで披露してもいいだろう。とにかく奪うのではなく、与え続ける。そうすると不思議なもので、ふとしたタイミングで自分に何かが返ってくる。
その時に注意しておきたいのは、初めからリターンを期待してはいけないことだ。
見返りやお返しを期待して与えてしまうと、何も返ってこないことが多い。自分が与えたもの、手放したものに恩を着せてはならない。すぐに水に流すといい。おじさんになると、奪うばかりで何も与えようとしなくなる。
電車の小さな座席を奪い合って、席を詰めもせず座るおじさんを一度は見たことがあるだろう。君には、そうなってほしくない。
形はどうあれ、与え続けてみてほしい。与えて何かが減ることが一時的にはあるかもしれないが、たいてい形を変えて自分に戻ってくる。おじさんは奪うばかりになってしまいがちだから、まずは見返りを求めずアウトプットし続けてほしい。
未知の領域へ挑戦しなくなる
おじさんになると、新しい領域に挑戦しようという気が無くなってくる。より厳密にいえば、挑戦しようという意思が弱くなってくるのだ。どうやら年齢を重ねるごとに、意志力も落ちていくらしい。やろうやろうと思うが、行動に移さなくなる。次第に何もやらずに人生を終える。
一方で例外のおじさんがいる。周りで妙に生き生きしているおじさんだ。その「生き生きおじさん」に共通しているのは、何かに挑戦し続けていることだ。いままで未経験の分野や、これまでの実績とは関係ない領域に挑戦しているおじさんなら、さらに「生き生き度」が強い。
自転車業界にも、ロードレースで数々のタイトルを得ながらも、グラベルやグランフォンドなど違う世界で、文字通り世界で戦うおじさんが居ることを君も知っているだろう。何か新しいことに挑戦するということは、とても腰が重く行動しにくいことだが、「こぎだそう、そして何かが変わる」この言葉の通りになる。
その、「何か」を見つけるために、初めに必要なことこそが挑戦なのかもしれない。
おじさんになると、1年があっという間に過ぎる。今日が人生で一番若い日だ。人は今しか生きられない。だから挑戦してほしい。君はおじさんになって、まったく踏み入れたことのない新しい領域に挑戦することになる。具体的には、MTBで全国各地のレースを走ることになる。
初めは周りから懐疑的に見られて、見ず知らずの人から心無い言葉を言われることもある。初めは、会場に行っても知り合いはほとんどいないだろう。ただ、愚直に続けていれば物事は良い方向に変わってくる。会場でも声をかけられるようになる。不思議な体験だ。
それでもMTBをやろうやろうと思ってはや5年が経ってしまった。今では、もう少し早くから初めておけばよかったと、後悔しているほどだ。しかし、やらなければ一生後悔し続けただろう。おじさんになったからこそ、身体が動くうちに新しい領域に挑戦してほしい。
おじさんのステージが上がっていけば上がっていくほど、「何かに挑戦するおじさん」の個体数は減ってくる。挑戦するのは、レアおじさんだ。希少価値が高く、珍しがってくれる。一方で、多くのおじさんたちが日々変わり映えのない生活をして、人生を終えていく。それも否定しないし、ひとつの生き方だとは思う。しかし、まだ若いころの君はそんなことを望んでいないだろう。
フィジカル面で高いパフォーマンスを出せる残りの時間はそこまで長くない。だから、体が動くいまだからこそ、やれることをやってほしい。
おじさんになった君は、ぎりぎり抱っこできる重さに成長した娘を、毎日おんぶしたり肩車したりしている。そんな、かけがえのない時間も確実に終わりへ向かって進んでいる。「できる」いまのうちだけが、華なのだ。
残り時間が少なくなる
おじさんになると、残りの時間で何ができるかを考えるようになる。
残りの時間とは、人生であったり、パフォーマンスが出せる身体能力だったり、気力だったりと様々だ。ただ、若いころと比べて確実に得体のしれない「何か」の終わりが近づいてくるという終わりの感覚がある。
残り時間は自分が考えているよりも短く、すぐにでもやってくる。いま、取り組むことが可能であれば、できるだけやっておいたほうがいい。私はMTBをやろうとずっと思っていた。フィジカルがある程度高いうちに走りたいと思っていた。残り時間を意識し始めたからこそ、実行に移せたというのもある。
やらずに後悔することはあるが、やって後悔しても経験が残る。ただ、その行動に移せる時間は日々短くなっていき、だんだんと実行に移すのが困難になっていく。残り時間を考えて何ができるのか、何がしたいのかをリストアップするといい。そこから優先度をつけてひとつひとつやっていけばいい。
残り時間を意識することで、スマホを見たりSNSに一喜一憂したり、くだらない人付き合いに時間を割くという余計な行動は減るだろう。
まとめ:おじさんにならないために
ここまでおじさんについて話をしてきた。おじさんとは、非常にやっかいな生き物だと気づいたと思う。さらにおじさんのレベルが上がっていくと、最終的には「老害」なんていう最上位クラスタに昇格する可能性だってある。では、おじさんにならないためには、どうしたらよいのだろうか。一緒に考えてみてほしい。
わたし自身、おじさんにならないためには何が必要なのかと、考えていた。注意深く、おじさんになっていきそうな自分を俯瞰して気づいたことがある。ようは、「おじさんらしくない」おじさんになればいいのだ。では、おじさんらしくない、とはどういうことだろうか。
わたしが導き出した、ひとつの答えは「柔軟である」これに尽きる。
逆説的に言えば、柔軟でなくなると典型的な最終形態のおじさんになってしまう。例えば以下の例のように。
- 昔は通用したから今も通用するはずだおじさん
- 俺は長年このスタイルで生き残ってきたおじさん
- 自分の思い通りにしたがるおじさん
- 人の話や都合に耳を傾けないおじさん
- 勝手に物事を進めてしまうおじさん
- 他者のやり方を受け入れないおじさん
- 怒れば要求が通ると思っているおじさん
柔軟性のかけらもない。要するに、おじさんとはアップデート切れになったソフトウェアみたいなものだ。昔は正しく最新だと考えられていた仕組みから、現代の新しい仕組みや、誤りのバグ改修などを盛り込む余地が一切無くなってしまった状態なのだ。
せっかく「アップデートを作りました!」とおじさんの前に持ってきても、おじさんは「いまのままでいい、そういうのは受け入れられない」と硬い頭で拒否し、対応しようとしない。
過去の成功体験に囚われず、様々なアップデートを柔軟に受け入れる必要がある。柔軟に物事を受け入れて行動すれば、「おじさんらしくないおじさん」になれると思う。
「おじさんらしくない=柔軟である」
これは、頭の片隅に置いてほしい。
少なくとも、20代の君にはおじさんになってほしくはない。しかし、生物として生きていくと、かならずおじさんになる日が訪れる。そのときまでに、おじさんを理解し「おじさんらしくない」おじさんになれるよう、目の前の世界を柔軟に迎い入れてほしい。