「地球上で最速の波動ブレードカーボンスポークと、NACA理論を応用したリムプロファイル、UCI規定で世界最速のホイール」
英国ベルファストのScribe Cyclingが発表した「ELAN ULTRA 5」は、現代のエンジニアリングが直面する二律背反、「軽量性と空力性能」、「剛性と快適性」、そして「理論値と官能性能」を高度に融合しようと試みたホイールだ。
特に、核心となるのはこれまで市場に存在しなかった波打った「波動カーボンスポーク」のOSL8だ。
流体力学的特性、NACA理論を応用したリムプロファイルによって、1,149gという驚異的な質量数値を達成しつつ、UCI規定内で「世界最速」を標榜する本機材が、いかなるエンジニアリングの結晶であるのか。
NACA理論「Wide+」の革新
ホイールの空力性能を決定づける最大の支配要因は、依然としてリムの形状にある。Scribeのアプローチは、航空宇宙工学の古典的理論であるNACA翼型理論を、自転車という低レイノルズ数かつ複雑な干渉流場が存在する環境へと適応させている。
NACA翼型理論とコードラインの幾何学
自転車ホイールの断面設計は、航空機の翼断面形状に関するNACAの研究成果にその基礎を置く。
NACAプロファイルの命題は、翼(この場合はリムとタイヤの結合体)の最大厚み位置、すなわちコードライン(翼弦線上の最大肉厚点)を、前縁(リーディングエッジ)から約33%の位置に設定することにある。
流体力学的に、この位置設定は層流から乱流への遷移点を制御し、境界層の剥離を遅らせるために不可欠な条件である。

しかし、自転車のホイールシステムにおいて、この理論の適用には「タイヤ」という不可避の障害が存在する。従来の設計、すなわちナローリムに太いタイヤを装着する構成では、システム全体の最前面に位置するタイヤ自体が最大幅を持ってしまう。
これを翼型として見ると、最大厚みが前縁(0%位置)に存在することになり、NACAが提唱する理想的な流線型からは程遠い形状となる。

この幾何学的矛盾の結果、気流はタイヤの曲率に追従できず、タイヤを通過した直後にリム表面から剥離する。剥離した気流は渦を形成し、リム表面に再付着することなく乱流後流(ウェイク)を拡大させる。
これは圧力抗力の増大を招き、いわゆる「電球型」の空力特性、タイヤ部分だけが膨らみ、リム部分で急激に細くなる形状による抗力悪化を引き起こす。
「Wide+」テクノロジーによる境界層制御
この物理的課題に対するScribeの回答が、徹底的なワイドリム化を推進する「Wide+」テクノロジーである。ELAN ULTRA 5は、内幅24mm、外幅32mmという、50mmハイトクラスとしては極めて広範なプロファイルを採用している。
この寸法の選定は、28mmから30mmという現代の標準的なタイヤ幅を装着した際に、リム外幅がタイヤ幅を上回ることを意図している。
| リム外幅 (External Width) | 32mm |
タイヤ幅(28-30mm)を超過させ、気流の再付着を促進する |
| リム内幅 (Internal Width) | 24mm |
タイヤサイドウォールの変形を抑制し、タイヤ-リム間の段差を最小化する |
| リムハイト (Depth) | 50mm |
剛性と空力のバランス、および横風耐性の最適化 |
| 推奨タイヤ幅 | 28-30mm |
リム幅との整合性による空力システムの最適化 |
| 仕様 | 流体力学的意図 |
この「タイヤよりもリムが太い」構成により、タイヤを通過した気流はリムサイドウォールによって「キャッチ」され、スムーズにリム表面へと再付着する。
これにより、システム全体の最大幅位置(コードライン)はタイヤの最前面から後方へと移動し、NACAプロファイルが要求する「33%ルール」に近い空力重心を実現する。
結果として、空気の流れはリムの後端(トレーリングエッジ)まで剥離することなく追従し、抗力の発生源となる低圧領域(ウェイク)を最小限に抑え込むことが可能となる。
ヨー角とエアロフォイルの安定性
実走環境において、ライダーが完全な無風状態や真正面からの風(ヨー角0度)のみを受けて走行することは稀である。
実際には、走行速度ベクトルと自然風ベクトルの合成により、常に変動するヨー角(斜めからの風)の中を突き進むことになる。Scribeのリム設計は、このヨー角の変化に対する寛容性を重視している。
ELAN ULTRA 5のリム断面は、完全な涙滴型ではなく、その後端を切り落とした形状を採用している。この形状は、カムテール理論と同様の効果を発揮する。
すなわち、物理的な尾部が存在しなくとも、気流は仮想的な尾部が存在するかのように振る舞い、低抗力を維持する。
低ヨー角域(0-10度)
Wide+プロファイルにより、タイヤとリムが一体の翼型として機能し、極めて低い抗力係数(CdA)を実現する。
高ヨー角域(10度以上)
従来のV字型リム(フラットボディ)では、風下側のリム面で早期に気流剥離(ストール)が発生し、急激な抗力増大と操舵トルクの変動(ハンドリングの不安定化)を招いていた。
対して、Scribeの楕円形状リムは、気流をリムの曲面に沿って長く保持するため、高ヨー角でも剥離が緩やかに起こる。
この特性は、突風を受けた際のハンドリング安定性に直結する。ステアリングが不意に取られる「スナッチ」現象が抑制されることで、ライダーはバイクコントロールに割く精神的・肉体的エネルギーを節約し、ペダリング出力に集中することができる。
これは、数値化されたワット数の削減以上に、実戦における平均速度の向上に寄与する要素である。
OSL8 カーボン・スポーク vs Alpina スチール・スポーク
Scribe ELAN ULTRA 5のアイデンティティを決定づけ、技術的話題の中心となるのが、新開発の「OSL8カーボンスポーク」である。
対して、同社のCORE Ultraシリーズには、業界標準の高性能スチールスポークである「Alpina Ultralite Aero」が採用されている。この二つの素材と形状の差異は、ホイールの性格を根本から変える要素となる。
OSL8カーボンスポーク:異方性材料による剛性と軽量化の極致
OSL8スポークは、イタリアのAlpina社とのコラボレーションにより開発された、Scribe独自のカーボンコンポジットスポークである。炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の最大の特徴は、繊維の配向方向に極めて高い比強度と比剛性を持つ異方性にある。
質量特性
カーボンスポークを採用したホイールセットは、スチールスポーク仕様と比較して、全体で約50g~80gの軽量化を実現している。ELAN ULTRA 5の総重量1,149gという数値は、このスポークの寄与なしには達成不可能であった。
回転体(特にリム周辺)の質量軽減は慣性モーメントの低減に直結し、加減速の激しいクリテリウムやアタック合戦において決定的なアドバンテージとなる。
剛性特性
スチール(ステンレス鋼)のヤング率が約200 GPaであるのに対し、OSL8に使用されるような高弾性炭素繊維(T700/T1000クラス等)は、引張方向に対してそれを凌駕する剛性を発揮し得る。
また、カーボンスポークは引張荷重に対する伸びが極めて少ないため、ペダリングトルクがハブからリムへと伝達される際のラグを最小化する。これにより、ライダーは「踏んだ瞬間に進む」という、極めてダイレクトかつスナッピーな加速感を体験することになる。
「Oscillate」テクノロジー:波動形状による境界層制御と空力

![PDF] Hydrodynamic flow control in marine mammals. | Semantic Scholar](https://ai2-s2-public.s3.amazonaws.com/figures/2017-08-08/863e7a75ddcfe88adcf8bd5a431bb7dc34a84d80/9-Figure7-1.png)
(C) Fish, F. E., Howle, L. E., and Murry, M. M., Hydrodynamic flow control in marine mammals. Integrative and Comparative Biology, 2008, 48(6), 788-800.
OSL8の名称の由来であり、最大の視覚的特徴でもあるのが、その「波打つ(Wavy)」形状である。「Oscillate(振動する)」という言葉が示す通り、スポークの断面あるいはプロファイルが長手方向に沿って周期的に変化する設計がなされている。
なぜ直線ではなく波形なのか。流体力学の観点から考察すると、この形状は意図的な「乱流発生装置(ボルテックス・ジェネレーター)」としての機能を持つと考えられる。ザトウクジラの胸ビレにある結節が、高迎角での失速を防ぐのと同様の原理である。
境界層へのエネルギー供給
スポーク表面に設けられた波状の起伏は、表面を流れる境界層内に微細な渦を生成する。この渦が外部の高速流から境界層内部へと運動エネルギーを輸送し、境界層の剥離を遅らせる効果を発揮する。
風洞実験データの示唆
Silverstone Sports Engineering Hubにおける風洞実験の結果、OSL8スポークは、従来のフラットな5mmブレードカーボンスポークと比較して、以下の空力改善を示した。
| ヨー角 (Yaw Angle) | 削減ワット数 (45km/h時) | 物理的解釈 |
| 0° | 0.5 W | 正面投影面積に対する形状係数の改善 |
| 5° | 0.5 W | 僅かな横風下での境界層剥離抑制 |
| 10° | 0.4 W | 横風成分増大時の抗力低減維持 |
| 15° | 0.2 W | 高ヨー角域での失速耐性 |
Scribeはこのデータを根拠に、OSL8を「地球上で最速のブレードカーボンスポーク」と定義している。これは、従来の太いカーボンスポークが抱えていた「剛性は高いが空力が悪い」という弱点を、形状工夫によって克服したことを意味する。
Alpina Ultralite Aero (Steel) との比較:究極の空力か、剛性の快楽か
一方で、CORE Ultraシリーズに採用されているAlpina Ultralite Aeroスチールスポークは、1本あたり約4.3g(260mm)という軽量性と、極限まで薄く加工されたブレード形状(厚さ0.9mm程度)を持つ。
ここで興味深い技術的逆説(パラドックス)が浮上する。一部の風洞実験データや専門家の指摘によれば、極めて薄いスチール製エアロスポークは、その投影面積の小ささゆえに、太さのあるカーボンスポークよりも純粋な空力性能で勝る場合がある。
Scribe自身も、スチールスポーク仕様のCORE Ultra 6(65mmハイト)が「UCI準拠で世界最速の65mmホイールセット」である可能性を示唆しており、特定の条件下ではスチールスポークが空力的に有利であることを暗に認めている節がある。
| OSL8 カーボン (ÉLAN) | Alpina Ultralite Aero (CORE) | 比較 | |
| 質量 | 極軽量 (ホイール全体で~1149g) | 軽量 (ホイール全体で~1338g) |
登坂と加速においてOSL8が圧倒的有利 |
| 剛性 (Stiffness) | 極めて高い (引張剛性大) | 高い (スチールとしては優秀) |
OSL8はパワー伝達効率と反応性で勝る |
| 空力 (Aerodynamics) | 波動形状によりフラットカーボンより優秀 | 極薄ブレードにより極めて優秀 |
OSL8は「太さ」を形状で補うが、絶対的な前面投影面積ではスチールが有利な場合も |
| 乗り心地 | 高周波振動を減衰 (カーボン特性) | 弾性変形によるしなり |
OSL8はドライで硬質、スチールはバネ感のある乗り味 |
結論として、ELAN ULTRA 5におけるOSL8の採用は、空力を犠牲にすることなく(波動形状による補正)、スチールでは到達不可能な「軽量性」と「駆動剛性」を手に入れるための戦略的選択である。
純粋な巡航空力のみを追求するならばスチールに分があるかもしれないが、加減速を含めたレース全体のダイナミクスにおいては、OSL8がもたらすトータルパフォーマンスが優位に立つという設計思想である。
Scribe ÉLAN ULTRA 5と関連モデルの主要スペック比較。
| モデル名 | ÉLAN ULTRA 5 | CORE ULTRA 5 | ÉLAN ULTRA 6 | CORE ULTRA 6 |
| リムハイト | 50mm | 50mm | 65mm | 65mm |
| スポーク素材 | OSL8 カーボン | Alpina スチール | OSL8 カーボン | Alpina スチール |
| 重量 (前後セット) | 1,149g | 1,338g | 1,289g | 1,486g |
| リム内幅/外幅 | 24mm / 32mm | 24mm / 32mm | 24mm / 32mm | 24mm / 32mm |
| ハブベアリング | セラミック (TPI) | セラミック (TPI) | セラミック (TPI) | セラミック (TPI) |
| 主な特徴 | 究極の軽さと剛性 | コストと空力のバランス | 最速の空力と軽さ | 世界最速のUCI準拠65mm |
ハブ・ダイナミクスとトライボロジー:回転の中心にある哲学
ホイールの性能を支える心臓部、ハブシステムにおいても、Scribeは妥協なきエンジニアリングを展開している。ELAN ULTRA 5に搭載されたハブは、機械的な動力伝達効率だけでなく、聴覚に訴える官能性能までもがチューニングの対象となっている。
ラチェット・ドライブ・システムの締結剛性
従来の爪(Pawl)式フリーハブが「点」で駆動力を伝達するのに対し、Scribeが採用するラチェット・ドライブ・システムは「面」での締結を行う。36T(歯数)のスターラチェットが噛み合うことで、ペダリングトルクは全周に分散して受け止められる。
標準の36Tラチェットにおけるエンゲージメント角は10度である(360度/36)。オプションで54T(6.66度)へのアップグレードも可能であるが、Scribeは耐久性とトルク伝達の確実性の観点から、大出力に耐えうる歯の大きな36Tを標準としている。
構造的メリットとして、1枚の板バネのみで作動するシンプルな構造は、部品点数を減らし、故障リスクを低減する。また、OSL8カーボンスポークの高い剛性と相まって、ラチェットが噛み合った瞬間の駆動力の立ち上がりは極めて鋭敏である。
音響心理学と「Bee Swarm」サウンド
Scribeのホイールを特徴づけるもう一つの要素は、そのフリーハブが奏でる「音」である。ラチェット音は「怒れるスズメバチの群れ(Swarm of angry bees)」と形容している。
この高音圧かつ高周波のラチェット音は、エンジニアリング的には強力なスプリングと精密なラチェット歯が高速で弾かれた結果だ。
静粛性を好むライダーのために、Scribeは専用の「MV1ラチェットグリース」を提供しており、これを塗布することで音質をマイルドに調整(ミュート)することも可能である。つまり、ハブの音はユーザーが好みに応じて調律可能な「楽器」の一部として設計されている。
セラミック・トライボロジー
回転性能の極限を追求するため、ELAN ULTRA 5には台湾製の高精度TPIセラミックベアリング(Grade 3)が標準装備されている。スチールボールと比較して、真球度が高く、硬度が高く、熱膨張率が低いセラミックボールは、高速回転時の転がり抵抗を物理的限界まで低減する。
また、セラミック特有のドライな回転フィールは、ライダーに対して「機材が抵抗なく進んでいる」というポジティブなフィードバックを与え、精神的な疲労軽減にも寄与する。
市場における位置づけ
Scribe Cyclingは、自社を「ライダー所有(Rider-owned)」のブランドと定義し、中間マージンを排除した直販モデルを採用している。
これにより、ELAN ULTRA 5は約2,599ドルという価格設定を実現している。これは、同等のスペックを持つ大手ブランド(Roval, Enve, Princeton CarbonWorks等)のフラッグシップモデルと比較して、約1,300ドル以上安価である。
さらに、3年間の製品保証に加え、「生涯クラッシュ交換プログラム(Lifetime Crash Replacement)」を提供している点は特筆に値する。これは、単に製品を売るだけでなく、過酷なレース環境で機材を限界まで酷使するライダーをサポートするという、ブランドのコミットメントの表れである。
まとめ:情熱と理性の彼岸にある「速さ」
Scribe ELAN ULTRA 5は、現代の素材工学と流体力学の粋を集めた、極めて戦闘的なホイールシステムである。
技術的総括として、以下の3点が本機材の核心である:
- OSL8波動カーボンスポーク:「波」の形状によりカーボンスポークの空力的弱点を克服し、異次元の軽量性と駆動剛性を両立させた。
- NACA Wide+リム:タイヤとの統合的空力設計により、実走環境における抗力を最小化し、横風安定性を最大化している。
- 官能的ハブシステム:聴覚を刺激するサウンドと、セラミックベアリングによる抵抗なき回転が、ライダーの闘争本能を喚起する。
Alpinaスチールスポークを採用したCOREシリーズが「理性によるコストパフォーマンスの選択」であるならば、OSL8を採用したELAN ULTRA 5はこれまでにない構造とスポークを採用した「限界突破の選択」である。
空力の1ワットを惜しみ、1秒の短縮に命を燃やすライダーにとって、このホイールは路面と対話し、風を切り裂くための最高の武器になる可能性がある。
それは、静止している時でさえ速さを予感させ、走り出した瞬間、ライダーを「その先」の世界へと誘う。Scribe ELAN ULTRA 5とは、エンジニアリングによって具現化された、速さへの渇望そのものである。













