SL8の先にあるものを期待していた。
S-Works Tarmac SL9をフレームセットから組み上げたとき、私が思い描いていたのは、SL8の長所をそのまま受け継ぎながら、速さだけを更に磨き上げたロードバイクだった。
SL8が持っていた軽快さ、扱いやすさ、長距離でも身体を削られにくい乗り心地。その土台を残したまま、空力性能と応答性を一段引き上げ、登りでは実重量以上の軽さを感じさせてくれる。SL9とは、そのような「正統進化」を遂げたTarmacであると信じて疑わなかった。
ローンチ時の各メディアの評価も、その期待を裏付けているように見えた。
Specialized自身が、新しい空力形状にもかかわらずSL8と全く同じ剛性とコンプライアンスの目標値を満たしていると説明し、複数の海外メディアがジオメトリ・剛性・コンプライアンスのターゲットは先代と同一だと報じた。
SL8のオーナーとして、これ以上ない安心材料だった。
しかし、3か月、約1,000kmを走った今、私はこの記事にこう題している。SL9はSL8の正統進化ではなかった、と。
これはSL9を否定するための言葉ではない。
むしろ、メディアが行う数時間の試乗では見えにくく、距離を重ねて初めて輪郭を現す「別の性格」について、事実と数値を軸に書き残しておきたい。
SL9をどう組み上げたか
比較の前提を明確にしておく。フレームセットから組み上げたS-Works Tarmac SL9の仕様は以下のとおりだ。
| 項目 | 仕様 |
|---|---|
| フレーム | S-Works Tarmac SL9(FACT 12r)サイズ52 |
| コンポーネント | Shimano DURA-ACE Di2 |
| ホイール | Roval Rapide CLX III |
| タイヤ | Pirelli P ZERO Race SLR |
| 空気圧 | 前後 4.0bar |
| コクピット | Roval Rapide Cockpit |
| サドル | S-Works Power Mirror |
| バーテープ | 2.5mm → 途中で3.0mmへ変更 |
| 完成車重量 | 6,490g |
| 走行期間・距離 | 約3か月・約1,000km |
比較対象は、同じく長期間所有してきたS-Works Tarmac SL8である。
ホイール、タイヤ、空気圧、ポジションはできる限りそろえ、フレームの違いが印象の違いとして浮かび上がるよう努めた。それでも、フレームだけを完全に切り離した比較は現実には存在しない。
コクピット、フォーク、ホイールの組み合わせによる「システム全体」の印象であることは、はじめに断っておきたい。
この仕様に大きな妥協はない。S-Works SL9が公称6.5kgから組めるとされる中、DURA-ACEとRapide CLX IIIという実戦仕様で6,490gは、フレームの素性をかなり直接的に感じ取れる構成だと考えている。
そして実際、その反応は期待以上だった。
ただし、初めて走り出した瞬間、私が最初に感じたのは速さではなかった。
硬さだった。
SL8からSL9への変化
感覚の話に入る前に、メーカーが公表している数値と、実測した数値を整理しておく。
| 項目 | Tarmac SL8 | Tarmac SL9 |
|---|---|---|
| 公称フレーム重量(S-Works、56cm) | 685g | 687g |
| 空力(45km/h時) | 基準 | 約4W削減(メーカー公称) |
| ヘッドチューブ幅 | 基準 | 4mm狭く、前面投影面積を10%削減 |
| ステアラー | 従来型 | D型・オフセットステアラー(ブレーキホースを右側面に沿わせる) |
| フォーク | 従来型 | Flow Fork(ねじれ形状のブレード、クラウン部がやや厚い) |
| シートチューブ | 従来型 | Win Fin(後輪との隙間を埋める)、約0.5W相当 |
| シートポスト | 従来型 | 上部1/3を細く深いエアロ断面に |
| 剛性・コンプライアンス目標 | 同一(メーカー公表) | |
| ジオメトリ | 同一(メーカー公表) | |
| 実測完成車重量 | 基準 | 6,490g |
Specializedは、SL9がSL8に対して45km/h時に4W有利であり、シミュレーション上の100kmグランツール区間で28秒速いと説明している。この4Wという数値は、±5°の風向に70%、±10°に95%の重みを置いたCdAに基づくものだ。

TARMAC SL8.
つまり、ほぼ正面からの風に対して最適化された数値であり、横風を強く受ける条件は評価の中心にない。私が横風で突出した利点を感じなかったことは、この重み付けの構造と矛盾しない。
実際、浅めのチューブ形状のために横風のあおりはフロントホイールが支配的になる。
そして重要なのは、この表の中で「剛性・コンプライアンス目標は同一」と明記されている点だ。数値の上では、SL9はSL8と同じ乗り味であるはずだった。だからこそ私は、走り出しの数kmで感じた違和感を、しばらくのあいだ自分の思い込みとして処理していた。
SL8との違い

ペダルを踏み込むと、SL9はすぐに前へ出た。
入力してから車体が動き出すまでの時間が短い。SL8にも十分な反応性があったが、SL9は更に一段階、反応が早い。脚から加えた力がフレームの中に一瞬蓄えられてから前進へ変わるのではなく、入力とほぼ同時に速度へ置き換わるような感覚があった。
低速からの再加速でも、30km/hを超えてからの加速でも、この印象は変わらない。コーナーを抜けてペダルを踏み直したとき、集団から抜け出すために速度を上げたとき、SL9はわずかな間も置かずに反応する。
この感覚は、私だけのものではない。
練習仲間でSL8からSL9に乗り換えたライダーは、SL9はすべての入力がわずかに「増幅されている」ようだと表現している。加速、登りでの剛性感、下りでのコントロール。すべてがもう少しだけ鋭い。私の第一印象とほぼ一致する内容だった。
これこそSL8からの進化だと思った。
しかし、走行距離が伸びるにつれて、同じ「反応の早さ」が別の形でも現れ始めた。路面からの入力に対しても、SL9は早く反応した。

SL8とSL9。
舗装の細かな荒れが手のひらへ伝わり、その振動が上腕や肩へと抜けていく。大きな段差では衝撃の角が丸くならず、フロント周辺から上半身へ直接届く。SL8ならば車体の中でわずかに減衰していたように感じる振動が、SL9では明瞭な輪郭を残していた。
ペダリングに対する反応が早いだけではない。ハンドル操作への反応も、路面入力への反応も早かった。このとき、SL9はSL8をそのまま高性能にしたロードバイクではないのかもしれないと感じ始めた。
硬さは、速さの裏側に
ロードバイクを評価するとき、「硬い」という言葉は曖昧に使われやすい。
よく進む硬さもあれば、身体を疲れさせる硬さもある。ハンドリングを正確にする硬さもあれば、荒れた路面で接地感を分かりにくくする硬さもある。同じフレームの中に、これらの性質が同時に存在することもある。

エンジニアリングの言葉で言えば、横剛性、BB周りのねじり剛性、フロントの操舵剛性、そして縦方向のコンプライアンスは、それぞれ独立したパラメーターであり、ライダーが「硬い」と一言で呼ぶものは、それらの合成された結果にすぎない。
SL9の硬さは、単純に悪いものではなかった。
発進時の加速は非常に鋭く、低速からの再加速にも迷いがない。高速域から更に速度を上げる場面でも、フレームの反応が鈍くなる感覚はない。スプリントでは、踏み込む強さに車体が負けず、前輪から後輪までが一体となって前へ押し出される。
特に短いアタックでは、SL9の性格がはっきりと表れた。
いつも、練習では仲間たち(全員がTARMAC)と20分走をする。信号を過ぎて勾配が変化した瞬間に立ち上がり、数秒から数十秒だけ強く踏む。SL9に変えたときその短い入力を逃さず、即座に速度へ変換することがはっきりとわかった。
重量が軽いから進むというだけでは説明しきれない。
SL8との公称フレーム重量差はわずか2gであり、完成車として見ても数十gの世界だ。それでもSL9の方が明確に軽快に感じるのは、入力に対する遅れの少なさが、実際の重量以上の軽快感を生み出しているからだと考えている。
以前、登坂性能は重量だけで決まるものではないと書いたのは、まさにこの感覚のことだ。

その一方で、長い登りになると印象は少し変わった。
一定の出力で淡々と登る場面では、短いアタックで感じた鋭さが、そのまま大きな優位性になるわけではない。応答性とは、入力の変化に対する追従性であり、入力が一定であれば、その価値は理論上ゼロに近づく。
疲労が蓄積し、ペダリングの力が落ちてくると、SL9の早い反応を生かし切れない時間が増えていく。
SL9は、いつでも無条件に乗り手を速くするバイクではなかった。明確な入力を与えたとき、それに対して極めて速く応えるバイクなのだ
平たんで見せた強さ
平たん路では、SL9の反応性が別の形で生きてくる。
巡航速度までの到達が速い。信号やコーナーによって速度を落としたあとも、再び巡航域へ戻しやすい。30km/hを超えてからの加速にも伸びがあり、先頭で風を受けながら走る場面では、SL9の総合性能の高さをはっきりと感じられた。
速度を維持する能力も高い。ただし、特に印象的なのは、速度を維持すること以上に、目的の速度へ乗せるまでの速さだった。SL9は、どこまでも穏やかに速度を保つバイクというより、必要なときにすぐ速度をつくれるバイクだった。

公称4Wの空力改善について、正直に書いておく。私はピトー管のGiBLIを使って空力性能を確かめるためにCdA計測を行っているのだが、実走でライダーが4Wの差を体感することはまず無理だという事を強く言っておきたい。
実走でこの差は知覚できないと思ったのは、誠実な表現だと自分でも思う。45km/hで4Wという数値は、私自身のCdA(約0.241)からすれば全抵抗の1~2%程度に相当し、ライダーの姿勢のわずかな変化で容易に埋没する大きさだ。

ただし、”埋没する”ことと”存在しない”ことは違う。100kmで28秒という数値は、レースの結果を左右しうる。感じられないが、効いている。それが現代のエアロ設計の本質であり、SL9もその例外ではない。
人間にはもはや体感はできないが、確実に”効いている”のだ。
向かい風の中でも、加速の鋭さは変わらない。踏力を上げれば、車体は素早く反応する。一方、横風では突出した利点を感じるほどではなかった。Rapide CLX IIIのリムハイトも含め、横方向から受ける風に対しては、速さよりも慎重さが必要になる場面があった。
それでも、高速域での安定感は十分に高い。反応が早いからといって、常に神経質なわけではない。その違いが最も分かりやすかったのが、ワインディングロードだった。
機敏だが落ち着いている
SL9は、倒し込みそのものが極端に速いバイクではない。
コーナーへ進入し、バイクを傾け始める瞬間には、予想を超えるような鋭さはない。ジオメトリがSL8と同一である以上、これは当然の結果でもある。ところが、一度ラインを決めたあとに修正を加えると、SL9は素早く反応する。
進入速度がわずかに高かったとき。想定したラインより外側へ膨らみそうになったとき。路面状況に合わせて通過位置を変えたいとき。SL9は追加の操作に対して、遅れなく向きを変える。
このライン変更のしやすさは、SL8より明確に高いと感じた。

その理由を、私はフロント周辺の構造変化ではないかと勘繰っている。SL9のステアラーは湾曲に成型され、その側面に沿ってブレーキホースが通される。
フォークブレードは正面から見ると細く、より外側へ開き、側面から見るとフォーククラウンは先代よりやや横方向に厚みを増している。
ヘッドチューブを4mm細くしながら剛性目標を維持するには、どこかに材料を足す必要がある。確か、Specialized自身がフロント周辺に材料を追加したと説明していたように記憶している。
剛性の「目標値」が同じであっても、それを実現する構造が変われば、荷重の伝わり方や振動の周波数特性は変わりうる。ハンドル操作と前輪の動きが直結しているように感じられるのは、この構造変化が理由ではないかと考えている。
高速コーナーでは十分な安定感があり、ブレーキング中の挙動にも大きな不安はない。ただし、荒れたコーナーでは、その剛性感が必ずしも安心感だけを生むわけではなかった。

実際にはタイヤがグリップしていても、路面から伝わる衝撃が大きいため、身体が先に緊張することがある。接地しているかどうかという客観的な挙動と、乗り手が接地を信じられるかという感覚は、必ずしも一致しない。
機材の性能は物理量で記述できるが、乗り手の信頼は物理量では記述できない。
SL9は正確に動いている。それでも、SL8の方が穏やかに路面を捉えているように感じられる場面があった。
“硬さ”の意味が変わる
初乗りで感じた硬さは、数十kmであればSL9の個性として受け入れられた。反応の早さを得るための代償だと考えれば、それほど大きな問題ではない。むしろ、ペダリングやハンドル操作に対する応答の鋭さが楽しく、速く走ろうとする気持ちを引き出してくれた。
しかし、走行距離が100kmを超えてくると、硬さの意味が変わってきた。
疲れるのは脚だけではなかった。

手のひらに蓄積した振動が、上腕や肩の疲労として現れる。大きな段差を越えた一度の衝撃ではなく、路面から絶え間なく伝わる小さな入力の積み重ねが、上半身を少しずつ消耗させていく。
振動は一回あたりの振幅が小さくても、時間で積分すれば無視できない量になる。システムの運用においても、単発の大きな障害ではなく、しきい値以下の負荷が長時間続くことでシステムが劣化していく現象に近い。
脚にはまだ余裕がある。それでも、ハンドルを支える腕や肩が疲れている。この疲労は、SL8ではそれほど強く意識しなかったものだった。
ここで、ローンチ時のレビューとの相違を正直に記しておきたい。
私は、SL9はハードな踏み込みに応える剛性を持ちながら、路面の細かな振動をそのまま手に伝えることはないと評価した。ただしワンピースバーが多少の振動を加えることはこの種のコクピットの常だと考えていた。
初め乗ったときは、路面で振動と段差を非常にうまく処理していると思っており、SL8の美点であったリア周りの快適性は維持されたとの初期印象を記した。このように当初は、SL9の快適性はSL8と同等かそれ以上だと見ていた。

乗り込んだ後の印象はというと、リア周りについてはこれらと一致する。サドルから伝わる振動に、SL8との明確な差は感じない。相違が生じているのはフロント周辺であり、しかも100kmを超えた蓄積後の領域に限られる。
数時間の試乗”程度”では、この差が表面化しにくいのは当然だろう。
そしてもう一点、試乗車の多くは30mm幅のタイヤを装着している。私のSL9はP ZERO Race SLR 28cを4.0barで運用しており、この条件差も無視はできない。
同じフレームでも、タイヤの幅と空気圧、コクピットの形状、ライダーの体重と柔軟性によって、フロントの快適性は大きく変わる。フレームの応答は疑いなく硬く、十分な柔軟性と体幹の強さがなければ真価を味わえない可能性が高いと、乗り込んだ経験上思うのだ。

SL9に乗る前、長距離でも疲れにくいことを期待していた。軽量で、空力性能が高く、巡航速度へ乗せやすいのであれば、同じ距離をより少ない負担で走れるはずだと考えていた。
実際、脚だけを見れば、その期待は完全に外れてはいない。速度へ乗せやすく、登りでは軽快で、平たんでも高い速度を保ちやすい。
しかし、ロードバイクにおける疲労は脚だけで決まらない。
バイクが速く進んでも、上半身が先に消耗すれば、長距離全体の快適性は高くならない。SL9に乗り続けたことで、速さと疲れにくさは必ずしも同じ方向に進むものではないと分かった。
バーテープを2.5mmから3.0mmに
上半身への負担を軽減するため、バーテープを2.5mmから3.0mmへ変更した。具体的にはスパカズ(2.5mm)からENVE(3.0mm)のバーテープに変えた。
わずか0.5mmの違いだが、SL9では接点にある部品の選択が、SL8以上に重要だと感じた。フレームとコクピットから伝わってくる入力が強いため、バーテープ、グローブ、タイヤ、空気圧といった要素が、長距離での印象を大きく左右する。
もちろん、バーテープを厚くしただけでSL9がSL8のような乗り味になるわけではない。

手のひらに伝わる局所的な刺激は緩和できても、フロント周辺全体の反応性まで変わるわけではない。上腕や肩へ伝わる疲労には、コクピットだけでなく、フレーム、フォーク、タイヤ、ポジション、乗車時間など複数の要素が関係している。
ライダーの身体と触れる接点部品において、調整の方向性を整理すると、以下のようになる。
- バーテープの厚み:手のひらへの高周波振動を緩和する。最も安価で可逆的な対策。
- タイヤ幅と空気圧:フロント全体の入力を根本的に減らす。ただしSLRのような決戦用レーシングタイヤでは幅と空気圧の選択肢に制約がある。
- グローブのパッド:バーテープと同様に局所的な刺激に効く。
- コクピット:ワンピースバーからハンドル・ステム分割型への変更は、振動特性を変えるが空力と重量を犠牲にする。
それでも、純粋な競技機材としてではなく、日常的に長く乗るのであれば、この0.5mmは無視できない変更だった。購入時には、SL9の性能を更に引き出すことばかりを考えていた。しかし、1,000kmを走る間に、考え方は少しずつ変わっていった。
速さを加えるだけでなく、速さによって生じる負担をどのように抑えるか。
SL9では、その両方を考える必要があった。
SL8との差は広がる
SL9に乗る前は、SL8と大きくは変わらないだろうと思っていた。
ローンチ時に多くのメディアがそう言っていたし、数値上の根拠もあった。フレーム重量は2g差、剛性とコンプライアンスの目標値は同一、ジオメトリも同一。
SL8との違いはフレームよりもむしろ、カーボンスポークのRapide CLX IIIホイールから来ているのではないかと思っていた。SL8がそうであったように、重量・空力・ハンドリング・快適性をこれほど調和させたバイクは他にほとんどない、という評価だった。
これらの評価は、今振り返ってみても正しいと思う。

ただし、数時間のテストで見えるのはそこまでだ。私自身、最初の数十kmではそう感じていた。しかし、長く乗れば乗るほど、SL9は別のバイクになっていった。
フレーム形状や設計思想に違いがあっても、同じTarmacである以上、根底にある乗り味は共通している。その延長線上に、軽さや空力性能、反応性の向上が加わっていると、当初は想像していた。
しかし、実際に乗り続けると、両車の違いは小さくなるのではなく、むしろ大きく感じられるようになった。
SL9の方が反応は早い。再加速、スプリント、短い登り、コーナー中のライン変更では、その差が分かりやすい。自分の入力が車体へ届き、挙動へ変換されるまでの時間が短い。
一方、乗り心地はSL8の方が良い。
特にフロント周辺から伝わる細かな振動と、大きな段差を越えたときの衝撃には明確な違いがある。荒れた路面や100kmを超える走行では、SL8の穏やかさが価値として浮かび上がってくる。
SL9に乗ったことでSL8が古く見えたのではない。
むしろ、SL8がどのようなバランスで作られていたのかを、改めて理解することになった。
上位互換ではない
最新モデルは、旧モデルのすべてを上回ると思われやすい。
軽くなり、空力性能が高まり、剛性が向上すれば、総合的にも優れたバイクになる。その考え方は間違いではない。SL9の総合性能は非常に高く、加速や応答性には明確な進化がある。
しかし、すべての性能を同じ方向に高めることは難しい。

Specializedが「同じ剛性・コンプライアンス目標」と言うとき、それは試験機の上で測定された特定の荷重条件における数値の話なのだろう。これは、これで正しい数値だ。
一方、1,000kmの中で見えてくる快適性は、周波数、振幅、持続時間、そして身体の疲労状態が重なった総合的な体験だ。両者は矛盾しない。数値が同じでも、体験が同じとは限らない。
これはフレーム設計の欠陥ではなく、測定という行為が本質的に持つ限界だと私は考えている。
反応を速くするために高められた剛性感が、路面からの入力も素早く乗り手へ伝えてしまう。操作の正確さを生むフロント周辺の剛性が、長距離では手、腕、肩への負担として現れる。

SL9が得たものと、SL8が持っていたものは、完全には両立していない。だからSL9は、SL8の上位互換ではない。向かう方向性そのものが違っている。
SL8の長所をすべて維持したまま、速さだけを加えた正統進化でもない。SL9は、反応性と即応性へ、より明確に軸足を移したTarmacだ。
その方向性が自分の走りに合えば、SL9は非常に速い。短いアタックを繰り返すライダー、スプリントで車体の遅れを嫌うライダー、高速域から更に加速したいライダーにとって、SL9の鋭さは大きな武器になる。

一方でSL8には「AETHOSの味わい」がある。私はこの味付けが好きだ。荒れた路面を長時間走るライダーや、100kmを超える距離で上半身の疲労を抑えたいライダーにとっては、SL8の方が適している可能性がある。
新しいから正解なのではない。速いから、すべてのライダーに適しているわけでもない。SL9とSL8のどちらが優れているかは、何を求めているかによって変わる。
| 評価軸 | Tarmac SL8 | Tarmac SL9 |
|---|---|---|
| 踏み込みへの応答 | 十分に速い | 更に一段速い |
| 短いアタック・スプリント | 良好 | 明確に優位 |
| 長い登りの一定出力 | 同等 | 同等(応答性の優位は薄れる) |
| 巡航速度への到達 | 良好 | 優位 |
| 横風安定性 | 同等 | 同等(突出した利点なし) |
| コーナー中のライン修正 | 良好 | 明確に優位 |
| リア周りの快適性 | 良好 | 同等 |
| フロント周りの快適性(100km超) | 優位 | 上半身の疲労が目立つ |
| 接点部品(ペダル、バーテープ)への依存度 | 低い | 高い |
S-Worksである意味

3か月、約1,000kmを走った現在、S-Works Tarmac SL9の価値を最も強く感じるのは、応答性と総合性能の高さだ。
軽さだけなら、他にも軽量なロードバイクはある。AETHOSがそうだ。空力性能だけを求めるなら、Cervelo S5、Colnago Y1Rs、Factor Oneのように、風洞ではSL9を上回るモデルも存在する。
Specialized自身、風洞ではなくレースシミュレーション上の「Time to Finish」でこれらを上回ると主張しており、風洞で必ずしも勝っているとは言っていない。快適性だけを比較するなら、SL9より穏やかなロードバイクも選べる。
SL9の強みは、一つの性能が突出していることではない。
軽さ、空力、加速、操作性、高速安定性を非常に高い水準でまとめたうえで、乗り手の入力に対して素早く反応することにある。
この反応性は、誰にでも必要なものではない。
高い踏力があれば生かしやすいが、脚力だけで価値が決まるわけでもない。ダンシングやスプリントで車体が即座に答える感覚を好むか。穏やかさよりも鋭さを求めるか。快適性との交換であっても、入力に対する時間差を減らしたいか。
SL9を選ぶ意味は、そうした走り方や好みの中にある。
一般ライダーにとって価格や快適性を重視するなら、FACT 10rのSL9 Compの方が合理的な選択になることもある。SL8の乗り心地を高く評価しているなら、SL9へ乗り換えたことが必ずしも全面的な改善になるとは限らない。
それでも、S-Works SL9でなければ得られない鋭さは存在する。問題はその鋭さを、あなたが必要としているかどうかだ。
まとめ:SL9は正統進化ではない
SL9は、私が想像していたSL8の正統進化ではなかった。
では一体、SL9は何者なのか。
SL8の快適性を残しながら、すべての性能を少しずつ高めたバイクではない。反応性を明確に引き上げ、その代わりに、少なくとも私の身体と条件においては、上半身への優しさを後退させた。
最初は、その変化を単純な進化として受け取っていた。早く反応し、素早く加速し、狙ったラインへ機敏に動く。SL8より明確な性能差があることは、フラッグシップを選んだ満足感につながった。
しかし、距離を重ねると、SL9の速さは無条件に与えられるものではないと分かった。
路面が荒れれば上半身へ衝撃が届く。100kmを超えれば、手、上腕、肩の疲労が目立ち始める。長い登りでは、短いアタックで見せた鋭さが、そのまま優位性として続くわけではない。
SL9は、乗り手に何も要求せず、あらゆる状況で快適に速く走らせてくれるロードバイクではなかった。乗り手の入力を受け止め、即座に返す。その代わり、路面から届く入力も隠さず返してくる。SL9の魅力と弱点は、同じ場所から生まれている。
SL9のローンチを見たとき、ずっと考えていた事がある。
バイクがすでに”十分に速い”と認めてよいのは、いつなのか、と。

私はいま、この問いを少し言い換えたい。速さがすでに十分であるとき、次の一歩はどこへ向かうべきなのか。SL9の答えは「応答性」だった。それは全方向への進化ではなく、一つの方向を選ぶことだった。
だからこそ、SL9はSL8の正統進化ではない。SL8から失ったものがある一方で、SL8の延長線上だけでは実現できなかった鋭さを手に入れている。すべての性能が丸く整えられた進化ではなく、何を優先するかをはっきりと示した変化だった。
SL8は、速さと快適性の均衡に優れていた。SL9はその均衡にとどまらず、乗り手の意思をいかに早く走りへ変えるかという、次の課題に踏み込んだ。快適性という代償を伴っても、加速したい瞬間に加速し、曲がりたいラインへ迷わず向かう。
その応答性には、スペックだけでは測れないSL9の優位性がある。
SL9はSL8に似た新型Tarmacではない。すでに速いバイクを、さらにどう進化させるのか。その問いに、誰よりも明確な答えを示そうとしたTarmacだ。SL8が速さと快適性の均衡を完成させたなら、SL9はその先へ踏み出した。
乗り手の意思を一瞬早く走りに変える。その鋭さこそ、SL9が示した次の速さだ。























