目の前にあるAethos 2は、声高に自らの性能を主張しない。
エアロダイナミクスを追求した異形のチューブや、複雑な機構を誇示するインテグレーションとは無縁の、伝統的で美しいダイヤモンドフレーム。
それはまるで、サン=テグジュペリの言葉「完璧とは、加えるものがなくなったときではなく、取り除くものがなくなったときに達成される」を具現化したかのような、静謐なオーラを放っている。
52サイズでもシルエットが破綻しない美しさがある。しかし、その控えめな佇まいの奥には、触れる者を惹きつけてやまない強烈な引力が存在する。
これは、タイムやワット数を競うための「戦闘機」ではない。サイクリングという行為そのものの根源的な歓びと対話し、乗り手の感覚を極限まで研ぎ澄ますための「楽器」なのだ。
物理法則からの解放
S-WORKS Aethos 2 – Roval Alpinist CLX iii | Photo: Kanao Itagakiクリートをはめ、ペダルに軽く力を込めた瞬間、世界は変容する。
5.9kgという数値がもたらすのは、単なる「軽い」という言葉では表現しきれない、異次元の体験だ。車体はまるで質量を失ったかのように、抵抗なくスッと前に進む。
いや、「進む」というより「解き放たれる」という感覚に近い。ペダルを踏む脚の筋肉の痛みも、バイクの存在すらも意識から消え、身体とマシン、そして精神の境界線が溶けていく。
街中のストップアンドゴーでさえ、苦痛ではなくなる。ゼロからの加速は爆発的でありながら、神経質さは微塵もない。踏み込んだ力が即座に推進力に変わるダイレクト感は、乗り手の意思とバイクの反応との間に一切の遅延を許さない。
これは、乗り手の五感を拡張する装置だ。
重力との戯れ
Photo: Kanao ItagakiAethos 2の本領が最も発揮されるのは、やはり登坂だろう。坂道が目の前に現れると、憂鬱ではなく、バイクに期待してしまう。自分一人だけが存在する世界ではなく、共に走るバイクが何か違う楽しみを与えてくれるのではないかと密かに期待してしまうのだ。
シッティングでリズミカルにペダルを回せば、フレーム全体が生き物のように呼吸し、推進力を絶妙にアシストしてくれる感覚がある。これが、エンジニアたちがスーパーコンピュータを用いて見つけ出した「フローステートデザイン」の真髄か。
荷重に応じてフレームが微細に変形し、エネルギーをスムーズに伝達する。データ上の剛性だけでは語れない、有機的なライドフィールの源がここにある。
Photo: Kanao Itagakiダンシングに切り替えると、バイクはさらにその才能を開花させる。左右に振った時の軽やかさは、インプレ記事によくある使い古された言葉、「まるで羽が生えたかのよう」そのままだ。車体を振るのではなく、身体が自然に揺れ、バイクがそれに追従してくる。
MTBでトレイルを走っているときに、体の下でバイクを「操る・遊ばせる」という独特の感覚がある。あれとよく似た動きを、Aethos 2は自由度が低いロードバイクで表現してくれる。一方でTarmac SL8は突き進む戦闘機のようで、もう少し制約がある。
Aethos 2は意地悪なスイッチバックですら、遊び心を持ってクリアできる軽快さだ。苦しいはずのヒルクライムが、重力と戯れる快感へと昇華する。Aethos 2は、坂道を「克服」するのではなく、「楽しむ」ための最良のパートナーである。
ダウンヒルとコーナリング
Photo: Kanao Itagaki初代Aethosのハンドリングは、ややピーキーで鋭敏さがあった。それを魅力的だと感じるか、扱いにくいと感じるかはライダーの趣向によって異なるだろう。ただ、どちらか意見が分かれる特徴であったし、それが初代Aethosを唯一無二の尖った存在にした理由だった。

Aethos 2は、そのDNAを受け継ぎつつ、ジオメトリーの刷新によって見事なまでの「成熟」を遂げている。わずかに寝かされたヘッドアングル、3mm下がったBBハイト、そして7mm延長されたホイールベース。これらの数値の集合体がもたらすのは、圧倒的な安定性と信頼感だ。
高速ダウンヒルのコーナーへ、躊躇なく飛び込んでいける。
バイクを倒し込んでも挙動は常に穏やかで、狙ったラインを寸分の狂いもなくトレースしていく。路面からのインフォメーションは豊かでありながら、不快な微振動は巧みにいなされている。これは、Tarmacのようなレースバイクが持つ盤石の安定感とは少し違う。
よりしなやかで、乗り手との対話を促すような、懐の深い安定性だ。ライダーとバイクが完全に一体となり、路面と対話する。まさに「フローステート」の瞬間である。
平坦路と新たな地平線
Photo: Kanao Itagaki平坦路での高速巡航は、エアロロードバイクの独壇場であることは認めよう。Aethos 2は、その領域で勝負するバイクではない。しかし、Aethos 2が提供する価値は、最高速の維持ではなく、「どこまでも走り続けたい」と思わせる体験の質にある。
スタックハイトが15mm高められたポジションは、長距離ライドでの疲労を軽減する。そして、最大35mmまで許容するタイヤクリアランスは、このバイクの可能性を無限に広げる。アスファルトのひび割れや荒れた路面を、まるで上質な絨毯の上を滑るかのように通過していく。
少しばかりのグラベルに迷い込んでも、不安はない。これはもはや純粋なロードバイクではなく、「スーパーライト・オールロード」と呼ぶべき新しいカテゴリーの創造だ。速さという唯一の価値基準からサイクリストを解放し、道を選ぶ自由と冒険の歓びを与えてくれる。
Aethos 2とTarmac SL8

愛車のTarmac SL8 に150kmほど乗ったあと、Aethos 2を相対的にテストした。
もし、SpecializedのTarmac SL8が、0.1秒を削り出すためにすべてを捧げた研ぎ澄まされたF1マシンであるならば、Aethos 2とは一体何なのだろうか。
同じブランドから生まれながら、その開発哲学は全く異なる地平を見つめている。その答えを探すため、愛車のS-WORKS TARMAC SL8に150km程乗ってから、Aethos 2と共に走り出した。人間は測定機ではないから絶対的な評価はできない。機材は相対評価だ。
結論から言えば、Aethos 2はタイムを計測するための「ツール」ではない。乗り手の感性を解放し、サイクリングの根源的な歓びを再発見させるための「パートナー」である。
感性に訴える走り
トップチューブ経は拡大され表面積は増したが重量増はほとんどない。Aethos 2の真価は、数値ではなく感覚の世界に存在する。
スペシャライズドは、「フレーム全体がまるで生き物のように「呼吸」する」という動きをAethos 2の中に見つけた。これは、前述のとおりスーパーコンピュータが導き出した「フローステートデザイン」の恩恵に他ならない。
硬質な塊として路面からの衝撃を跳ね返すのではなく、荷重に応じてフレームがリズミカルにしなり、力を推進力へと変換していく。
路面からのインフォメーションは驚くほど豊かだが、不快な微振動は巧みに濾過され、必要な情報だけがサドルとハンドルを通じて伝わってくる。まるで、バイクと乗り手の間に、高度な対話が成立しているかのようだ。
身体の痛みも、バイクの存在すらも意識から消え、自分とマシン、そして目の前の道が一体となる。この稀有な没入感こそ、Aethos 2が追求した「フローステート」の境地であり、他のバイクでは味わえない官能的なライディング体験の核心である。
Tarmac SL8との対話 — 「速さ」と「歓び」の分岐点
Aethos 2を語る上で、結局Tarmac SL8との比較は避けられない。両者は同じ頂を目指しながら、全く異なるルートを登るクライマーのようだ。と、ここまではポエムのような表現をしてきたが、双方バイクの棲み分けを具体的に記してみよう。
- Tarmac SL8は「勝利のための絶対的ツール」である。 その目的は、誰よりも速くゴールラインを駆け抜けること。エアロダイナミクスと剛性を極限まで高めたフレームは、特に高速域において盤石の安定感を誇る。平坦路でのスプリントや高速巡航では、路面に張り付くような感覚で、ライダーのパワーを一切逃さずスピードに変換する。その乗り味は、常に最高のパフォーマンスを要求する、良い意味での「緊張感」を伴う。
- Aethos 2は「最高の体験をもたらすパートナー」である。 その目的は、ライドのプロセスそのものを最大限に楽しむこと。高速域での安定性や空力性能ではTarmac SL8に一歩譲る。しかし、その代わりに手に入れたのは、圧倒的な軽快感と、Tarmacよりも明らかに寛容でしなやかな乗り心地だ。ジオメトリーの変更(スタック増、BBハイト低下)は、よりリラックスしたポジションを可能にし、長距離での快適性を劇的に向上させている。Tarmac SL8が「点(ゴール)」を目指すバイクなら、Aethos 2は「線(道のり)」を味わい尽くすためのバイクと言えるだろう。
結論 — Aethos 2とは、サイクリングの「魂」そのものである
Aethos 2とは、何者なのか。
それは、世界最軽量のプロダクションフレームという称号を持つ、高性能な工業製品である 。しかし、その本質はスペックシートの中にはない。
Aethos 2は、我々を「速さ」という呪縛から解き放ってくれる。そして、忘れかけていたサイクリングの根源的な歓び、すなわち風を感じ、大地と対話し、自らの身体と一体になることの素晴らしさを、改めて教えてくれる。
これは、レースに勝つための「ツール」ではない。人生における最高のライド体験、すなわち「純粋な歓び」を追求するための、最高の「パートナー」だ。Aethos 2と共に在る時、我々はタイムや距離を忘れ、ただ走ることの根源的な楽しさに没頭できる。
その乗り心地にこそ、サイクリングの魂は宿っている。








