気がつくと、メタ認識ばかりしている。今回はそのメタ認識をした自分自身の話だ。特に誰かに向けて書いたわけではなく、頭の整理という側面のほうが大きい。
ニセコクラシックが終わってから、反響がすごかった。総合は6位で実質的にはレースで負けなわけだけど、Youtubeでレースを見ていた方が多く「総合1位石井・・・、2位木村、3位高岡、4位牧野、5位安達、6位藤田」というアナウンスがされていたことも大きいようだった。
レース後、サンボルトの橋本社長も「え、驚きましたw」、プロカメラマンの辻啓さんも「え、マジw」とレース後にホンネを言ってくださったけど、それが世間一般の正確な評価だ。それは自分でもよくわかっているけど、なぜあそこまで残れたのかと振り返ってみると、いつもと違う事を考えてレースに挑んでいたことに気づいた。
世間一般の評価と同じように、自分自身も同カテゴリの森本さん、松木さん、雑賀さんといった強豪選手には歯が立たないと思いつつも、強豪選手たちを意識せず新見の上りから始まった最後のニセコの登りまでにあった勝負どころ3~4回ぐらいの高強度を絶対に耐えてやる、という腹積もりしかなかった。
勝つ、負ける、という以前に自分ができる限界はどこか精神面なのか身体面なのかを知りたかった。先に身体に限界が来たわけだけど、後から考えてみると、結果は後から付いてきたとしか思えない。
今までと違うのは、これまでは見果てぬ「ほしい結果」を意識しすぎていた。今回は思い返してみても何週間も前から「レース当日の苦痛に耐えるための準備を1日1日こなしていこう」ということだけしか考えていなかった。
その日、1日限り、自分ができることを愚直に積み重ねるだけだった。
まだ訪れてもいない未来に不安を抱かない。過ぎ去って変えられない過去を悔やまない。その狭間である「今日」という1日だけを一生懸命生きる。ただそれだけに注力した。日々の積み重ねの連続の通過点の結果が、あの結果だったと今では解釈している。
今回、なにか特別なことをしたかといえば何もない。ただ違ったのは外からは見えない「考え方」だった。2019年の前回とは異なり、仕事の時間で拘束され、子供の時間の捻出もしつ、平日のトレーニング時間を朝70分、夜40分と数分の誤差範囲におさめた。捻出できるギリギリの時間で効率を最大限に引き出すメニューを考えた。
気負わないリラックスしたストレスの少ない生活というのはいいものだ。逆に1日の練習時間が少ないのもじぶんにとっては良かった。時間があるとサボってしまう。優先度第1に子供と妻、第2に仕事、第3にトレーニング。あとは、時間を割り当てるだけでいい。
10年ぐらい遠回りしてきたけど、時間がなく歳をとった今が一番充実していてフィジカルも強くパワーウェイトレシオも高いのは皮肉な話だ。ZWIFTのアルプも2022年1月にマツケンさんミートアップで38分で登れた。変わったのはなんだろう、やはり考え方だ。
14年もあれこれブログを通して考えていると、いろんなことが見えてくる。ここから先落ちていくのか上がっていくのか。いまではそのように考えてしまう「考え方のクセ」に対する対処法を持ち合わせている。
「考えても答えなんて見つからないから、今日という日にできることを一生懸命やれ」
そんなふうに考えるようにしている。その日々の積み重ねを続けていると、たまにハマってとんでもないご褒美が落ちてくる。今回はたまたまそのご褒美が落ちてきた。ただそれも今となってはもはや過去の話。自分には不釣り合いな結果なんて忘れて、また今日もできることを愚直に続けて、また次の「たまたま」を受け入れるための準備を今日も怠らず進んでいけばいだけだ。
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