パワーメーターなんていらない。

という議論は、パワーメーター黎明期にもやはり存在していた。そして、最終的には同じ結論に達している。よく言われるのは、「パワーメーターを使っても強くなれない」だとか「数字だけ見ていても意味はない」といったような話は言われ尽くしている。言ってしまえば、パワーメーターは使う人にとっては、豚に真珠にもなりうるし鬼に金棒にもなりうる。

パワーメーターの使用の是非を問う様々な議論は存在するものの、人によってパワーメーターが合う合わないはやはり存在している。パワーメーターはトレーニングをおこなう上で最も有効なデバイスだと言えるが、全てのサイクリストがワットという指標をうまく扱えるかどうかは別問題、と結論づけている。

要するに、「何を指標にして、強くなったとするか」の方法論に関する議論である。

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何をもって、強くなったとするか

パワーメーターは自然界の力学的法則に則って、無機質な「絶対値」としてパワー(ワット)を表示してくれるただの「測定器」である。理系の皆さんは、オシロスコープ(私はアンリツを愛用)や、テスター、通信系の皆さんはパケットアナライザなと、人間が測り得ない物事を測定器は「数値化」してくれる。この測定器で得られた値は、世界中どこで扱っても、同じ意味として扱うことができる。

この「普遍の値」という存在自体が、もっとも重要な価値を持っている。

1ワットは日本だろうが、アメリカだろうが、フランスだろうが、世界中で1ワットだ。しばしば、パワーメーター自体の測定精度について議論されるのはこの為だ。万国共通の指標として扱うことで初めて意味をなす「測定器」なのだから、そもそも測定値がズレることは、正確な実験データーを扱う上で許容できない。

例えば、ピアノは湿気や経年変化で音が変化してしまうから、定期的に調律を行う。基準となる音がバラバラでは、良い曲も聞くに堪えない。ピアノ本来の美しい音色が、汚くなってしまわないように、この汚くなった音色を調律する。パワーメーターも同じように使用する度に、ゼロ点校正を行う。1ワットという、毎秒1ジュールに等しいエネルギーを生み出す、「仕事率の1ワット」を正しく響かせなくてはならない。

測定精度が低く、狂った値でパワーを測定することなど、調律が取れていないピアノで音を奏でるようなものだ。

話は戻るが、本質を見誤らなければ「測定器」は測定するだけの器で、「強くなること」とは全く関係ないことは理解できる。「パワーメーターさん」からしてみれば、踏力(とうりょく)をワットに換算しているだけである。測定器の役割は、「忠実に、ありのままに計測し、数値を返すこと」のみである。それ以外の使いみちはない。ただし、その「確からしい値」をどのように扱い、活かすかかが、測定者側に問われている。

ありがちなのが、「測定器を使えたことによる満足感」を得て終わる場合だ。これは、いままでわからなかった物事が数値化され、目の前で可視化(ワットという数値)できていることに対する、「テクノロジーへの感動」が大きい。過去に通信技術を教えていたことがあるが、大抵7割がこのテクノロジーの感動で満足して、それ以降の探究心は尽きてしまう。

まれに、優秀なエンジニアたちは測定器に興味を持たず、実験対象(たとえば選手)から得られる様々な数値データーの集合体に興味を持つ。実験対象に様々な変化を与えつつ、長時間、長期間データーをとり続る。

取得したデーターから実験対象の傾向や、様々な改善点を見つける。彼らが試しているのは、データーをとること、データーの解析をおこなうことだ。まちがえてはいけないのは、測定器を使うことではなく、得られたデーターをどう料理するかである。

測定器のデーターは様々なことを教えてくれる。「何かしらの傾向」や、対象の癖を見つけたり、様々な負荷を複数の実験対象かけて、優秀な個体を選別することもできる。または、改善のためやパフォーマンスが何%アップしたかなど、傾向も知ることができる。

それらを測定する対象で繰り返すことで、データーは蓄積されていく。データーから、実験対象(選手)の改善に活用したり、弱点(10分後から大幅に出力が低下する)といった傾向も読み取ることができる。測定器とは、取得したデーターを活用しないと、ただの箱でしかない。私は、測定器(パワーメーター)と測定される側(選手)の関係を次のように定義している。

  • 変化するもの:選手
  • 変化しないもの: 測定器

この変化しないもの(指標)と、変化するものの関係があるからこそ、「何を持って強くなったとするか」を定義することができる。選手は能力が上がると、生み出すパワーは向上する。しかし、最新型最新鋭の測定器にを使ったとしても、得られるデーターに旧モデルとの差異はない(精度は高まるかもしれないが)。残念ながらサイクリストを喜ばせるような「お世辞パワー」ももちろん表示されない(笑。

では、「何を持って強くなったとするか」の議論についてだ。ここでやっと過去の自分と比べてどうであったかという、相対的な評価で数値データーを扱う事ができる。1年前に20minで200Wしか完遂できなかったのが、今年は20min 250Wできるようになった。これは「過去の自分と比較して相対的に強くなった」と定義できる。ただし、測定器からみると250Wは250Wでしかないので、250Wは250Wだ。250Wという数値でしかない。

とすれば、「変化するもの」と「変化しないもの」の組み合わせから、「何を持って強くなったとするか」が定義できるとするのならば、パワーメーター以外の方法でも良い、ということになる。1つ現実的なのが、峠の区間タイムだ。ここで、アスファルトの質だとか、天候、空気抵抗の話はしない。それなら、室内でパワーメーター使っていればもっとも精度が高い。

実は、私の監督はパワーメーターを捨てた。理由は過去40年にも及ぶ膨大なコースのタイムデーターを軸に練習している。ここまでくると、天候や、風邪、ローテ等様々な「ビックデータ」だから精度は相当高い。パワーメーターが無くとも、峠のタイムで「何を持って強くなったとするか」を体に刻むことができている。

ただし、峠のタイムアタックの場合は「何を持って強くなったとするか」に少しばかり誤差が発生する。体重からくるウェイトレシオだったり、風が強かったり、コースのトレースだったり、ドラフティングだったり、外的要因が多く左右する。これらを考慮できれば、パワーメーターでなくとも、普遍の峠を軸に、タイムアタックを繰り返せば良い。

一方で別の見方をすると、峠のタイムは減量したことでも短縮できるから、減量面でも1つのモチベーションになる。特にヒルクライマーは減量、パワー向上を考えなくてはならないから、実は峠のタイムアタックの方が総合的にメリットが大きいのかもしれない。対してパワーメーターは体重増加により出力が向上することもあるから、一概に良い指標とは言えない場合もある。

そう考えると、何をもってして強くなったとするかの方法論は、パワーメーターでもいいし、峠のタイムでも良い。変化する身体に対して、一定の指標(峠のタイムや出力)があればよい。しかし、ハートレートセンサーは「変化するもの x 変化するもの」の組み合わせだから、単体での使用することはあまり良い指標とは言えない。

ただし、心拍計はパワーメーターと合わせて用いると、途端にその価値を増す。同一出力でも、トレーニングを重ねることで次第に心拍数が上がらなくなっていく傾向が見ることができれば、心肺機能が向上しているとデーターから読み取れるからだ。

私はパワーメーターも峠のタイムも双方試してパワーメーターを選択した。というより、双方の指標を楽しんいる。ありとあらゆるパワーメーターを使ったが、パワーメーターはやはり必要だし追い込むためのツールとして、優秀な測定器だ。自分自身を実験台にして、自分自身に負荷をかける。それをパワーメーターで測定できる。どうだろう、デバイス好きや、トレーニング好きなら興奮しないだろうか。

まとめ:活かすも殺すもサイクリスト次第

私は「何を持って強くなったとするか」の基準をパワーメーターに委ねている。一人一人強くなるための基準は異なるが、「何をもって強くなったとするか」の基準は自分自身の中に持っておいたほうがよい。決して自己基準の、曖昧な評価にならないように注意したい。その基準に気づいた時、パワーメーターなのか、峠のタイムなのか、はたまた自分自身で生み出した基準なのかは、人それぞれ異なるだろう。

その時に、1つの手段としてパワーメーターを選択したのなら、それは正しい選択だ。そして峠のタイムを選択したとしても、手段として正しいだろう。もっとも自分自身に問わなければならないことは、パワーメーターは不要、必要という判断を、どのようなロジックによって導き出したのかである。

「猫も杓子もみんなパワーメーター使っているから、そういう人たちと一緒にされたくないので、私はカウンター的にパワーメーターを使いたくない」というのは的はずれな議論だ。「強くなりたい」という前提に、面白いパワーメータというデバイスがあるから、それを指標にする。それだけで十分である。

強くなるための基準が、峠のタイムだったり、パワーメーターだったり手段は様々だ。そして肝心の指標の中で身体に高い負荷をかけ”続け”る。そのための指標選びは、サイクリスト一人一人に委ねられている。