自分で作った壁を取り除くたった1つのこと

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ああ、自分の思考のメモが多くの人の目に触れている事実は慙愧にたえない。

個人が記録し、検索するために作られたブログは多くの人の目に触れ成長していく。リアルの世界で、ブログの話をされるのが正直本音は恥ずかしい。ブログは私という人間を表す媒体ではないから。

個人のほんの少しの考えの断片が一つの記事になり、集合体がブログを構成する。個人の戯言、偏見がこれでもかと載せられた低俗なメディアだ。と、ここまで書いて「読んでておもろい」と言われ、嬉しい。

もしかしたら、上に偉そうに記載したことも、本音は照れ隠しかもしれない、と客観的に分析する。

本当に寝起きをともにした、チームの仲間の扱いは、それとは異なる。よく知り、付き合ってみると、まったく違った人間性が見えるとのこと。そっちが本当の自分だ。

多くの人と話すと、一つ気づくことがある。自分で作った壁に気づく人と、そうでない人がいる。

ある、古くからチームを支える方と、会話した。某Aさnさん(某はもはや意味をなしていない)。私は特にAさnが来てくださったのが嬉しかった。

なぜか、わからないけどお礼をしたかった。

私にはあの場にいらっしゃった意味を、大きく受け止める。養老孟司先生の、430万部売れた「バカの壁」で書かれている”壁”というものがある。自分自身で作り出した壁が引き起こす弊害を書いているので読んで欲しい。

この壁がまったく見えない。いや取り払ったのかは定かではないが、そう感じた。どれほど多くの人が、自分自身で作った壁と戦い、壁を人のせいにしてきたか。自覚はしておらずとも壁は存在する。それを取り払い行動できたほんの数%のお一人だ。

その方の話を伺いたかった。話を伺いやはりと感嘆する。この日は私に与えられた、ある限られた時間で話をする必要がある。時間がない中で、どんなことを考えているのか、聞いてみたい。

私はこう思う。年齢を重ねるごとに今いる環境と地位に落ち着こうとする。他者を排除し、いくらかの優越感を周りにばらまきながら、結局は「自分自身でつくった壁」に取り囲まれ、朽ちてゆく。

そんな人間を、周りで散々みるのが苦しい年だった。

そうならない方の思考はどうなっているんだろう。単純で悩まず、考え結論づけていた。「悩む」ことは物事を複雑化することだ。対して「考える」とは、物事を単純化して行く作業だ。特殊相対性理論の帰結はE = mc^2で示されるように考えた結果は単純で美しい。

その結果の話を溝さんがFBにアップしている。

“「自転車が好き」という気持ちに垣根はない”

この一文が「バカの壁」の言わんとすること、そして考えた帰結である、

そしてこれが、昨日のマイクスピーチで、「藤田さんと先ほど話してたんですが、、、」という話の背景だ。

この日、第一をある人と走った。まさに上の一文に集約される。

またいつか昔みたいに、皆で走ろう。
きっと、皆そう望んでるから。

走るのは選手だ。

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