バイクを乗りやすくした2つの機材:S-WORKS TARMAC SL9の代償か?

スポンサーリンク

速さに関係のない部品を、変える必要があった。

S-Works Tarmac SL9で約1,000kmを走るあいだに、私が必要に迫られて交換したのは、速さとは何の関係もないバーテープとチューブだった。フレームセットから組み上げた時点で、性能に不足があるとは一切考えていなかった。

コンポーネントはDURA-ACE Di2、ホイールはRoval Rapide CLX III、タイヤはPirelli P ZERO Race SLR、コクピットはRapide Cockpit、サドルはS-Works Power with Mirror。完成車重量は約6.6kgである。

軽さ、空力、変速性能、ホイール剛性、タイヤの転がり。そのどこにも、SL9の能力を妨げる要素は見当たらない。S-Worksのフレームが持つ性能を確かめるには、十分すぎる構成だったと思う。

それでも、最初に手を入れたのは2つの接点だった。2.5mm厚のバーテープを3.0mm厚のSilicaGripへ巻き替え、TPUチューブをVittoria ラテックスに変えた。

シリコンバーテープ レビュー:高グリップ、高耐久、厚みも自在のシリカグリップ
J.ROADのシリコン100%バーテープ「SilicaGrip」を実走レビュー。高いグリップ力と振動をいなす快適性に加え、巻き方で厚みを自在に調整できる扱いやすさが魅力です。長距離走行での疲労軽減や裏面糊なしのメリットなど、その価値を詳しく解説します。
スポンサーリンク

最高峰のバイクに必要な0.5mm

その0.5mmは、SL9の速さを生む性格そのものが、手のひらにまで届いていた証拠である。

速度を上げるための変更ではない。重量を削るためでも、空気抵抗を減らすためでもない。ただ、手のひらへ伝わる刺激を和らげるためだけの変更だった。

数百グラム、数ワットを巡って設計されたバイクに対して、私が施した最初の改良は、ミリ以下の柔らかさだった。この逆説こそが、1,000kmを走って見えてきたSL9の得意と不得意、その両方への入口だった。

SL9に期待していたもの

私が期待していたのは、SL8の優しさを保ったまま速さだけを上乗せした、正統進化のTarmacだった。

SL8には、軽さと空力だけでは説明できない完成度があった。必要なときには素早く加速し、ワインディングでは正確に曲がり、それでいて長距離では乗り手を必要以上に疲れさせない。

SL7からSL8への世代交代で快適性の向上が明確に体感できた、という評価は国内外のメディアでほぼ共通している。

メーカーの発表もその期待を後押しした。SL9の変更点は、ヘッドチューブ、フォーク、シートポストの空力形状の見直し、シートチューブ後方でタイヤとの隙間を埋めるWin Finの追加、そして深い前面形状を実現するためのオフセットステアラーの採用に集約される。

ジオメトリはSL8とほぼ同一で、変更は54サイズにおけるトゥオーバーラップ対策のみとされる。

設計者によれば、フレームのどのプライも構造と剛性の両方を担う二重の役割を果たしており、それが軽量と剛性目標の両立を可能にしたという。SL8で高い水準に到達していたTarmacが、次の世代で何を変えたのか。

私は記事の書き手としてだけでなく、ひとりの乗り手としてもそれを確かめたかった。

そこで、山岳、ヒルクライム、平坦路、ワインディング、200km超のロングライド、荒れた舗装と、ロードバイクが実際に使われるあらゆる環境へSL9を持ち出した。そして最初の数kmで、予想していなかった感触に出会った。

SL9は速かった。

しかし、速さを理解するより先に、その硬さが身体に届いた。

スポンサーリンク

SL9の輪郭

数値の上では、SL9はSL8とほぼ同じ重さ、同じ剛性目標、わずかに優れた空力を持つバイクである。

まず、わたしの体験がどの条件で得られたものかを明示しておく。比較対象として繰り返し登場するSL8は、長らく所有し、同じ道を長く走り込んできた車体だ。

ただしSL8とSL9で全ての構成部品が同一ではないため、以降で述べる差はフレーム単体の差ではなく、車体全体の差として読んでいただきたい。

項目 内容
フレーム S-Works Tarmac SL9(FACT 12r Carbon)52サイズ
コンポーネント Shimano DURA-ACE Di2
ホイール Roval Rapide CLX III
タイヤ Pirelli P ZERO Race SLR(空気圧4.0bar)
チューブ TPUからVittoria ラテックスに変更
コクピット Roval Rapide Cockpit
サドル S-Works Power with Mirror
完成車重量 約6.6kg
バーテープ 2.5mm厚から3.0mm厚へ途中で変更
走行距離 約1,000km(約3か月)
走行環境 山岳、ヒルクライム、平坦路、ワインディング、ロングライド、荒れた舗装

参考として、SL9の主要な値を整理する。

項目 公表値
フレーム重量(公称) 687g
SL8フレームとの重量差 +2g
空力(対SL8) 45km/hで4W削減
前面投影面積 約10%削減
剛性・コンプライアンス目標 SL8と同一の目標値
タイヤクリアランス 32mm
完成車実測重量 6.49kg

剛性目標がSL8と同じ

公式の設計思想において、SL9はSL8より硬くも柔らかくもないバイクとして作られている。

メーカーは剛性とコンプライアンスの目標値をSL8と同一だと明言している。重量差は2g、ジオメトリもほぼ同一。数値だけを並べれば、両車は同じバイクの二つの版にすぎない。

ただし、目標値とは特定の測定方法、特定の荷重方向で得られる値だ。

フォークとヘッドチューブの断面を大きくし、オフセットステアラーという新しい構造を採用したSL9が、同じ目標値の中でどのように剛性を分布させているかまでは、公表値からは読み取れない。

この前提を頭に置いたうえで、私の身体が受け取った感触を記していきたい。

風洞の4W

SL9の空力は、オールラウンダーとしては最上位だが、絶対的な最速ではないことを示している。

TOUR誌の風洞測定では、SL9は同誌基準の条件で205Wを記録し、SL8比で4Wの改善が確認された。ただし同誌は、その改善のうち約2W分は新型Rovalホイールによるものと分析している。フレーム周りの純粋な改善は、残りの2W前後ということになる。

また、専用エアロバイクの最速値は195Wであり、SL9はそれに10W及ばない。軽さを捨てずに空力を詰めたバイクとして見れば優秀だが、空力だけを追求したバイクの領域には踏み込んでいない。この数値の構造は、後述する平坦路での体感とも矛盾しない。

スポンサーリンク

短くなった時間

SL9の本質は、入力から推進までの時間をSL8よりはっきりと短くしたことにある。

ペダルを踏み込んだ瞬間、SL9は前へ出た。脚が加えた力をフレームが受け止め、車体全体へ伝え、前進へ変えるまでの過程が圧縮されたように感じられた。重量でも空力でもない、時間という軸での進化である。

踏み込む瞬間

踏力が推進力へ変わるまでの遅れが極めて小さくなった。待つ時間が消えた。

発進時だけではない。低速からの再加速でも、30km/hを超えてからの加速でも、反応は速かった。

コーナー出口でペダルを踏み直したとき、先頭へ出るために速度を上げたとき、短い勾配変化でダンシングへ移ったとき、SL9は乗り手が次に何をしようとしているのかを、すでに知っているかのように動いた。

強く踏めば進むという単純な話ではない。踏み込んでから車体が動き出すまでの遅れが小さいことが、実際の重量以上の軽快感を生み出している。

スプリントでは、その性格がさらに鮮明になる。シッティングから腰を上げ、バイクを左右へ振りながら踏み込むと、後輪だけが力を受けるのではなく、フロントからリアまでの車体全体が一つの塊となって前方へ押し出される。

SL8も反応の鈍いバイクではない。しかし、SL9に乗った直後にSL8へ乗り換えると、その反応に一呼吸あるように感じられた。その一呼吸を取り除いたことが、SL9の進化なのだと私は理解した。

剛性目標がSL8と同一という説明は、乗り比べるまではマーケティングの言葉に聞こえていた。私の身体には、SL9の方がより硬く、よりダイレクトで、車体と繋がった感覚として届いた。

一方で、両車の乗り味は極めて近く、SL8オーナーが乗り換えても大きな差は感じにくいとする評価も少なくない。評価が割れているという事実そのものが、この差が計測器ではなく、「身体の側」に現れる種類のものであることを物語っていた。

この時点では、まだ気づいていなかった。SL9が短くしたのは、ペダリングに反応するまでの時間だけではなかったのである。

重量は同じ、しかし登りは軽い

登りの軽快さを生んでいるのは重量ではなく、踏力への応答の速さである。

フレーム単体で見れば、SL9はSL8より2g重い。

つまり、登りで感じる軽快さの根拠を重量に求めることはできない。それでも、勾配が強くなる瞬間、前を走るライダーとの差が開く瞬間、コーナーを抜けた先に短い斜面が現れる瞬間に出力を上げると、SL9は間を置かずに応える。

踏み込んだ直後から車体が持ち上がるような感覚がある。ダンシングへ移っても車体の動きが遅れず、自分のリズムにバイクが追従する。短い時間であれば、勾配の変化をそのまま勢いへ変えられる。登坂性能は重量だけの指標ではない、というのが私の結論である。

ただし、すべての登りが得意なわけではなかった。長い登りで一定の出力を維持し続けると、短いアタックで感じた鋭さは次第に背景へ退いていく。反応の速さは失われていない。

しかし、反応させるための変化を乗り手が与え続けなければ、その性能は前面に出てこない。

疲労が蓄積し、ダンシングの回数が減り、ペダリングが一定になるほど、SL9の鋭さを生かせる瞬間も減っていく。短い登りではSL9が乗り手を先へ連れていく。長い登りでは、乗り手がSL9の性能を引き出し続けなければならない。

得意と不得意の境界は、勾配ではなく距離の中にあった。

巡航か加速か

SL9が平坦で真価を発揮するのは、穏やかな巡航ではなく、速度変化の多い高速走行である。

印象的だったのは、速度維持そのものより、目的の速度へ到達するまでの速さだった。信号から巡航速度まで上げる。コーナーで落とした速度を取り戻す。集団の後方から前方へ移動する。先頭へ出て、向かい風の中で速度を引き上げる。

こうした場面で、SL9の反応性は明確な利点になった。

ペダリングの強度を一段上げると、車体もほぼ同時に速度を上げる。軽量ロードのように反応しながら、速度が上がるとエアロロードのように落ち着く。向かい風の中でも、入力を増やした分だけ前へ進む感覚がある。

一方で、一度速度に乗ったあとの維持性能は、加速ほど劇的ではなかった。

高い水準にはあるが、何もせず速度が保たれるような感覚ではない。これは、専用エアロバイクに10W及ばないという風洞の数値と整合する。SL9の魅力は慣性で進み続けることではなく、必要な場面で速度をつくり直せることにある。

向かい風には強さを感じたが、横風への対応は特別に優れているとは感じなかった。Rapide CLX IIIを含めた車体全体が横から風を受ければ、相応に慎重な操作が必要になる。

ハンドリングの差

差が現れたのは最初の倒し込みではなく、コーナー内での二度目の操作だった。

シクロクロスやMTBに乗るようになってから、ハンドリングやバイクの挙動が以前より見えるようになった。低グリップの路面で前輪の接地を探り続ける経験は、舗装路での操作に対する感度を明らかに変える。

その目で見たSL9は機敏だったが、倒し込みの最初の動きが極端に鋭いわけではない。わずかな操作に過敏に反応する神経質さはなかった。ジオメトリがSL8とほぼ同一である以上、これは当然の結果でもある。

違いが現れたのはその次だった。コーナーへ進入し、ラインを決めたあとで修正を加える。路面の荒れを避けるために通過位置を変える。予想より回り込んでいたコーナーで、さらに内側へ向きを変える。

こうした二度目の操作に対して、SL9は素早く反応した。

フロント周辺の剛性感が高く、ハンドルへ加えた操作が前輪の動きへ直結する。入力と旋回の間に曖昧さが少ないため、ワインディングでは狙った場所を通しやすい。

TOUR誌も、SL9はコーナーへ素直に入り、車体の下で何が起きているかを豊富なフィードバックとして乗り手へ伝え続けると評している。高速コーナーでも車体は安定し、ブレーキング中の挙動にも大きな不安はなかった。

しかし、路面が荒れ始めると、その印象に小さな影が差した。前輪は実際にはグリップしている。それでも、路面から伝わる衝撃が強いと、身体は一瞬だけ緊張する。接地しているという事実と、乗り手が接地を信頼できる感覚のあいだには差が出始める。

TOUR誌が肯定的に表現した豊富なフィードバックは、裏を返せば選別されていない情報でもある。ハンドル操作が前輪へ伝わるまでの時間が短いのと同時に、路面からの入力が手へ届くまでの時間もまた短かったのである。

スポンサーリンク

100km以降の身体

SL9は路面の情報を隠さず、その正直さは100kmを超えたあたりで上半身の疲労として現れた。

整った舗装では、SL9の硬さは反応性として現れる。ペダリングへの即応性になり、ライン変更の正確さになり、高速域での一体感になる。路面が滑らかであるほど、SL9の長所は純粋な速さへ変換される。しかし、荒れた路面では性格が反転する。

荒れた路面

SL9は、大きな衝撃だけでなく、舗装の小さな凹凸の一つひとつまでを手のひらへ届けてくる。

舗装の継ぎ目、細かなひび割れ、補修跡、連続する凹凸。そうした入力がフォークからコクピットへ伝わり、手、上腕、肩に蓄積していく。問題は、大きな段差を越えた一度の衝撃ではない。

一つひとつは小さくても、数時間にわたって途切れなく続く振動が、身体を少しずつ削っていく。

この段階で、私はSL8を思い出していた。SL8も路面から切り離されたようなバイクではない。それでも同じような荒れた舗装を走ったとき、入力の角がわずかに丸められているように感じられた。

SL9は、その丸みを取り除くことで速い反応を得ているのではないか。そう考えると、初乗りで感じた硬さと、加速時に感じた鋭さが、同じ線上に並んで見え始めた。

100kmの先に

先に限界を訴えたのは脚ではなく、ハンドルを支える上半身だった。具体的には上腕と肩まわりだ。

ロングライドの序盤、SL9の性能は心強かった。巡航速度へ乗せやすく、勾配が現れても素早く反応する。ワインディングではラインを修正しやすく、先頭へ出ても速度を保ちやすい。

同じ距離を短い時間で走れるなら、身体への負担も減るはずだと考えていた。メーカー自身も、100kmのグランツール想定コースでSL8より28秒速いというシミュレーション結果を示している。

ところが、100kmに近づいた頃、脚とは別の場所に疲労が現れた。手のひらが疲れ、上腕が重くなり、肩に力が残り始めた。脚にはまだ走る余力がある。それでも、ハンドルを支える上半身が少しずつ消耗していく。

荒れた路面を通過するたびに、その疲労が意識の表面へ浮かび上がった。

上半身の疲労は、上半身だけの問題では終わらない。肩に力が入れば呼吸が浅くなり、手のひらの痛みを避けようとハンドルを握り直すたびに、ペダリングのリズムがわずかに乱れる。

28秒というシミュレーションは、ライダーの出力が一定であることを前提にしている。しかし現実のライダーは、100kmを超えた地点でハンドルを”握り直す”のだ。シミュレーションが扱わないその変数の中に、0.5mmの理由があった。

2.5mmでは足りない

フロントからの入力が明瞭なSL9では、接点で入力を受け止める余裕が長距離の疲労を直接左右する。

わずか0.5mm厚くしたところで、SL9の速さが変わるわけではない。フレームの反応性も、フォークの剛性感も、コクピットの性格も根本的には変わらない。それでも、接点にある小さな余裕は必要だった。

SL9では、タイヤ、空気圧、グローブ、バーテープ、ポジションといった要素の意味が大きい。もともとフロントから伝わる入力が明瞭であるため、それを最後に受け止める層の性質が、そのまま数時間後の身体の状態になる。

タイヤクリアランスは32mmまで確保されているため、より太いタイヤと低い空気圧という選択肢も残されている。その中でバーテープの厚みは、最も手軽で、最も可逆的な調整だった。巻き替えればすぐに試せ、合わなければ元に戻せる。

バーテープを厚くしたのは、SL9の欠点を完全に解消するためではない。SL9の得意分野を維持したまま、不得意分野が表面化するまでの時間を少しでも先へ延ばすためだった。

スポンサーリンク

得意と不得意は同じ根から

SL9の長所と短所は別々の性質ではなく、反応までの時間を短くしたという一つの設計判断の表と裏である。

1,000kmを走るまでは、私はSL9の得意と不得意を別々に数えていた。加速が速いことは長所、上半身が疲れやすいことは短所。ライン変更が正確であることは長所、荒れた路面で硬く感じることは短所。しかし距離を重ねるほど、その分け方に違和感が生まれていった。

設計上の同一、身体が感じた差

SL8とSL9の剛性値は同一、しかし身体はそうは感じない。

どちらかが誤っていて、どちらかが正しいのだろうか。いや、そう単純な話ではなかった。どちらも正しく、両者は異なる「時間の尺度」で同じバイクを測っているにすぎなかった。

メーカーは剛性・コンプライアンス目標がSL8と同一だと明言し、海外メディアの多くもリアの快適性はSL8と同等かそれ以上だと評価している。私の体験は、これと部分的に食い違っている。

ただ注意深く読むと、多くのメディアが言及している快適性はシートポストとサドルを含むリアに関するものであり、私が硬さを感じたのはフォークからコクピットに至るフロントである。

練習仲間からSL9について聞かれると、私はいつもフロントの硬さばかりを話していた。

SL9はフォークとヘッドチューブの表面積を増やし、深い前面形状を得るためにオフセットステアラーを新たに採用した。剛性の目標値が同一であっても、それをどの断面で、どの荷重方向で測るかによって、乗り手が感じる硬さの分布は変わりうる。

また、私が比較しているのはフレーム単体ではなく車体全体であり、所有するSL8とはホイールやタイヤも異なる。手のひらへ届く振動の何割がフレーム由来で、何割がホイール、タイヤ、コクピット由来なのかを、実走で切り分けることはできない。

したがって私の結論は、SL9はSL8より硬いという単純な断定ではない。この構成で1,000km以上を走った限り、フロントからの入力は明瞭で、100kmを超え、200kmに及んでくると上半身への蓄積として現れた、という体験の報告である。

とはいえ、体験は数値の下位にあるわけではない。

計測器が一瞬の静的な値を測るのに対して、身体は時間の積分値を測る。数日間の試乗で得られる印象と、1,000kmを走り込んだあとに残る印象は、同じバイクについて異なる真実を語ることがある。

短時間では見えない差が、時間を積み重ねて初めて姿を現すのである。

距離を重ねるほど、差は広がる

SL9の長所は短時間で先に見え、SL8の長所は長時間で遅れて見えるという時間差がある。

SL9に乗る前、私はSL8との違いは小さいと想像していた。乗り慣れれば最初の違いは薄れ、共通する部分が見えてくるだろうと。実際には逆だった。距離を重ねるほど、違いは鮮明になっていった。

SL9は、発進、再加速、スプリント、短いアタック、ライン変更といった、短く強く明確な入力ほど優位性を示す。SL8は、細かな振動や段差の衝撃を上半身へ蓄積させにくく、100kmを超えてからも身体に余裕を残しやすい。

SL9は速さを分かりやすく提示し、SL8は疲労を目立たないところで抑えている。

この時間差が、両車の評価を難しくしている。多くのメディアが試乗をもとに「差は小さい」と自信をもって結論づけていたのは、短時間という窓から両車を見ていたからではないか、と私は考えている。

最初の10kmだけならSL9を選びたくなる。100kmを超えた地点では、SL8の価値を思い出す。どちらかが全面的に優れているのではなく、速さを生み出す方法と、その速さを維持するための考え方が異なっているのである。

長所と短所を切り離せるか

切り離すことはできず、できるのは設計者による配分の選択と、乗り手による接点での調整だけである。

ペダリング入力を素早く推進力へ変える剛性感が、路面からの入力も素早く身体へ伝えていた。ハンドル操作を正確に前輪へ届けるフロント周辺の剛性が、細かな振動や大きな衝撃も明瞭に伝えていた。

短いアタックで車体を軽く感じさせる反応性が、長い登りでは乗り手に入力を求め続けていた。速度を素早くつくる能力が、長距離では乗り手を必要以上に速く走らせ、脚とは別の場所へ疲労を蓄積させていた。

これは物理的にも自然な帰結だと思う。

フレームは入力の方向を選ばない。ペダルから加えられた力を効率よく伝える構造は、路面から加えられた力もまた効率よく伝える。伝達効率の高さは、伝えている内容の善し悪しを問わない。

設計者にできるのは、どの方向の剛性をどれだけ確保し、どの方向にしなりを残すかという配分の選択だけであり、SL9はその配分をわずかに速さの側へ寄せたように、私には感じられた。

得意分野を取り除けば、不得意も弱まるかもしれない。しかし、それではSL9である意味まで薄れてしまう。

私が欲しかったのは、SL9をSL8へ近づけることではなかった。SL9の反応性を残したまま、”長距離での負担をわずかに抑えること”だった。だから、フレームではなく、手のひらとハンドルのあいだにある0.5mmを、そしてラテックスを選んだのである。

最初に交換したバーテープ、次に交換したラテックは単なる快適性対策ではない。SL9の得意と不得意を、同時に受け入れるための調整だった。

スポンサーリンク

S-Works SL9を選ぶ価値

S-Works Tarmac SL9を選ぶ最大の価値は、総合性能の高さ以上に、乗り手の意思を遅れなく動きへ変える応答性にある。

登りでも平坦でも速く、ワインディングでも正確に動く。軽さ、空力、加速、操作性、高速安定性のどれか一つに特化するのではなく、すべてを高い水準で成立させている。

TOUR誌がオールラウンダーの中で明確な上位と位置づけ、ほぼあらゆる状況で輝くレースバイクと評したのは、この総合性ゆえだろう。しかしS-Worksを選ぶ意味は、総合点の高さだけでは説明しきれない。

SL9が最も速いのはどんな瞬間だろうか。

乗り手が加速する、前へ出る、ラインを変えると決めたその瞬間だ。

短いアタック、コーナー出口からの再加速、高速域からのスプリント、先頭へ出るための加速、ワインディングでのライン修正。時間が短く、意思が明確な入力に対して、SL9は非常に強い。SL9は乗り手の意思を正確に増幅する。

そして同時に、路面から届く入力もまた、隠さず乗り手へ返してくる。

速さの方向には素早く、快適性の方向には寛容ではない。それが、1,000kmで見えてきたSL9の輪郭である。

得意と不得意

短く明確な入力の場面は得意、長時間にわたって身体を守る場面は不得意と整理できる。

場面 SL9の評価 備考
発進・再加速 得意 入力から加速までの遅れが極めて小さい
スプリント 得意 車体全体が一体となって前へ出る
短い登り・アタック 得意 重量以上の軽快感。フレーム重量はSL8比+2g
長い登りの一定ペース やや不得意 乗り手が入力の変化を与え続ける必要がある
平坦の速度変化 得意 30km/h以上からの加速に余裕
平坦の速度維持 良好 高水準だが加速ほど劇的ではない
横風 普通 ホイール込みで慎重な操作が必要
コーナーのライン修正 得意 フロントの剛性感が操作を前輪へ直結
荒れた路面(短時間) 普通 情報を選別せずすべて返してくる
荒れた路面(100km超) 不得意 上半身への疲労が脚より先に蓄積

選ぶべき人

入力から動き出すまでの短さに価値を感じるライダーにとって、S-Works SL9は特別な一台になる。

レースで勝負所の加速を必要とするライダー、集団内での位置取りやアタックの応酬を走るライダー、ワインディングで狙ったラインを通す感覚を楽しみたいライダーには、SL9の鋭さが明確な武器になる。

一方で、ロングライドを中心に走り、荒れた路面での快適性を重視するなら、その鋭さは必ずしも最優先ではない。100km以降の余裕を求めるのであれば、SL8やSL9 Compの方が合理的な選択になる可能性もある。

S-WORKS SL9は、高価だから誰にでも優れているバイクではない。乗り手が何を求めるかによって、長所の価値も、短所の重さも変わるバイクである。

見直すもの

フレームを疑う前に、手のひらとハンドル、タイヤと路面という「二つの接点」を見直すべきである。

SL9の性格を消さずに長距離での負担を抑えるために、私が有効だと考える調整の順序を挙げておく。いずれも速さをほとんど犠牲にせず、元に戻せるものから並べた。

  1. バーテープの厚みを見直す。2.5mmで手のひらに刺激が残るなら、3.0mm前後を試す価値がある。
  2. チューブの材質を見直す。フロントだけでもラテックスチューブに変えると、振動の角が取れる。
  3. タイヤ空気圧を見直す。フロントだけでもわずかに下げると、入力の角の丸まり方が変わる。
  4. タイヤ幅を見直す。32mmまでのクリアランスを生かし、太めのタイヤと低めの空気圧を組み合わせる。
  5. ポジションを見直す。ハンドルへの荷重が大きすぎないか、100km以降の上半身の状態で確認する。

試乗の数十分では、これらの必要性は見えないかもしれない。だからこそ、購入後の最初の数百kmで、自分の身体がどこから疲れ始めるかを観察してほしい。その場所が、あなたとSL9のあいだに必要な余白の位置である。

S-Works Tarmac SL9で約1,000kmを走り終えたとき、最も強く残ったのは、最高速度でも登坂タイムでもなかった。最初に交換した、バーテープの0.5mmだった。

2.5mmから3.0mmへ。その小さな変更には、SL9というバイクの性格が凝縮されていた。鋭い加速と強い衝撃。正確な操作と明瞭すぎる路面入力。短い登りでの軽快さと、長い登りで乗り手へ求める入力。

それらはすべて、反応までの時間を短くしたことから生まれていた。

SL9は欠点のない万能車ではない。

むしろ、何を優先し、何を譲ったのかが明確にした究極のロードバイクである。その割り切りを理解したとき、最初に感じた硬さも、100km地点で現れた疲労も、2.5mmでは足りなかった理由も、すべてが一つにつながった。

S-Works Tarmac SL9は、いつでも乗り手に優しいバイクではない。しかし、乗り手が速さを求めた瞬間、その意思を最も早く理解してくれる。0.5mmの余白は、その鋭さともう少し長く付き合うために、私が自分の手のひらに用意した答えだった。

実際に使ったバーテープとラテックスチューブ↓

Ads Blocker Image Powered by Code Help Pro

広告ブロックが検出されました。

IT技術者ロードバイクをご覧いただきありがとうございます。
皆さまに広告を表示していただくことでブログを運営しています。

広告ブロックで当サイトを無効にして頂き、
以下のボタンから更新をお願い致します。