ゴール後、両足が攣り、まともに自転車が降りられない。自転車を降り、近くのベンチに座りこむとなぜか涙。ここのところの自転車競技の集大成として挑んだ大会だ。競技をするのだから当たり前だが、自分なりにやれることをやってきた。競技者が練習の苦痛を主張しても仕方がないが苦しさの向こうにに、栄光を夢見ていたのは事実だ。虹色のシャツが着たかった。でも、現状あれ以上の走りは出来ない。
到達感、無力感、感動、喜び、絶望、色々な感情が溢れた。
ー UCIグランフォンド世界選手権パース「中切れは万死に値する」より ー
その時、男の目の前には燦然と輝くアルカンシエルが確かに存在していた。人一倍近くで見てきた私は、それらは絵空事の冗談ではなく本気で狙いに行っていたと、あえて強く申し上げておきたい。
競技人生の集大成
会社の上司で50歳の人を想像してみてほしい。多くはややふくよかで、体型的には望ましくない人が多いのが現状だ。もちろん一般的にはそれが「ふつう」なのだろう。ただし、ことサイクリストは違う。何歳になってもエンデュランス系のスポーツの場合は体型維持と、並外れた体力を持ち合わせている。
50代にして、実業団群馬CSCのE1で五位に入るなど今でも衰えぬ力を持つ選手は、先日オーストラリアパースで開会されたUCI Gran Fondo World Seriesに出場した。
現在は関西を拠点とするクラブチームの監督を努め、今もなお実業団の第一線で活躍している。人望も厚く皆から慕われる存在―――。その強さの秘訣を誰もが知りたがっている。今回はオーストラリアからの帰国後すぐにお話を伺うことができた。場所は夜の北新地。東京の銀座、大阪の北新地で一杯交えながらお話を伺うことにした。
衰えぬ強さの秘訣
大阪に住んでいようとも北新地で飲む機会は少ない。北新地は大阪キタを代表する飲食店街で、東京の銀座と並んで日本を代表する高級飲食店街でもある。この一帯はラウンジ、クラブ、料亭などを中心とした料飲店が集中している地域で、風俗店やパチンコ店は皆無だ。
ほんの少し入った路地裏なのにそこは別世界。きらびやかな衣装に見を纏った蝶たちが様々な思惑とともに夜の街で羽をゆらす。女性たちの髪型は「盛られた」特殊なアレだ。生物学的に見ても「大きく見せる」事は本能なのかもしれない。クジャクも自分の羽を大きく見せようとする。
動物的に、本能的に彼女らはまるで孔雀のように自分を着飾る。自然界にも似た競争社会の中で淘汰されないように生き残る為の知恵なのだろう。そんな非日常的な風景を楽しみながら、待ち合わせ場所へと向かった。
少し仕事の都合で遅れたので謝りを入れながら苗村監督(以下苗村氏)の前に座る。「俺を待たせるなど偉くなったな藤田よ」と手厳しい。皆が集まっていなかったので、場をつなごうと「アルカンシェル靴下」をプレゼントする。
奇しくも苗村氏の誕生日は私の母と同じ9月9日だ。ニセコクラシックでの健闘と一日早い誕生日祝いを兼ねてささやかなプレゼントを送る。仕事でも、部下でも誕生日を覚えておいて損はない。何より本人が喜ぶし、悪い気はしない。
簡単な雑談のあと、ビールを注文した。注文したのはサントリーの「マスターズドリーム」醸造家の夢が詰まったビールだ。もちろん「マスターズ」に出場した夢とかけている。北新地だから他にも高いお酒が並んでいるが一杯目は「とりあえずビール」だ。
苗村氏はビールを二割ほど飲み、グラスの水滴を拭き取り、音を立てずにテーブルの上にグラスを置く。普通ならコースターがあるはずだが、この店にはない。置いたグラスを少し握りしめたまま、少しの沈黙の後あふれる水を塞き止めるかのように、ゆっくりと話しはじめた。
「ひとつの大きな目標に向かい、数カ月練習できた事は、大きい」
意外な言葉だった。普通なら「オーストラリアはね」とか「レースきつかったわ」というような話になる。私は自分の中の解釈に少し時間を要した。わずかばかりのタイムラグのあと徐々に言葉の核心を理解しだす。
苗村氏の中には明確に「アルカンシェル」が存在していたのだ。そして、それを自分のものにしようと日々厳しい練習を重ねていたのだ。日本を旅立つ前にポツリとこんな言葉を残している。
「あのスタートラインに立てるということはすなわち、その中かからアルカンシェルが決まるんや」
普通のレースなら一着、二着というある意味着順のみを決める勝負だ。もちろんこのレースも例にもれないが、これは世界一を決める勝負。UCIのアルカンシェルを決めるのだ。遠くオーストラリアの地におもむき、何を見て何を感じたのか。体験した本人にしかわからない世界を、静かに語り始める。
本人の口から語られた言葉でその模様を最後まで見届けてほしい。
UCIグランフォンド世界選手権パース 前編
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