世界最高峰のロードバイクがこの世に誕生するとき、どのような物語を経るのか。数々の勝利を量産してきたスペシャライズドのレーシングバイクTARMAC SL8の開発過程から、完成品としてこの世に誕生するまでの一部始終を追っていく。
ロードバイクの開発は、「エアロ」か「軽さ」のどちらか一方を追求し二極化してきた。最近のトレンドは、ひとつで全てをこなす中間的なバイクが主流になってきている。
重量を減らすためにカーボンのレイアップ1枚までこだわること、形状を何百通りも試してエアロダイナミクスを追及すること、これら別々の道を進んできた設計思想が融合して一つになったとき、どのような化学反応が起こるのか。
開発過程を追ってわかったのは、「足して2で割る」というような、単純な道のりではなかったということだ。
16.6秒速い

image: SPECIALIZED
空力性能を表す決まり文句といえば「40km走った時にx秒速い」だ。
この表現は、もう聞き飽きているかもしれないが、誰でもわかりやすく、どれだけ改善したのかが理解しやすい。というのも、自転車機材の説明は抽象的な表現はいまでも多い。無負荷でベアリングを回して「良く回ります!」というプロモーションがいまだにおこなわれている程だ。
それと比べると、バイクの改善効果を定量化しているのはメーカーの姿勢として評価できることなのかもしれない。数値化が行われている理由は、目の肥えたライダーのためだ。技術的なパフォーマンスの利点を、具体的に見つけることにこだわるライダーがプロアマ問わず一定数存在している。
それは、ワールドツアーで勝利したり、ストラバのセグメントでタイムを短縮したり、練習仲間に勝利したりすることを意味しているからだ。
バイク開発は、数々のプロトタイプを作成してテストが行われる。その前に、あらかじめ定義しておかなければならないことがある。一貫した環境条件だ。環境条件の定義が異なってしまうと空力性能の結果に多大な影響を与えてしまう。主に以下3つの環境条件が定義される。
- 風向き
- 風速
- 勾配
この3つを定義するといっても、現実世界において風向きや風速のパターンは無限に生じている。季節、気温、空気密度、地域、路面状況などを考慮すると環境条件は無数にあるため、定数として定めることが事実上不可能になる。したがって、何か環境条件に決まったルールがあるわけではない変数なのだ。

ただし、変数の発生頻度には傾向がある。風向きは正面が多いし、風速も2~4m/sが多い。15m/sの風が吹く発生頻度は全体的に低い。
では、その傾向、分布をどうやって知ればよいのだろうか。具体的には、バイクに風の速度や風向きを測定するピトー管を取り付けて、実際のコースを走ってデータを収集する。SWISS SIDEは羽のような圧力センサーを取り付けて実際に走行したりしている。
SL8の開発で用いた風速と風向のデータは、数十年にもおよぶ実装校での空力に関する研究開発に基づいている。そのため、SL8が設計されたヨー角は、ライダーが実際に遭遇するであろうヨー角を忠実に再現している。
これらの概念は、SL8の開発の礎になっている。SL8のフロント部分の空力チューブ形状、つまり重量と剛性をつかさどるダウンチューブを最適化したフレームチューブは、全て計算から導き出された結果だ。
実世界で最も一般的なヨー角度と風速を再現して加重平均計算を行い、導き出されたのが「TARMAC SL8はSL7よりも16.6秒速い」だ。これは同一パワー(例えば250W一定)で40kmの距離を走った場合、SL8はSL7よりも16.6秒速く先着する。
詳細な計算方法は、以前当ブログで紹介している。

スピードの方程式
TARMAC SL8は、スピードに対する新しい「方程式」によって導かれた。
SL8=[空力:Vengeと同等かそれ以上]×[重量:6.8kg]×[乗り心地と剛性 >= SL7]
速いと人気があったVENGEよりも、TARMAC SL8のほうが空力的に優れている。それ以上でも、それ以下でもない。そして、重量も重要な要素だ。TARMAC SL8はUCIの重量制限である6.8kgに狙いを定めて、どのような環境条件(速度域、勾配)でも完璧なバイクになるように設計された。
ただし、空力と重量のバランスの落としどころを、どこに設定するのかが難しい問題になっている。高いパワーを加えると柔軟性を失ったり、スプリントをしたときにステアリングが正確に反応しなかったりするようでは的外れのバイクになる。
TARMAC SL8は、ライダー・ファースト・エンジニアリングの原則に導かれたカーボンファイバーに関する知見を活用した。サイズごとの剛性を調整し、BB、フロントエンド、リアエンド、コンプライアンスなど、あらゆるの剛性値が前作TARMAC SL7を上回るものになっている。
エアロダイナミクス
エアロダイナミクスは、現代のバイク開発において最も重要な要素になった。
TARMAC SL8の研究開発において得られた最大の知見は、空力改善を達成するために前面部、特にヘッドチューブ部分に特徴的なノーズコーンが必要になることだった。CFD解析や風洞実験の結果、バイクの前部は気流がより層流になるため、低いCdAを追求する上で最も重要な部分であることがわかった。
CFD解析を活用し、3Dプリンターで様々な形状を検証しながら、6つの異なるノーズコーン設計と製造方法が調査された。最終的には、SL7のヘッドチューブに25g分余分に伸ばしたノーズコーンにたどり着いた。この形状により、エアロダイナミクスの目標は達成するために重要な部分になった。
ヘッドチューブのデザインが決まると、ノーズコーンとヘッドチューブのエアロダイナミクスを補完するフォーククラウンとフォークブレードのデザインが煮詰められていった。
そして、バイク前部の層流空気が空気抵抗に最も影響するという知見から、さらにもう一歩踏み込んで、重要な先端部分であるコックピットの最適化にも着手していった。
ハンドルとステムが別々ではなく、一体型ハンドルバーステムに変更することで大幅なエアロダイナミクスが改善できることは、解析結果から判明していた。
そして生まれたのが、Roval Rapide Cockpitだ。

image: SPECIALIZED
SL8のエアロ性能の鍵となる要素であると同時に、SL7ステムとRapideハンドルバーのセットアップに比べると50グラムの軽量化にもつながっている。Rapide Cockpitの15サイズは、Retul Fitデータを使用して決定されている。
フロントまわりの空力改善以外では、ドロップシートステーとVengeよりも細いシートポスト、シートチューブがエアロ性能を向上させることがわかった。
CFD解析やマネキンを用いた空力開発が進んでいくと、これまでの常識が誤っていたことも明らかになってきた。空力性能が良く見えそうなフレーム断面が深い形状(マンボウのような)は、空力の向上がほとんど見込めなかった。
実験からフレームシェイプは大幅に改良されて行った。SL8のシート”チューブ”は、Vengeのシート”ポスト”と同じ幅である。SL8のエアロ性能を高めると同時に、軽量化も実現した。ただ、シートチューブとシートポストの幅を狭くするにはDi2のバッテリーの太さが問題になってくる。
シートチューブは細くすることはできるが、Di2バッテリーを収納するスペースが確保できなくなるのだ。そのため、SL6、SL7、Vengeのようにシートポスト内部ではなく、シートポストの下にしっかりと固定する方式に改良することで、チューブをさらに細身に設計することが可能になった。
シートポストが細くなると剛性面が不安になるが、SL7のシートポストと比べて横剛性は同等、縦方向は6%しなやかになり乗り心地や快適性が向上している。
重量は空力とのトレードオフ
エアロダイナミクスは重量とのトレードオフである。最先端の技術をもってしても、物理法則の世界からは逃れられない。
SL8の残りの設計では、Vengeのようにエアロダイナミクスを全面的に追求するのではなく、エアロダイナミクスが本当に重要な部分だけに重点が置かれた。代わりにエアロダイナミクスがあまり重要でない部分は軽量化することを選択している。
フレームの目標重量を達成するために活用されたのがAethosの技術だ。世界最軽量の量産型ロードバイクフレームであるAethosの開発では、ダウンチューブ、チェーンステー、トップチューブなど、可能な限り重量が削減されている。しかし剛性は担保する、という絶妙なバランスが取られていた。
強度に関係しない無駄な材料が1グラムも存在しないこと確認するため、各チューブで同様のFEAとプライごとの解析が行われた。どのチューブ断面や形状が構造的に最も効率的であるかはわかっていたが、シートステーを下方向に下げつつも、より高い剛性を目標としたため、Aethosのレイアップでは不十分だった。
フレームの前部分であるフロントトライアングルは、ワールドツアーの選手から直接フィードバックを得て調整が行われた。初めの34回のレイアップ反復では、重量は概ね一定に保たれた。最後の20回の反復では、剛性目標を達成するために主要部分の剛性プライが変更された。
AethosとSL8には同様の設計原理と素材が使用されているが、SL8では各フレームチューブにカーボンファイバー・プライを配置するパターンや順番が根本的に異なっている。SL8の685gのフレームを支える魔法は、パターンや順番のレシピにある。
このレシピは、数十年にわたるカーボンファイバーの専門知識とシミュレーションの集大成だ。SL8のすべてのチューブには、プライごとの分析から得られた知見が生かされている。
乗り心地と剛性
乗り心地と剛性パラメーターの検証は実走で行われた。開発は厳密なシミュレーションを行いながら進められたため、フレームセットが公道でどのような性能を発揮するのか十分な見当をつけることができていた。
それでも、最初のプロトタイプから学んだことに基づいて、デザインは微調整され、製造工程は更新された。合わせてワールドツアーの選手から数多くのフィードバックを受けて、剛性はさらに改善されていった。
SL8は乗車するライダーの体格や体重、パワーなどを考慮してフレームサイズによって剛性が異なっている。あらゆるライダーがパワーをかけたときに、同じ反応性の乗り心地、コンプライアンス、剛性を得ることができる設計だ。
サイズ毎に想定されるライダー一人一人に合うように、チューニングが施されている。
VENGE vs SL7 vs SL8
あらゆる条件でSL8はVENGEやSL7よりも速い。
以下のグラフは60分間の一定出力の走行において、SL8を基準とした場合、VENGEやSL7がどれだけ”劣っているか”を表している。縦軸はタイム差で上に行けば行くほどタイム差がつく。横軸は勾配で、右に行くほど斜度がきつくなる。
0°の平坦であればVENGEよりも3.5秒、SL7よりも19.1秒速い。勾配が10%に達してもVENGEよりも24.6秒、SL7よりも16.2秒速い。すなわち、どのような条件でもSL8が速い結果だ。
まとめ:最高峰は一日にして成らず
世界最高峰のロードバイクは、どのように作られたのか。
明確な目標設定、空力開発、無駄なぜい肉を1gずつ減らしていくような作業、空力に優れたバイクや、軽量バイクから得た様々な技術を総動員する。VENGEやAethosといった数々の名車を生み出してきたメーカであれば、なおさら1台のバイクに凝縮したときの重みが増すことになる。
最高峰のバイクを作るということは一台にして成らず、TARMAC SL8はその最たる例だ。
TARMAC SL8は、膨大な実験と研究開発によって生み出された。685gのフレーム、Vengeを凌ぐエアロダイナミクス、SL7を上回る乗り心地と剛性数値は、5年前であれば不可能だと思われていた性能だ。
そして、TARMAC SL8はプロがレースで勝利をするために明確な照準が定められている。SL8の開発における技術的なシミュレーションでは、実際の走行環境における風向きと風速に合わせて、ワールドツアーレベルのパワー(6W/kg)が想定されている。
エアロダイナミクスに関しては、Rapide CLX IIホイールを装着してボトル2本を可能な限り低い位置に装着、25mmタイヤに90psiの空気圧、42cmハンドルバーと100mmステムのコンポーネントを想定している。
実際のコースシミュレーションは、ミラノ・サンレモとツールマレー峠という2つの実在するコースが用いられた。SL7と比較して、SL8はミラノ・サンレモのコース全体で128秒速い。そのうち4秒はポッジョの下り坂から始まる最後の数キロで記録されている。</p
ツールマレー峠では、SL8はSL7よりも20秒速い。登り坂では16秒、下り坂ではさらに4秒短縮できる。このシミュレーションは、ワールドツアーの選手のみならず、私たちのようなロードバイク愛好家にとっても重要な性能データといえるだろう。
注意しておきたいことは、最高峰のバイクを生み出すためにシミュレーションは非常に重要である一方で、決してバイクのすべてを語るものではないということだ。
ロードレースやクリテリウムに参加したことがある人、あるいは競争的な練習会に参加したことがある人ならば、反応が良く、軽量かつ快適なフレームが加速時に素晴らしいパフォーマンスを発揮することを知っているはずだ。
実際のところ、このような情報を剛性や空力のように定量化し数値化することは難しい。しかし、最先端のバイクは、定量化出来ない感性や感覚にも影響を与えるほどの可能性が秘められている。