単純に怖いのである。日本CSC修善寺という国内屈指の難コースで走ることが。胸のうちを正直に吐露するなら、やはり怖い。落車や接触がというわけではなくて、「ここまでやってこんな結果なのか」「沖縄の成績はまぐれだったのでは」と不安に駆られる。
だれだってそうだ。自分のやってきたことを肯定したいし、認めたい。ただ、第三者から見れば自分本位な考え方になっていたり、過剰なバイアスがかかっていたりする。自分自身の弱さを冷静に分析すると、勝利を渇望していないこと、死んでも勝ちたいとは思っていない。
ではなぜ走るのか?ということに関しては、積み上げてきたことの結果を何らかの形で得たい”ようだ”。
結果は勝つこと、成績を出すことであるから、結局は矛盾している。ただ、おそらく祖先が農耕民族なのか「相手を蹴落とし手間で勝とう」という気が無い。昔、監督にも、かまやんにも言われたな。的を射ている。結果を得るためには、相手に勝たなくてはならないが、私の中でたどり着いたのは、まずは自分に勝つというありきたりな到達点だった。
使い古された言葉だけど、達成するのは難しい。例えばアタックが10回繰り返されて、「もう次ダメ」と思った時は実はまだ限界の80%ぐらいだ。アタックの応酬で、インターバルしすぎて気絶した人はまだ見たことない。この「もう次ダメ」を何回も乗り越えたら、最終集団に残ってるだろう。
自分がやめるときは、自分が決める。
その「決める」という決断に至るまでには、自分に勝ち続けるしかない。書籍限界的練習でも語られているように、勝つのは相手ではなく、自分に勝つことだ。自分の限界を超えて行き、その副産物として結果が得られる。原因と結果は自分自身の中にあって、相手にはない。
汗の一滴、血の一滴まで絞って走り抜けよう。まぁ、失うものも無いし気負いせず走ろう。
限界的練習の話はこちらの書籍を。努力(というより限界的練習)にまさる天才無し。僕ら凡人には、自分に勝ち”続けた”先に結果が待ってる。
文藝春秋
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