誰のために書くのか。

私は評価や言論を記すとき、気をつけている事がある。それは、自分の為でもなく、ものを売りたい人たちの為でもなく、メーカーのためでもなく、見てくれる人たちを納得させるだけの材料をどれだけ提供できているかである。

最近ブログやSNSという個人のメディアが徐々に力を持ち始めてきた。誰でも発信できるし、誰でも好きなことを記すことができる。文章を記すということは、その人の趣向や思考、はたまた内なる欲望の部分、または自己顕示欲がもろに浮き彫りになる。

だれも突っ込んでくれないし、誰もとがめてくれない。だから、思考が暴走する。欲にはまり、思考の罠に落ちる。誰のために文章を綴り、誰のためになることを書いているのか。

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ネットで書くということ

ネットという特殊な世界で物を広めようとしたとき、やはりやり方がある。「買ってくれ買ってくれ」と言っても消費者は動かない。クリックしてくれクリックしてくれと言っても消費者はクリックしない。

私達のような自転車界で一番多いであろう、裾野のフルタイムワーカーのサイクリストたちもアホではない。プロ選手が供給されたものをプッシュする事は正しい。ただし「プロが使っているから」という使い古されたキーワードはネガティブな広告になりつつある。

自分が食べていくために大金が動き、モノが動く。

そのような情勢の中で、私のような素人が記す文章の中にどれほどの価値があるのか。私が記すことは、良さを知ってもらうことと、悪さを知ってもらうことだ。そして最後にそれを含めて「納得」してもらうことだ。それでも読み手にとって有益な情報であれば何かしらの思いを持ってくれる。

それが、ソーシャルのコメントであれ、何であれ人の心を自分の文章で動かせたなら素晴らしいことだ。

誰のために書くのか。ふと湧いた単純な問は、自分のために書かず、誰かが読んでくれるという確証のない中で綴る。読み手の顔は見えない。ただ、今この記事を読んでいる人へ向けて、何かしらの想いを伝える為に書いているのだろう。今こしらえた四本ローラーの記事は2万文字を超えてしまった。

読みなおしを含め、校閲はだいたい40回ほど。どの記事もリビジョンは40を超えているので単純に毎回これくらい読みなおして、修正している。それでもわかりにくい文章があるから困る。

だれでも理解できるように書くのは難しい。それでも文章を書くのは好きだから、これからも誰かのために書き続けるのだろう。いま書き綴る記事が誰かの役に立ち、何かを動かせたならまた次の活力になる。

書き手の報酬は、それだけでよい。

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