名言はなぜ人の心に届いて、揺さぶるのだろうか。ある選手がふと書いた一文に私は感銘を受けた。名言は私が書くような退屈で、何万文字も必要とする説明書のような文章ではない。ほんの数行で人の心を動かす。
名言とはテコの原理のようなもので、ほんの少ない文章量で人を動かしてしまう。ただし、言葉にはもうひとつの側面がある。どのような後ろ盾で物事を語っているか。口だけで実績も伴わない人が口にする名言と、いばらの道を歩み、鍛錬を重ね継続して物事を積み重ね、目標を達成してきた人が語っているのか。たとえ同じ言葉だもしても重みが違う。
我慢と辛抱
私は次に記した、ほんの数行に記された言葉に、日頃抱いていたトレーニングの辛さを重ねあわせた。
色々な物を抱えて走っているのがホビーレーサーです
僕が言うのは我慢じゃなくで 辛抱してくれと言います
「辛いを自分で抱えるんです」 それが辛抱です。
自分で負荷を掛けてそれを体の中で処理して耐える
自分で自分に負荷を掛ける それをやって耐えた者が目標を達成するんです。
56cycle 筧五郎氏
私は日々のトレーニングを「我慢」だと思っていた。そもそも考え方や、取り組み方の根本が間違えていたのかもしれない。トレーニングは辛いものだ。ただ、辛抱をしても我慢をしてはいけない。そして、日頃コツコツとやってきているトレーニングに対する向き合い方が変わった。
言葉で行動は変わる。というわけで、いつもどおり毎日の日課の朝練。平日は一人で練習する。20minSSTひたすら。辛くなってきた時に、ゴローさんの言葉を思い出す。決して自分に言われた言葉ではないけど、ローラーが辛くなった時に必要な言葉。
我慢と辛抱について、ウォーミングアップ中考える。例えばこんな例はどうだろう。レースで鎖骨を折ったとする。病院へ向かう救急車の中で、ある人は「もうすこし我慢して!」と言われる。また一方は「もう少しの辛抱だから!」と言う。
我慢というのは自らの内側から出る不平不満を内へ、内へ押し戻そうとする。フラストレーションを力で抑えこみ、解消しない。だから「我慢は溜まっていく」まるで噴火前のマグマのようだ。辛抱は未来に活路を見出す。現状を受け入れて良い方向へ向かうと信じる。
病院についた時、我慢していた人はさらに「手術するのかよ!」と嘆くかもしれない。辛抱していた人は「やっと病院で診てもらえる」と安堵することだろう。
この言葉を思い浮かべながら苦しむときに、一種の幽体離脱状態で自分自身を見ているような錯覚に陥る。ローラーを漕いでいる自分を天井から見下ろすような感覚。自らの意志で、自らの体に負荷をかけるが、その負荷から逃げたい衝動にかられる。
結局は自分でかけた負荷に対してどのように対処するかの判断だ。逃げてもいい、耐えてもいい、我慢してもいい。そして辛抱しても良い。あと一秒耐えしのいでも良い。何をその時に選択するのかは人それぞれに委ねられた自由だ。
ただし、その時に選択した判断の積み重ねが、未来の結果を徐々に変えていく。スタートはみんな一緒かもしれないが、次第に大きな差になって開いていく。それは誰のせいでもなく、自ら下した判断の連続から成り立つ。
我慢とは終わらない地獄であり、
辛抱とは未来に活路を見出すための軌跡だ。ただ、誰しもが「我慢」することからはじまり、そして辛抱することを覚えていく。
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