インターネット界の神の話。神と言ってもネ申ではない。ジョン•ポステルというアメリカのコンピュータ科学者の事だ。古くからインターネットの発展と標準化に多大な成果を産み「インターネットの神」と呼ばれた。既に故人ではあるが、今のインターネットの技術に欠かすことのできない多くの技術を開発した。
技術(正しくはプロトコルと呼ばれる)をあげれば、TCP/IP, SMTP, DNS, FTP, Telnetと本当に現在のネット社会を支える技術である。これらの技術が無ければ、インターネットやメールやLINEなどをネットワーク上で実現することは出来ない。
その中でもTCPという技術の基本的な設計思想を今更ながら初めて知った。それはこうだ。
人に優しく、自分に厳しく。
という思想だ。素晴らしい。インターネットで広く普及しているTCPの基本思想はとても素晴らしい物だと私は感じた。具体的には『送信するものに関しては厳密に、受信するものに関しては寛容に。』という内容だ。
データーを送る側は、厳密に「相手にわかりやすく明確に」情報を定義して送る。そしてデーターを受ける側は、相手の落ち度もある程度考慮し、寛容に受け取る。いわばお互いがお互いに配慮しているのだ。
その結果、1970年代に開発された本技術は今もなお(今この時も)インターネットに欠かせない要素として動作しているのだ。私はこのやり取りで気づいたことがある。人のコミュニケーションも同様ではないか。
話し手と、聴き手がいる。ただ、話がうまく通ったり、とおらなかったりする。仕事をしたり、人と付き合ったりするとなおさらだ。ただ、ここで『コンピュータですら守っている』先ほどの法則を習い、立ち返ってみたい。
相手に伝える時は、聴く相手のことを考え、わかりやすく話す。また、相手の話を聴く時は、言葉足らずな点を寛容に補い聴きとる。そんな関係がお互いに築けたならば、やり取りはどれほどうまく行くのだろうか。当たり前のことだが、いくつになってもなかなか出来ていないことだ。
基本的な思想だが、人と人との繋がりを長らく安定して続けるためには、必要不可欠な要素と言える。だからこそ衰退せずインターネットの基幹技術として生き残れたのかもしれない。
そういう意味では、人と人との付き合い方も同じである。これらお互いが、お互いのことを考えなくなった時関係は崩壊するのではないか。
そう考えると、人間がコンピュータの黎明期に覚えさせた単純かつ基本的な振る舞い方は、どうやら人間にも十分に当てはまるようだ。時代が経ってもそのルールを守り抜くように、私も見習いわかりやすい説明や、コミュニケーションをおこないたいと考えさせられた。
過去の偉人がコンピュータに吹き込んだ思想は、今のインターネットに違う形でコミュニケーションを問うている。
講談社
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