イギリス人のダン・ビンガム(イネオス・グレナディアーズ)が、UCIアワーレコードを更新した。スイスのグレンヒェン・ベロドロームで1時間に55.548キロメートルを走破した。
ダン・ビガムは、ベルギーのカンペナールがこれまで保持していたUCIアワーレコードを、459メートル更新した。2021年にビガムは同じくグレンヒェンのベロドロームで54.723キロのイギリス新記録を出している。
ビガムは2021年シーズン終了後、エンジニアとしてイネオス・グレナディアーズに入社している。以来、ビガムはチームや、特にピナレロ、ビオレーサー、カスクと協力し、マージナルゲインを追求するために、チーム用の機材開発を進めてきたという。
ビガムの自転車と機材
アワーレコード用のトラックバイクは既製品を使わない。どの時代もカスタムメイドだ。ビガムは、イネオスのチームスポンサーであるピナレロと共同でバイクを改良した。以下が使用した機材リストだ。
・Pinarello prototype frame
・MOSTカスタム3Dエアロハンドルバー&エクステンション
・Princeton Track Special カーボンチューブレス
・Continental GP5000 TT
・WattShop Cratus Aero クランク64T
・WattShop Cratus コグ 14T
・IZUMI SUPER TOUGHNESS KAIチェーン
・Muc Off Ludicrous-AF
・Bioracer カタナ タイムトライアルスーツ
・Bioracer エピック オーバーシューズ
・KASK Mistral ヘルメット
・Nimbl EXPECTシューズ
・SiSスポーツニュートリション
ピナレロ プロトタイプ フレーム
フレームはピナレロのプロトタイプが投入された。ウィギンスがアワーレコード時に使用していたフレームとは全く別物のフレームだ。ぱっと見は気づきにくいが、特徴的なのがシートポストとシートチューブに施された、ノコギリの歯のような「うねうね」だ。
波打つ形状は、プリンストンカーボンワークスのホイールに採用されている。空力効果が高まる効果がある、独特の断面変動形状がいよいよフレームにも採用されたことになる。ピナレロを象徴する艶かしいフレーム形状と相まって特別なフレームに仕上がっている。
フロントフォーク、シートステー、チェーンステーとあらゆる部分が、UCIの新レギュレーションを採用し極太、極薄の形状に進化している。特にチェーンステーはペラペラで薄すぎて怖いほどだ。 ピナレロのプロトタイプのトラックバイクは、極限まで薄さを追求したスペシャルなバイクと言える。
MOSTカスタム3Dエアロハンドルバー&エクステンション
ハンドルはピナレロのコンポーネントブランドMOSTの「3Dエアロハンドルバー&エクステンション」だ。先日発表されたピナレロのBOLIDEの、「シカのツノ」のようなハンドルと同様に、ライダーの腕に合わせてワンオフで制作される逸品だ。
専用設計であるため一般には販売されていないが、既製品で同様のタイプはWattShopの「Anemoi Aero Extension System」がある。 Anemoi Aero Extension Systemはワールドカップで優勝したHuub Wattbike Test Teamが共同開発した。
空気力学的に最適化されたバーで、エクステンションから腕にかけて空気の流れをスムーズにする。そのため、境界層の分離(剥離抵抗)、乱流、空気抵抗を減すことができる。 こちらは、トラック用以外にも一般的なタイムトライアル用もラインナップされている。シマノDi2のスイッチなども取り付けられるタイプだ。
シマノDi2 5 ポート ジャンクションボックス専用の内部スペースも用意されている。完全に内部の機械的および電子的ケーブル ルーティングを可能にした。 バーは、シマノのミサイルや、他社のベースマウントとも互換性がある。1秒を争うタイムトライアル系の選手は導入を検討してみても良いかもしれない。
プリンストンカーボンワークス トラック スペシャル カーボンチューブレス
ホイールはイネオスが契約外で使用したことで有名になったプリンストンカーボンワークスのスペシャルホイールだ。タイムトライアル世界王者のフィリッポガンナはシマノのホイールを一切使わず、プリンストンカーボンワークスのホイールだけを使い続けている。
今回のアワーレコードにおいても、前後プリンストンカーボンワークスのトラック用スペシャルカーボンチューブレスホイールが投入された。 実はこのスペシャルトラックホイールは、何の前触れもなくプリンストンカーボンワークスの公式サイトに登場していた。
前後対称のソリッドディスク、モノコック構造のカーボンファイバーホイールで、ハブ間隔やリアコグもカスタムできる。 そのためお値段もぶっ飛んでいて、8,250ドル(日本円:115万円)というプライスだ。それだけ特別なホイールであり、世界最速を目指す場合に使用するのだろう。
それでいて、トラックホイールはチューブラーというイメージがあるが「カーボンチューブレス」だ。 時代は、チューブレスタイヤに移り変わろうとしている。
Continental GP5000 TT
タイヤはGP5000TTだ。 フィリッポガンナもこのタイヤを使用して数々のレースで勝利を収めてきた。軽量かつ転がり抵抗が低いタイヤで、イネオスもツール・ド・フランスで投入するほどの性能を備えている。
GP5000TTは転がり抵抗が小さいタイヤだが、世界最速のタイヤではない。マージナルゲインを追求するイネオスらしくないが、オイルにデータ上の世界最速ではないMuc-OFFを使ったりとスポンサー絡みの都合もあるようだ。 タイヤの転がり抵抗の序列については以下のとおり。
1. RECORD C:21.3
2. CORSA SPEED TLR:21.3W
3. POWER TT:22.2W
4. SUPERSONIC CL:22.7W
5. GP5000 TT:23.1W
わずかな差であるが、アワーレコードともなると60分の間に1mmでも遠くに行く必要がある。もしかしたら、今回のアワーレコードでCORSA SPEED TLRを使用していたらもう少し遠くまで進んでいたのかもしれない。
WattShop Cratus Aero Crank
クランクも空力性能を追求したWattShopのCratus Aero Crankだ。 Cratus Aero Crankは、エアロダイナミクス、ドライブトレイン効率、バイオメカニクス、剛性など、あらゆる面で最高レベルに設計されている。独自のクランクアーム長調整システムにより、160mmから175mmの間で調整が可能だ。
クランクアームを短くすると空力性能が高まることが知られており、バイクフィッティングやエアロテストをより迅速かつ容易に行うことができる。134mmという超狭幅のQファクターは、バイオメカニクスとエアロダイナミクスの両方を向上させる狙いがある。
このクランクは、トラックとロード用モデルがラインナップされている。134mmのQファクターも共通だ。現在市販されているほぼすべてのクランクセットよりも幅が狭くなっている。
クランクアーム長は160mmから175mmまで調整可能(160/175mm, 162.5/172.5mm, 165/170mm, 167.5mm)。また、固定クランク長も用意されている。ロード用オプションには、低摩擦添加剤入り1xナローワイド・チェーンリング(58/60/62/64T)が付属する。
トラック用には、58/59/60/61/62/63/64/65/66Tの低摩擦添加剤入り1/8 “トラック・チェーンリングが付属する。 ステップチェーンリングデザインと呼ばれる独自のエアロチェーンリングは、歯とチェーンリングの段差が、チェーン外板からの空気力学的な流れの分離を減らす効果がある。
ステップチェーンリングデザインは、チェーンアウタープレートをチェーンリングと同一平面に保ち、気流の剥離を低減している。 144BCDがチェーンリングのたわみを抑え、低摩擦添加剤が配合された素材が表面摩擦を極限まで低減している。 まさに究極のクランクだ。
IZUMI SUPER TOUGHNESS KAIチェーン
チェーンは、日本が誇るチェーンメーカーの和泉チエン株式会社のKAIが使用された。 US チームと共同開発したKAIチェーンは、オリンピック競技用チェーンとして開発され従来のモデルよりも10ワットの摩擦抵抗を低減している。
2019年トラック・ワールドカップで金メダルを獲得している。 IZUMI SUPER TOUGHNESS KAIの特徴としては、高摺動性と密着耐久性の高機能コーティングがプレート、ブッシュ、ローラーに施されている。また、シームレス・ブッシュ化による高摺動耐久性も実現しており、踏力を余すことなく伝達することにも寄与している。
アワーレコードを支えたのが、日本の和泉チエン株式会社であることは単純に嬉しい。このKAIチェーンは一般にも販売されている。 何より嬉しいのが価格だ。楽天の最安が7000円台で買える。日本では7000円で購入できるのだが、海外(米国)のVelobikeshopなどでは188ドル、およそ2万5000円もする。
筆者自身、普段のローラートレーニングでIZUMIのゴールドチェーン(V)を使用しているが次はKAIにしようと思っている。
Muc Off Ludicrous-AF
Muc OffのLudicrous-AFに関してはレビューを行っている。以下の記事を参照してほしい。
まとめ:1%の積み重ね
アワーレコードはあらゆる抵抗との戦いだ。特に空気抵抗や摩擦抵抗を低減することに関しては、現状考えられる最高の機材が投入されている。フレームはピナレロのプロトタイプで、いまだ謎に包まれた断面変動を備えたフレームだ。
プリンストンカーボンワークスのホイールは販売はされているものの、バイクにあわせたカスタムメイドだ。トラック競技用のタイヤはこれまでチューブラーが主流だった。しかし、チューブレスタイヤを使用していることからも、転がり抵抗を優先させた結果といえる。
ただ、タイヤの空気圧がどれくらいかについては明らかにされていなかった。トラック競技場は路面状況が良いため、インピーダンスロスはほとんど生じない。そのため、通常よりも高い空気圧が入れられている可能性がある。
すべてをつなぐチェーンは、日本の和泉チェン株式会社の製品が採用されていたことは嬉しい。ダンが使用したピナレロのプロトタイプバイクのチェーンステーには日本語で「和泉チェン株式会社」とデザインされたステッカーが貼られている。
あらゆる機材の究極系を盛り込んだアワーレコードバイクは、最速を追求する1つの答えを現していた。