2023年に入ってから、優先度が高い勉強に時間を割いていた。大好きな自転車や、ブログ執筆なんてものは二の次になり、それでも時間の捻出に苦労した。
苦手な勉強に時間を費やすことは、この上ない苦痛だった。仕事と並行して学習は進めてはいたものの、思うように時間を捻出できず試験当日の朝ギリギリまで勉強し続けた。
シクロクロスシーズン真っ只中、全日本選手権も重なっていたため、毎朝5時に起きてローラーは欠かさなかったが、さすがに夜のインターバルメニューの時間”なんてものは”削って勉強に時間を費やした。
ある程度の事前知識がある資格の勉強と並行して、資産運用と今後の人生に関する勉強も行った。金融の知識が全くない私にとっては地獄だった。しかし、いまやり終えて今思うことは「いがいと、この歳で苦労することも悪くはないな」と思ったことだ。今年立てた目標を1月のうちにクリアしたする快感も格別だった。
今回の記事は「やる気」や「意欲」がない自分への戒めも込めて、次の挑戦への足がかりとして、挑戦への一歩を踏み出しやすくなるように記事にまとめた。
「歳を取ると忘れやすい」はウソ
この歳になると、「学習したことが忘れやすくなる」ということをよく聞く。しかし、現代の医学はそれを否定している。年齢を重ねても「若者と年配者の記憶力にはあまり差がない」ことがあきらかになっている。エビデンスは以下のとおりだ。
Reducing the Burden of Stereotype Threat Eliminates Age Differences in Memory Distortion
時間のない人のためにかいつまむと、「忘れやすくなるのは思い込み、そんなことないからやれ、ただし、やる意欲は歳とともに下がる」というものだ。
そして、脳の神経細胞は大人になっても増える場合がある。エビデンスは以下の通り。
最近ではアンデシュ・ハンセン氏の書籍「運動脳」の中で有酸素運動が脳を若返らせるという効果が報告されている。衝撃的なのは「脳トレは意味ない」という頭を使っても頭は良くならない、という結果だ。ただし、有酸素運動は脳を若返らせることができる。
結論:勉強する前に、運動しろ。
有酸素運動は脳が若替えるばかりか、暗記力も向上するという。というわけで、毎朝30分だけローラーを回して心拍を120~140bpmにしてから試験勉強をした。私にとっては、一石二鳥で確かに勉強がはかどった。
600問以上の問題を解きまくっていたが、2週間ほどで95%ぐらいは暗記することができた。これはおっさんになった今でも「ここまでできるんだ!」と感動して、楽しくなって、必要のない他科目の勉強をしたほどだ。
理解することと、暗記することは違うが「年齢を重ねると物覚えが悪くなる」はウソ(覚えないためのいいわけ)だということが、実際にやってみるとよくわかった。しかし、年齢をかさねると別の問題がでてくる。
覚えようとする「意欲」が低下し、記憶のために必要な繰り返し作業がおっくうになっていく。
年齢をかさねれば重ねるほど、この傾向が強くなり、新しいことへの挑戦、学習、体験に対する意欲が低下していくという。「脳細胞は増える」や「記憶力は低下しない」ことは幸いで喜ばしいことであるが、その能力を生かし、活用するための「意欲」自体が低下していくという問題がある。
わたし自身も、「意欲」が低下していることは常々痛感している。新しいことに挑戦をしなくなったり、新しいことを学ばなくなってきている。「やろう」と思っていてもとりかかれなかったり、「タスク」と割り当てていても消化できないことが多々ある。
ただ、今回の勉強でわかったことは、「意欲」はじっと待っていても、瞑想していても、祈っていてもいっこうに天からは降って来ない。ではどうしたらいいのかというと、単純で「とりあえず、やってみる」が一番手っ取り早い。
どんなに小さなことでもいいので、「やってみる」ということが意欲を高める近道であることがわかった。やらない状態が「0(ゼロ)」でやっている状態が「1(イチ)」だとすると、0から1に移行することが最もつらく、もっとも腰が重い。
しかし、この0から1を乗り超えると1,2、3・・・、と雪だるま式に物事が進みやすくなる(傾向がある)。「0から1」に移行することが最もハードルが高い。しかし、一度取り組めればしめたもので、意外なほど2や3にステップアップすることがたやすくなる。
実際、0から1に移行するのは最大の力が必要だ。年々その意欲が低下する。やる、やらないは自分自身が決めることではあるが、「やらない」という状況から抜け出すには「やる」という行動にほんのすこしだけ取り掛かるだけで、意外なほど物事が進んでいく。
だからこそ、ほんの「少しだけ」でいいからとりかかってみるのがいい。
先延ばし対策
ここまで書いているものの、もう一つ厄介な問題がある。それでも「先延ばし」にしてしまうことだ。この「先延ばし」の癖が大人になればなるほど身についてしまって「先延ばし職人」になっていく。
先延ばしは、その瞬間は非常に気持ちがいい。嫌なことから逃れられるからだ。しかし、時限爆弾的にだんだんと近づいてくる。やろう、やろう、と心のなかで思っていたとしても、先延ばしにしてしまうことがいまでも多々ある。
この「先延ばしにする」の1つの対策としては、エンド(期日)を強制的に決めてしまうことでたいてい解決できる。そもそも、期日すら決められない、それ以前に問題がある人は「もうやらない」という決断をするのもいい。諦めて違うことをするのも悪くはない。
それでも、どうにか前に進みたいけど、進められれない、進む勇気がない人は、人に決めてもらえばいい。幸いにも自分で決められる人は、変更できない期日を自分で先に設定してしまえばいい。
私がよくやる方法としては、準備がままならない中、先にスケジュールや予約を確定してしまうという方法をとっている。自分自身のなかで完璧に準備ができていない中、半ば強制的に重要な日を予め決めてしまうことで、切羽詰まった状況をあえて作り出す。
そもそも、何年もかけて計画的に動ける人は「先延ばし」ということ自体をしない。だからこそ、準備がままならないなか、期日だけ宣言、決めてしまうと必要に迫られて取り組む意思が高まる(私の場合は)。
受験生や学生は「テストの日」、「受験日」、「模試」といった、自分の力が及ばない大きな力によって予め強制的に決定している。ただ、社会人になると自由度が飛躍的に高まり、だれも「その日」を決めてくれやしない。年に一回の国家試験や、就職試験ならば話は別だが、いずれにしても決定するのは自分自身の采配に委ねられる。
だからこそ、「やらない」「先延ばしにする」という「決断」ができるのだ。その負のスパイラルから逃れるためには、先延ばしているものがあればエントリーや、支払い、予約を抑えてしまうのがいい。
これと似た状況としては、目標を立てることでもいい。レースに出場して走る目標、すでにレースに出ているのなら順位を求めてもいいかもしれない。
何をやるにせよ、大人になったら自分から能動的に動く必要がある。その際、難しいことを考えず、挑戦や申込みをしてみるとあとから「やる気が」高い確率でついてきてくれる。やる気や意欲が降ってこないなら、半ば強制的に期日を先に決めてしまうのがいい。
まとめ:それでも「ほんのすこしだけ」をやってみる
自転車や仕事中心の生活から少し離れ、全く違う取り組みを数ヶ月していた。やる気や意欲が生まれ、いざ物事がうまく進み始めてみると別のことに気づいた。仕事や家族との生活、趣味というものは「ルーティン化」され惰性の上に成り立っているということだった。
ルーティンいう怠慢にも似た事実は、「ルーティン」になるまでは、何もない”無”だった。そこには何も存在すらしないし、何もなかったのだ。今の妻とも結婚していないし、子どもたちも存在していない。ましてや、自転車なんてものに乗り、傍から見ると無駄なローラートレーニングなんてものを毎日して”いない”。
いま、自分自身が生きているこの状況は「0→1」に行動した結果だ。何もなかったところから、なにかを始め、なにかに取り組み、それが歯を磨く用に習慣化しさえすれば、なんてことのないルーティンに「変化」していく。
重たいのはいつでも「0から1」にすることだ。
ただ、その時期がすぎればどうだろう。偉そうなことを書いているが、冒頭でも書いた通り自分自身に向けた戒めだ。「やらないための言い訳」を散々頭の中に思い描いていたが、少しでも自分自身を前に押し出すチャンスは常に転がっていた。
あとは、やるか、やらないか、ただそれだけだった。
結局ほんのすこしの決断と踏み出す勇気が、毎日目をつぶってでもできることを決めている。明日から、今日から、今から、やるなら早い方がいい。勉強も投資も、何事も取り掛かるのは早い方がいい。
死ぬ日はいつかわからないが、確実に昨日よりは、今日の自分のほうが死に近づいていく。
だったら、明日の自分よりも今の自分のほうが有利だ。そんなことを考えながら、自転車をせずに勉強していた。幸い合格したが、その合格よりも大きな収穫は、年齢を重ねておっさんになっても、意欲や、やる気はやり方次第で高められるということだった。そして、ほんの少しの一歩が、何気ない、当たり前の毎日の繰り返しを作っている。
「自分の中で、少しだけやってみる」
その小さな1歩は時間の経過とともに、意外なほど大きなレバレッジとして自分自身に大きな価値をもたらしてくれる。