VENGEなき時代のエアロロード論、SL9のエアロは物理的限界に近いのか

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かつてスペシャライズドには2台のレースバイクがあった。

軽量オールラウンダーのTarmacと、空力専用機のVenge。ワールドツアーの選手たちはコースプロファイルに応じてこの2台を使い分け、平坦ステージにはVengeを、山岳ステージにはTarmacを持ち込んだ。

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しかし2020年、Tarmac SL7の登場とともにVengeは静かに退役した。以来、スペシャライズドのロードレースバイクはTarmac一本になった。

SL7、SL8、そして2026年のSL9。

世代を重ねるごとにTarmacはエアロ化の歩みを進めてきた。一方で業界を見渡せば、Cervelo S5、Colnago Y1RS、Factor ONEといった純粋なエアロバイクが依然として存在し、むしろ2025年から2026年にかけて新型の投入が相次いでいる。

エアロ専用車の時代は本当に終わったのか。それとも、Tarmacが到達した地平はエアロロードのひとつの終着点なのか。あの、Vengeの熱狂を知るひとりのライダーとして、SL9が体現するエアロの意味を問い直してみたい。

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エアロ専用機の栄光と限界

VengeはなぜTarmacと共存していたのか

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Vengeの初代は2011年に登場した。マクラーレンF1チームとの共同開発が話題を呼んだこのバイクは、スペシャライズドが自社風洞Win Tunnelを建設して以来の哲学、Aero is Everythingを体現するモデルであった。

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ティアドロップ形状のディープチューブ、統合型リムブレーキ、そしてあらゆる造形が風洞での数値に直結する設計。Vengeはエアロの究極を追求する代わりに、重量とライドクオリティという代償を払っていた。

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2014年のVenge ViASでは統合度がさらに極まり、リムブレーキをフレームに内蔵するという当時としては極端な設計に踏み込んだ。しかしこの統合は整備性の犠牲を伴い、ViASは空力の傑作であると同時に、メカニックにとっての悪夢でもあった。

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2018年のディスクブレーキ版で実用性を大幅に改善し、FACT 11rフレームでViAS比460gの軽量化を達成。S-Works Vengeの完成車重量は7.13kgまで落とされた。

しかしそれでもなお、Tarmac SL6(フレーム800g前後)に対してVenge(フレーム約870g)は重く、山岳ステージでVengeを選ぶ選手はいなかった。

新型 S-WORKS TARMAC SL6 インプレッション
2017年11月1日インプレッション7〜14追加:7 インプレッション8 ジオメトリ9 剛性10 サイズ11 ホイール相性12 コンポーネント選択13 プロモーションと現実の乖離14 まとめ:TARMAC史上最も進むフレーム目次より参照ください。自転車雑誌や業界関係者を除けば、一般ユーザーとして初のインプレッションになるであろう新型S-WORKS Tarmac SL6に関する記事を、これから書き記...

この二律背反こそが、2台体制の存在理由であった。

エアロと軽量は物理的にトレードオフの関係にあり、一台のバイクで両方を極めることは不可能とされていた。チームは2台のバイクを帯同し、コースに応じて使い分ける。

このロジスティクスの負担と、バイク開発の二重投資を正当化するだけの性能差が、VengeとTarmacの間に確かに存在していた。

姿を消したVenge

2020年、Tarmac SL7の発表とともにスペシャライズドは大胆な宣言をした。TarmacがVengeのエアロ性能に匹敵し、かつ軽量であるなら、2台は1台に統合できる。

SL7のプレスキットに含まれていたグラフは、横軸にFaster、縦軸にLighterを配置し、SL7を右上(速く、軽い)に位置づけていた。

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この時のローンチでひとつ意地悪な指摘をすると、そのグラフにはスケールが記載されていなかった。そして最終世代のS-Works Venge(2018年)は、同じグラフ上でSL7よりもさらにFaster軸の右に位置していた。

つまり、純粋な空力性能ではVengeがSL7を上回っていたことを、スペシャライズド自身のデータが示していたのである。

WEIGHT DATA (Image credit: Specialized)

SL7がVengeに対して約2.5ワットの空力的に劣ることを認めつつも、重量、快適性、ハンドリング、加速、疲労を含むコースシミュレーションではTarmacが勝つという論理で統合を正当化した。

そう、論理で。

この判断は商業的にも合理的であった。2台のフレームの金型、製造ライン、在庫管理を1台に集約できる。チームへのサポートも1モデルに集中できる。そして市場のライダーの大多数は1台のバイクしか所有しない。

1台ですべてをこなすバイクの方が、圧倒的に多くの消費者に訴求する。Vengeの退役は、エンジニアリングの判断であると同時に、製品戦略の判断でもあった。

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Vengeの遺伝子

進むエアロ化

Vengeの退役後、Tarmacは世代ごとにエアロ化の歩みを加速させてきた。その進化を時系列で追う。

モデル 発表年 フレーム重量 エアロの根拠 エアロの手法
Venge(最終世代) 2018年 約870g Aero is Everything、ViAS比8秒短縮 全チューブのディープエアロフォイル、統合コックピット
Tarmac SL7 2020年 約800g Venge比2.5Wの劣位を総合性能で逆転 リーディングエッジ集中型(ヘッドチューブ、フォーク)、後方は丸断面
Tarmac SL8 2023年 685g スピードの方程式(エアロ×重量×剛性) Speed Sniffer、Rapideコックピット、S-Works Rapide Post
Tarmac SL9 2026年 687g Time to Finish(ゴールまでのタイム) 全チューブ再設計、Offset Steerer、Flow Fork、Dropped Down Tube、Win Fin

この系譜で注目すべきは、エアロ化のアプローチが世代ごとに根本的に変わっている点である。

TarmacSL7 Sagan (Image credit: Specialized)

SL7はリーディングエッジ集中型であり、ヘッドチューブとフォークにのみ空力形状を適用し、ダウンチューブ以降はAethos由来の丸断面を採用した。エアロはフロントにだけ任せ、後方は軽量化とコンプライアンスに専念するという割り切りであった。

SL8ではSpeed SnifferとRapideコックピットによってフロント周辺のエアロをさらに磨きつつ、フレーム全体のエアロはSL7の延長線上にとどまった。

SL8の空力改善の最大80%がRapide一体型コックピットに起因しており、フレーム自体のエアロ改善は限定的であった可能性がある。

SL9は、この段階的アプローチを一変させた。すべてのチューブ形状をゼロから再設計し、フロントだけでなくフレーム全体にわたる空力最適化を実施した。

Speed Snifferの4mm薄型化、Flow Fork、Dropped Down Tube、Win Finという4つの新しい空力要素がフレーム全体に配置されている。フレーム単体での空力改善がSL8比4ワットに達した点は、コックピット依存だったSL8からの明確な進化である。

SL9のエアロは、Vengeに追いついた?

これは最も本質的な問いであるが、直接的な比較データは存在しない。

Vengeが退役した2020年以降、スペシャライズドがVengeとTarmacを同一条件で風洞テストしたデータは公開されていない。SL7発表時に提示されたVenge比2.5ワット劣位という数値が最後の公式比較である。

推測の域を出ないが、SL9の空力性能はVenge最終世代に極めて近い水準、あるいは匹敵する水準に達している可能性が高い。

SL7がVenge比2.5ワット劣位であり、SL8がSL7比で改善し(改善幅の大部分はコックピット由来だが)、SL9がSL8比で4ワット改善している。単純な積み上げはできないが、方向としてはVengeの空力水準を超えている可能性がある。

しかし、仮にSL9がVengeの空力に追いついたとしても、それは同じ手法で追いついたのではない。

Vengeはすべてのチューブにディープエアロフォイルを適用し、重量ペナルティを受け入れた。SL9はFlow State Designによって構造効率を高め、687gという軽量性を維持しながらエアロ化した。

同じ空力性能に到達したとしても、その到達の仕方がまったく異なるのである。

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エアロ専用の時代は終わったのか

業界トレンドが示すもの

スペシャライズドがVengeを統合した2020年以降、業界全体がオールラウンダーへの収斂に向かうかに見えた。

Pinarello Dogma F、Cannondale SuperSix EVO、ENVE Melee、Wilier Filante SLR、Trek Madone SLRなど、主要ブランドの多くがエアロと軽量のバランスを取ったオールラウンダーを主力に据えた。

一台ですべてをこなす、というスペシャライズドのコンセプトが業界のコンセンサスになったのである。

しかし2025年から2026年にかけて、風向きが変わり始めた。

Cerveloは新型S5を投入し、前世代比で空力を大幅に改善したと主張。ポガチャルはColnago Y1RSを駆って圧倒的な勝利を重ね、同社のオールラウンダーV5RSを差し置いてエアロバイクを選択した。

Factorは極端なバヨネットフォークを持つONEを発表し、業界に衝撃を与えた。

さらに重要なのは、UCIの規格改定を受けてエアロバイクの空力をさらに引き上げる余地が生まれており、エアロバイクがオールラウンダーを乗り心地やハンドリングでも凌駕し始めている。

Cervelo S5とColnago Y1RSは、真のエアロバイクでありながら最良のオールラウンダーと同等のライドフィールを実現しているとメーカーは主張しており、逆方向からの収斂が起きている。

SL9の立ち位置

2026年のエアロロード市場を俯瞰すると、SL9は独特の位置にいる。

カテゴリー 代表モデル アプローチ フレーム重量帯
エアロ Cervelo S5、Factor ONE 空力最優先、バヨネットフォーク、ディープチューブ 900g~1,050g
エアロ+軽量ハイブリッド Colnago Y1RS、Scott Foil RC 空力と軽量の高次元バランス 965g~850g
軽量オールラウンダー+エアロ Tarmac SL9、Pinarello Dogma F 軽量性を軸に空力を積み上げ 687g~865g
軽量 Specialized Aethos 2、Cervelo R5 重量削減最優先 585g~690g

SL9は軽量オールラウンダーの系譜に位置しながら、空力要素を大幅に強化したモデルだ。687gというフレーム重量は純粋軽量の領域に肉薄し、4ワットの空力改善(SL8比)はエアロ+軽量ハイブリッド領域への接近を意味する。

Time to Finishのシミュレーション結果が示すとおり、SL9はCdAではCervelo S5に劣る(0.2227m? vs 0.2215m?)が、6.80kgのシステム重量で登坂区間を活用して総合タイムで逆転する。

TARMAC SL9は本当に最速?8コース検証結果、富士ヒルも!
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SL9のような収斂型のバイクは、専用クライミングフレームとほぼ同じ軽さで、ディープチューブのエアロロードにほぼ匹敵する効率を持つ。ほとんどのライダーにとって、これが最も賢い選択というのが私の結論だ。

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軽量オールラウンダーは、どこまでエアロになれるのか

SL9のエアロ化は物理的限界に近い

SL9が到達した地点は、軽量オールラウンダーとしてのエアロ化の現時点での到達点であるが、物理的限界とはいえない。

Offset Steererによるヘッドチューブの薄型化はまだ余地を残しているかもしれず、ダウンチューブやシートチューブの断面最適化にもさらなる改善の余地はあるだろう。

しかし、エアロ化を進めるほどに、ふたつの壁が立ちはだかる。ひとつは重量の壁だ。エアロ形状のチューブは丸断面よりも多くのカーボンを必要とする傾向があり、Flow State Designの構造効率をもってしても、どこかで重量増を伴わざるを得ない。

SL9がSL8比2g増にとどめたのは、Flow State Designの貢献であるが、これをさらにゼロまたはマイナスに抑えることは世代を追うごとに困難になるだろう。

もうひとつはライドクオリティの壁だ。

SL9のホワイトペーパーが明言しているとおり、SL9はSL8と同一のコンプライアンスと剛性目標を維持している。この目標を維持する限り、チューブの断面変更には構造的な制約が課される。

エアロのためにコンプライアンスを犠牲にすれば、疲労によるポジション変化→CdA悪化→Time to Finish増加という負の連鎖が生じうる。Time to Finishという指標自体が、エアロ化の暴走にブレーキをかける構造になっているのだ。

Vengeは本当に不要になったのか?

SL7時代、わたしはVengeの復活を訴え続けた。

vengeはやっぱり良かった。
思い返すとvengeは速いバイクだったなと思う。身体にもあっていたし、成績も良かった。乗り慣れていたというのもある。あと、スタックが小さく、エアロポジションも取りやすかった。舞洲TTでもタイムトライアルバイクと戦って3位だった。バイクとしては全く問題なく、ターマックSL7乗るならVengeが良いなと今でも思う。問題はBBと重量。BSAでfact11にしてくれたら、tarmacと同じ値段でも即購入す...

TarmacがVengeの代替として優秀なオールラウンダーであることは認めつつも、何でもこなすが何も極めないバイクがSL7、SL8、SL9だ。歴代のTarmacに乗り、SL9を購入しつつも、Vengeのようにエアロの限界を攻めるバイクを求めている。

自分で言うのも何だが、この意見には今でも一理あると思っている。

2025年以降のCervelo S5やFactor ONEが示しているのは、エアロの極限を攻めても乗り心地やハンドリングを犠牲にしない設計が可能になりつつあるということだ。

Colnago Y1RSはフレーム965gでありながら前面投影面積をV4RS比19%削減し、ポガチャルがあらゆるコースで使用するほどの万能性を獲得した。

かつてのVengeのような一台ですべてのコースをこなせるエアロバイクが出現しているのなら、スペシャライズドも同じ方向からアプローチする選択肢はあったはずだ。

しかしスペシャライズドが選んだのは逆のアプローチであった。

エアロバイクを軽くするのではなく、軽量バイクをエアロにする。687gというフレーム重量を基盤とし、その制約の中で空力を最大化する。この選択の裏には、Time to Finishという指標が導く論理がある。

勾配約1.4%を超えると重量がCdAを逆転するのであれば、687gの軽さを維持したまま空力を積み上げる方が、多くのコースプロファイルでの総合タイムは短くなるからだ。

何を開発のゴールとするかで、生み出されるバイクは180°違う。

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プロ選手が求める条件

ワールドツアーの現場では選ばれるエアロと軽量

2026年のワールドツアーにおけるバイク選択は、興味深い分岐を見せている。スペシャライズド系のチームはTarmac SL9一本で全ステージを走る。一方、Cervelo系はS5とR5を併用する。UAEチーム・エミレーツはColnago Y1RSをほぼすべてのコースで使用する。

ここで注目すべきは、ポガチャルがY1RSで山岳を含むすべてのステージを走っている事実だ。

フレーム965gのY1RSは、かつてのVengeのようなエアロ専用機ではないが、純粋な軽量バイクではない。エアロと軽量の高次元バランスを実現したことで、コースを問わず一台で戦えるバイクになっている。

これはSL9がTime to Finishで目指している方向と同じであり、異なるメーカーが異なるアプローチで同じ結論に到達しつつあることを意味する。

SL9でスペシャライズドが提示したスピードの方程式は、ライダーのタイプを選ばない。ルーラー、スプリンター、逃げのスペシャリストのいずれに対しても、SL9は単一のプラットフォームとして機能する。

フレームは変わらない。ホイール(Rapide CLX III、Sprint CLX、Alpinist CLX III)とコックピットの選択で構成を変える。これはかつてVengeとTarmacの2台で実現していた機能を、1台のフレーム+構成変更で代替するシステムになった事を表している。

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まとめ:Vengeの幻影とSL9の現実

Tarmac SL9はVengeの後継なのか、それとも何か別のものなのか。もはや過去のバイクになりつつあるVengeを思い浮かべながら、SL9に乗った。結論は皆さんがご承知の通り、Tarmac SL9はVengeの後継ではない。

Vengeは空力を至上命題とし、そのためにすべてを犠牲にすることを厭わなかったバイクであった。

SL9は速さの定義そのものを書き換えたバイクである。CdAの最小化ではなく、ゴールまでのタイムの最短化。この目的関数の転換が、SL9をVengeとは本質的に異なる存在にしている。

しかしSL9には、Vengeから受け継いだものもある。Win Tunnelで磨き上げたリーディングエッジの造形、ライダー込みのムービング・レッグ・マネキンによる空力検証、実戦のデータから設計を逆算するMade in Racingのアプローチ。

これらはVenge時代にAero is Everythingの名のもとに培われた空力開発のインフラと文化であり、SL9はその恩恵を最大限に受けている。Vengeの遺伝子は、SL9のすべてのチューブの中に生きている。

エアロ専用車の時代が終わったかどうかは、おそらく問い自体が間違っている。終わったのはエアロか軽量かという二者択一の時代であり、始まったのはTime to Finishに代表されるシステム最適化の時代だ。

Cervelo S5がエアロバイクでありながらオールラウンダーのライドフィールを獲得し、Tarmac SL9がオールラウンダーでありながらエアロバイクに匹敵する空力を獲得した2026年。両者は異なる出発点から同じ到達点に向かって歩んでいる。

Vengeを知る世代の一人として思うのは、Vengeがいなくなったことへの寂しさよりも、Vengeが残した風洞の文化とエアロの哲学が、SL9という形で進化を続けていることへの敬意だ。

Aero is Everythingは終わった。

しかし、エアロが不要になったのではない。エアロはすべてではなくなっただけだ。すべてを統合するTime to Finishの中で、エアロは重量やライドクオリティと対等なパートナーとして、ゴールまでのタイムを削り続けている。

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