監督が口癖のように選手に言う。「今日が現役最強であるように」と。今生きているこの時が最強と言えば、この瞬間が過去と比較して絶頂期と言える。私はそこで気付いたことがある。気づいたことは自転車に限った話ではないので少し書き残しておきたい。
気づいたことは、過去の自身に囚われる思考について。私はそれらの人の思考に違和感を感じた。何がその違和感を感じさせたのだろうか。また自分自身を客観的に見て、それらの思考に該当しているではないか。なぜ、過去に囚われるのか、少し考えて見たい。
思考の整理学
元の話の種は一冊の本だ。「思考の整理学」という本。学生時代読んだ方もいらっしゃるだろう。大体学校に昔から置いてある有名な書籍である。本書(思考の整理学)を改めて買い直して読み進めた。以前書いた、「練習を続ける事と飛行機が飛ぶ共通点 」の話もこの本からのインスパイアである。
話を戻そう。周りにこんな人はいないだろうか。「自分の若い頃はもっと・・・」、「君がうちに来る前はこうだった・・・」、「私が若い頃なんてもっと苦労・・・」と言った、誰も聞きたくない、自己満足に塗れた話の切り口だ。
この手の過去の話を好む人がいるのは、なぜなのだろうか。その発言者の傾向を見て行くと、二つの要素を併せ持っており、ある決まった法則が有ることが面白い。それは「過去に何らかの功績を残している」ことと「現在はピークより下がっている」の2点だ。
場合によっては自分自身で頑張ったということも功績に含まれる場合がある。これは人それぞれの物差しのさじ加減一つで変わる。
ただ、この二つを持っていたとしても「過去にとらわれる人」、「過去にとらわれない人」はこの条件の中でさらに明確にわけられている。それらの違いはなんだろうか。そしてどのような”おこない”で表面化するのだろうか。
過去にとらわれている人の例
現段階が過去よりも能力が下がっている条件下だと、過去にとらわれやすくなる。どうにかして今の自分とは「違う過去の自分」を周りに話したい。そして、認めてもらいたい。また、それらの過去の栄光を引き合いにだし、優越感と「戻れないあの頃」に浸る。
まさに過去に取り残された自分を、今この現在において「自己紹介」している。この場合、自分自身は非常に気持ちいいだろうが、聞いている方からすると非常に哀れである。ネットスラングで表現するなら「オワコン」終わったコンテンツである。
これらのカテゴリに属する人に見られる傾向がある。「明日から本気だす」パターンだ。努力の方法や強くなる方法を知っているのに「~が落ち着いたら」や「~に邪魔されて」と外的要因を引っ張り出し、今この時に実行しない「イイワケ」で防御する。
事実どんなに忙しくてもやるひとはやるし、やらない人はやらない。事実、外的要因よりも、自分自身の中にある内的要因に深く寄与している。
まるで、「明日からやったらすぐにでもなんでもできますよ」と言いたげだ。これらの人は、何年経っても同じことを言っている。おそらく、無意識にだろうから、外から言ってあげる事も必要かもしれない。
過去にとらわれない人の例
過去にとらわれない人の共通点がある。昔あった事をほとんど人に話さないし、ひけらかさない。引き合いに出さない。当チームの監督がそうだ。あまり多くを語らない。私が過去の話を知ったのは監督のブログである。多くは語らない。
逆にそちらのほうが、なにか見えないオーラがあり人が吸い寄せられる。ようは表現せずともにじみ出る物だ。
過去にとらわれない人は達の共通点は、今の自分自身の能力を客観視できている。だから、今何をやるべきかどうしたら強くなるのかわかっている。
もうひとつ、学ぶべきことがある。それは「練習始めます」や「練習して強くなる」とはいちいち言わない。ただ、黙々と決められたメニューを続けてこなす。「練習に取り掛かる初動」の発言など皆無である。
これらの人に共通しているのは「やるのは当たり前」なのだ。
初動の話をいつまでたっても言い続けているようでは、小学生が親に勉強やりなさいと言われ「今からやろうと思っていたのに」とふてくされるのと同じである。
いわば、「やるやる詐欺」だ。
「言うは易く行うは難し」とはよく言ったものである。ことわざになるくらいだから、過去にもこのような人間が沢山いて、聞かされる方は「ああ、また言ってる」と人類の歴史上過去に幾度と無く繰り返されてきた思考なのだろう。
まずは自分自身から変えてみようか
このように、客観的に思考を整理してみると自分自身にも当てはまる。過去にスキーで築いた物に少し未練がある。やり始めたらすぐにでも元に戻る、そんなことは今は微塵も思わない。やはり、やるかやらないかなのだ。
仕事だってそうだ。過去のやり方をやり続けていては、他社に並ばれいづれ追い越される。過去の技術は過去だ。その過去を良い意味で踏襲し新たな方法を想像する。例えば練習のレストを五分から三分にするだけでもいいだろう。
周りでやけに過去の自慢話をするや上司や、過去の自分はこんなに凄かったんだぜと、吹聴する人は「もう今はこの人終わってるんだな」と判断すれば良い。
それよりも、やるべきことを実際に実施している人、例えば毎日練習したり、勉強したり、続けている人を見習いたい。決して「初動動作」に関してああでもない、こうでもないと言っているうちは、やってないのと一緒である。
そう考えると「今日が現役最強」にカテゴライズされるためには、過去の引き出しなどひけらかしている余裕などないはずだ。今日という日も明日には過去になる。今日よりも明日の自分の方が強ければ、現在が最強だ。だから、過去の自分にとらわれてしまった時点で、もう最強でなくなる。
毎日そうやって最強の自分を越えて行く。だから今日の自分はまだ「現役最強」ではないのだ。ただ、いづれくる肉体的な限界に直面した時に、苦しみながらも過去に縛られずに進める、そんな人間でありたい。