「五十にして天命を知る」この言葉を残したのは中国の有名な思想家、孔子だ。人は50歳になってやっと、自らの運命や宿命を知る。孔子は15歳で学問を志し、30歳で学問についての見識を得た。40歳で芯から揺らがなくなり、50歳で自らの使命を自覚した、60歳で、と続く。これらは各年代における格言と言える。
生きて行く上で様々な人と関わっていくと、その中で様々な物の見方や、考え方に触れる機会がある。特に50歳を間近にした現役スポーツ選手と関わった時の話だ。それらの選手に共通している点がある。そこには、孔子が説いた「五十にして天命を知る」という格言が的確に当てはまるのだ。
「五十にして天命を知り、いまだに現役選手」という方達は何が違うのか。そして、自身はあと何年選手としていられるのだろうか。その手掛かりを50歳を目前にした身近な選手と、現役サッカー選手の三浦知良選手(47)から読み取りたい。
50歳を目前にした三浦知良選手
突然だが私はサッカーに興味がない。ワールドカップの日すら当日知るような興味の無さだ。当然選手についても全く知らない。ただ、長友選手の体幹を鍛える本や、三浦知良選手の本、長谷部選手の心を整えるといった本は読ませていただいた。
その中で50歳を目前にした三浦知良選手の著書「やめないよ」から、肉体の限界に向かい合いながら選手として戦う強さの知見を得たい。本書は、選手とはなにか、競技を今でも続ける(続けられる)意味を考えさせられる。
読み進めていくうちに、当チームの選手兼監督と合致するところが多い。そして、それら重要な箇所と共通する強さの秘訣を、5つのキーワードとしてまとめることにした。
他人のせいにしない
多くの場合「試合」に負けると次のような二通りの考え方をしていないか。負けの原因を「自分以外の誰か」に向ける場合と、「自分自身」に向ける場合だ。原因が内にあるのか、外にあるのか、選手のその言葉の中に読み取ることができる。
著書やめないよの中に「他人のせいにするな」という言葉がある。サッカーに限った話ではないという前置きをしつつ本書内ではこう書かれている。「~がちゃんとしてくれないから失敗した」「僕・私はできるのに、あの人のせいでうまく行かなかった」と。
確かに私が取り組んでいる自転車競技において、同じような事を私自身が言ってしまっているので耳が痛い。「落車に巻き込まれて20位でした」「周りの選手に埋もれて30位でした」「前の選手のタイヤに当たって・・・」と言いた出したら切りがない。
これら問題を内ではなく、対外に向ける事により成長の差が生まれる場合がある。
本書にはこうある。「他人はともかく、自分のここがダメだった。」と考える人とは歴然とした差が開くと。その1回1回の積み重ねが選手としても人としても差が開いていく要所だと言える。確かに試合がどんな結果であれ、当チームの監督も常に自身の内側に原因を探っている。
原因を内(自分自身)に探るならば、自分自身の事なのでいくらでも改善できる。しかし、自分以外の何かに原因を持ってきたとしても、それら自分以外の誰かを変える事は容易いことではない。常に原因は内にあり、自分自身から改善する必要がある。
原因を自分自身に向けられるからこそ、改善することができる。
五十にして天命を知った現役選手達から学ぶこと
他人のせいにしない
失敗する確率を知る
「一生勝てない選手の方が多い」そう監督は言う。異論はない。1年に20試合あったとして全部出たとしても残り10年で200試合だ。そのなかでただ一人勝てるとしたら、選手人口を考えてもなんら疑う余地がない。1人の勝った結果のそれ以外は負けだ。圧倒的多数が「負け」で埋めつくされる。
だからこそ、三浦選手もこう記している。
「何事も失敗する確率のほうが高い。そこであきらめる人とあきらめない人の差が出る。」
宝くじも買わないと当たらない。当たるまで買い続けるのが「当てるコツ」だとしたら、トンチのようだが的を射ている。とすると、勝つまで諦めない事が『勝つこつ』とするならば諦めずにやることこそ勝利への近道と説いている。
普段の練習で感じられることがある。当チームの監督は取りに行くと決めた場所を必死になって取りに行く。そこに向かう様に諦めなど感じない。その結果が先日のレースにおける入賞につながったのだろう。そしてチーム内の誰よりも成績が良かった。私はある坂の手前で諦めてしまった。
シビアな試合になればなるほど、差は小さなところから大きくなり、成績も明確に変わってくる。
五十にして天命を知った現役選手達から学ぶこと
失敗する確率のほうが高い、かと言って諦めてはいけない。
過去にとらわれない
「最速は20年前以上に置いてきた」あるとき監督が放った言葉だ。常に「現役最強」を求め続けろと言うが、最速は過去にあるとはどういうことだろうか。その言葉にはいろいろな過去がある。詳しくは「30年以上前に置いてきたものとは」を一読していただきたい。一転、過去に囚われた人間の発言は聞いていて滑稽である。それらの話は別の記事「過去にとどまり成長が止まった人間の共通点」としてまとめた。
三浦知良選手も同じようなことを、こう記している。
「これまで本当に良いサッカー人生を送ってきた。でもそれは昨日までの話。今日もすぐに過去となる。明日をどんな一日にして、どう自分を高めるか。僕はそれだけを考えていたい。」
今日は明日には過去なのだ。過去にとらわれず、明日の事を考える。終わった事を足かせにするのではなく、かと言って明日になってみないとわからない、不明確な未来に不安を覚える必要もない。今日という日を大事にする。なにより今この時点が大事なのだと。
過去に早かった自分を今と比べ、落ち込んでいる選手が居るようだ。しかしこのように今もなお現役で居られる選手は、過去の自分を受け入れて、うまく向き合えている。先人もきっと同じように過去の自分と比べて苦しんだことだろう。
だからこそ、その経験もこのような言葉として生まれ変わる。
五十にして天命を知った現役選手達から学ぶこと
過去にとらわれず、今この時点を大事にする
やるのが一番
選手としてやるには、試合に出なくてはならない。それらの競技を競技者として居続ける事が必要だ。しかし、なぜ体力的にも厳しくなってきてもなお、選手なのだろうか。
このような一部文が本書の中にある。
サッカーを見るのが好きなのか、するのが好きなのか?見ることがやることほど面白いとは言えない。やることが一番。監督業?いや、選手がいい。
何事もやってみるのが一番楽しい。確かに自分自身でやることが何よりの原動力なのだろう。その楽しさを感じ、取り組み続けられる事が選手を続けられる理由になっている。
五十にして天命を知った現役選手達から学ぶこと
自らやることを一番楽しむ
続けるための努力
長い競技経験であればあるほど、失敗と向き合う時間が大きい。その対処の仕方で辞めたり、続けられたりする。そのような時に悩んでしまうがどうしたら良いのだろうか。三浦知良選手はそのヒントをこう語っている。
失敗して、考え悩むこともあるだろうけど、立ち止まっていてはいけない。
当チームの監督も同じことを言っていた。悩んでもいいが、次にどうするか策を練る為に考えるのであり、そこにとどまる為に悩むことはないと。失敗は常にする。1位になっても試合中ミスはするだろう。要するに終わりがないのだ。
だから、悩みつつも続けるための努力を怠らない。それが長く続けられる秘訣と言える。
五十にして天命を知った現役選手達から学ぶこと
失敗はする、ただそこで止まってはいけない。
まとめ
「学問なき経験は、経験なき学問に勝る」という有名なことわざがある。これら長らく生きてきた方達が語る言葉に共通しているのは、経験から得た教訓だということだ。長く物事を続ければ続けるほど、問題を乗り越える度に何かを得る。
そしてその無数の経験から順当に経験を積んできた結果、天命を知るのだろう。
小手先のテクニックやノウハウは1日や2日で得られるかもしれない。しかし、長い時間をかけ経験から生み出されたものは簡単に手にはできない。
五十歳を間近にし「天命を知った」現役選手達は一体何を知ったのだろうか。私はこう思う。この先誰よりも選手としての期限は短い。だからこそ「自身が経験してきた事を選手として伝えること」と、そして「あの歳までやれるんだ」という生き様を選手として伝えたいように見えてならない。
まさに、生きる手本である。
自分の方が身体的にも若いはずなのに、これら先輩の選手に負けるとやはり悔しい。しかしそれは指導する側としたら「思惑通り」と思っている事だろう。やはり天命を知った50歳間近の現役選手達は、自分自身の残された時間の中で何をすべきかを心得ているのである。