「そんなのは絶対に成功しない。」
ヒットした商品や成功したビジネスが取り沙汰されると、決まってこの一文におめにかかる。苦労と挫折を繰り返しながら成功へとたどり着く物語は、いつの時代も人の心を揺さぶる。ただ、忘れてはならないのは1つの成功の裏には、失敗した無数のビジネスが転がっているということだ。
「自転車の洗車」はどちら側に転ぶのか。2020年2月、寒い冬の日にシクロクロスのレース会場で泥だらけになった私のバイクを洗うラバッジョの福井氏を見ながらそんなことを考えていた。手を真っ赤にしながら泥だらけのバイクを洗う姿が印象的だった。
誰にでもできる「自転車の洗車」がビジネスとしてほんとうに成り立つのか―――。
ラバッジョのオーナー福井氏は2014年から2019年までNIPPO・ヴィーニファンティーニで専属のメカニックとして活動をしていた。2016年当時、サンスポのWEBサイトに福井氏が寄稿していたジロ・デ・イタリアの現地レポートの模様を、私は日々楽しみに拝読していた。
福井氏が日本に帰ってきたら「プロチームとジロデイタリアを回ったメカニック」といったふれこみでバイクショップでもオープンするんだろうな、そんなだれでも思いつくような安直な想像を私は当時ぼんやりと思い描いていた。
ただ、福井氏がオープンしたのは斜め上、いや、方向すら予想できない国内初の「自転車の洗車専門店」だった。
今回の記事は、国内初の自転車専門店ラバッジョの「洗車」と「コーティング」に注目しつつも、ラバッジョにしかできない「体験」の付加価値について掘り下げた。私が体験した少し違った角度のラバッジョについて書き綴っていく。
同様のサービスが生まれても
ビジネスがうまくいくと、決まって二番煎じが出てくる。ボタン式のガラケーが全盛期の時代に、これまでにない画期的なタッチスクリーン方式のiphoneが登場したときと同じだ。
iphoneが発売した当時は、「女性が爪でボタンを押せないからiphoneは売れない」と評論家が真剣に言っていたという笑い話もある。ところが今では各社タッチ式スクリーン式が主流になりガラケーは文字通りガラパゴス化した。
自転車の洗車も初めはそう思われていたのだろう。少なくとも私は、そう思った。
ラバッジョが登場してから、同様の洗車サービスを展開する店舗が現れた。実際にお店に行ってみたところ「誰にでもできる」事だから同じようにバイクは綺麗になった。しかし、私という一人の人間からみたとき、ラバッジョの洗車はどうも他と違っていた。
ラバッジョの洗車には「洗車技術」と合わせて「体験」という付加価値が備わっていた。
ラバッジョは「洗車」と「コーティング」を売りにしている。ただ、ラバッジョが本当に売っていたものはこの2つだけではなかった。ラバッジョに訪れ、実際に愛車を預けなければ、決して経験のできない付加価値があった。ラバッジョは初めから独自の世界を確立し差別化を図っていた。
これなら、大手のショップが洗車サービスに乗り出してきても生き残れる。そう感じた。
体験という付加価値
ラバッジョが自宅近くに本格オープンしたあと、実際に店舗へ伺ってサービスを受けた。コーティングは最も手の込んだ焼き付けコーティングを依頼した。その後、大事なレースの前には洗車も依頼した。コーティングの仕上がりも洗車も満足のいくものだった。
通常の記事であればここからの続きは、コーティングのプランだとか、仕上がりだとか、使用しているポリッシャーは、洗車の技術は、といったありがちな内容をつらつらと書いていくのがいつもの流れだ。本来はそれが記事の本質だと思うし、読んでくださる読者の皆さんに対して伝えなければならない内容だと思う。
しかし、それよりもラバッジョで体験した今までにないサービスのほうに興味を惹かれた。例えば洗車であれば、自分の自転車が見たことのないような泡まみれになっていく。これは、大人でも子供でも見ている側として面白い光景だ。
洗車技術、そしてと見る側も楽しめる数々の「意味のあるパフォーマンス」を交えながら行われていく洗車作業の風景を楽しめるのだ。ひとつ興味深かったこととして、洗車のノウハウを包み隠さず教えてくれたということがある。いろんな人から同じ質問を幾度となくされているだろうと思っていたが、懇切丁寧に教えてくれた。
仮に訪れたお客さんが競合他社のショップ店員であれば、ノウハウが流出し盗まれかねない。しかしラバッジョは「洗車技術」は他がまねできないということと、洗車技術以外の付加価値をつけて差別化していると自分たちが強く理解しているのだろう。
瞬く間にピカピカになっていく自分のバイクは、今まで見たことのない美しさに仕上げられていた。どんな溶剤を使っているのかまでは教えてくれなかったのだが、おそらくその溶剤を使ったとしても同じような洗浄レベルにまでは到達できない。作業風景を見て理解した。
コーティングは結婚式
ラバッジョには最上級の焼き付けコーティングプランというものがある。私はPINARELLOの最高峰のトラックバイクであるMAATの施工にと申し込んだ。日数はかかるものの、その仕上がりはショールームに陳列されているような高級自動車さながらだった。そして、実際に引き取りに行った際に感じたことは、
「結婚式」
だった。これから最上級の焼き付けコーティングプランを施工する人のために、あえてネタバレにならない程度に「結婚式」と比喩的に書いておく。
バイクと対面するときにこれほど緊張したことは、これまで一度たりともなかった。明らかに、ラバッジョのコーティング後に行われる対面式は違っていた。バイクには真っ赤なヴェールがかけられており、店舗に到着してもすぐにその全貌はわからない。
ヴェールの先には確かに自分が預けたバイクが確かに存在しているのだが、今までとは全く違った感情が徐々に湧き上がってくる。そして、そのヴェールを取った先には―――。
思い出したのが、結婚式だった。
この「結婚式」の続きは実際に自分自身で体験してほしい。コーティングされつくした自分自身の愛車の美しさもさることながら、そのバイクと対面するまでもまたドラマチックだ。普段から起伏のない人生を歩んでいる人であればあるほど、ラバッジョの体験に驚くだろう。
この続きを次に見届けるのは、あなただ。
まとめ:ラバッジョに行けば笑顔になれる
冒頭で、「誰にでもできる自転車の洗車がビジネスとして成り立つのか」という一文を記した。
ラバッジョがお客様に提供しているのは、洗車やコーティングだけではない。実際にサービスを受けてそう感じた。これまでの自転車関連のビジネスといえば、同じような既製品のモノを売ることであったり、作業を行って工賃を頂いたりすることがほとんどだった。
しかし、ラバッジョがお客様に提供していたのは唯一無二の「体験」だった。そして、サイクリストと愛車の間にかつて存在していたであろう、新鮮で初々しい気持ちを改めて思い起こさせてくれる、きっかけの場だった。
そして、洗車やコーティングに共通していたのは「技術」ではなく、サイクリスト自身の笑顔だった。
「洗車の聖地」
聖地は、特定の宗教や信仰にとっての本拠地となる場所だ。またはその始まりにまつわる重要なところでもある。それは特別な場所であり特別な意味を持っている。とはいえ、似たような洗車サービスはこれからも数多く登場してくるかもしれない。ただ、聖地はひとつだけだ。
ラバッジョでしか体験できないことがある。それは、他人が商品を買ってレビューするような「見るだけの世界」とは異なり、あなただけにしか感じ取ることのできない一人一人に存在する体験なのだ。ラバッジョは洗車の聖地としてこれからも、驚きと、笑顔と、感動をサイクリストに提供し続けていってくれるのだろう。