今だ何をやっても自分が望んだ通りの結果は出ない。ただ、自分自身の中で一つ見誤っていないことがある。
「続ける」ということだ。
何事も結果を求めて物事に向きあう。結果が出なかった場合は、様々な反応をする。多くは自身が思い描いていたような素晴らしい結果通りにはいかない。確率的に考えても、一つしか枠がない所に100人の同じ思いを持った人間が殺到したら、99人は溢れる。
この思い通りに行かなかった99人の多くは、ひどく落胆するだろう。なんでこうなったと自問自答して、嫌になるかもしれない。では、もう一度一つしかない枠に向かって100人が同じ思いを持って挑んだとする。今度は以前溢れた99人の中のある一人が枠に収まる。
それらの繰り返しを見ていると、諦めずにやり続ける事は、自身が思い描く結果に近づいていることになる。松岡修造氏がこんな言葉を残している。
100回叩くと
壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば
壊れるかわからないから、90回まで来ていても
途中であきらめてしまう。
あと10レース出たらあなたは勝ちますよ、なんて事は誰も教えてくれないし、知ることも出来ない。
「結果を出す」という本質とは工夫しながら、やり続ける事なのかもしれない。求めるモノが高く、求める人が多ければ多いほど、挫折や思い通りに行かない事の方が多い。ただ、もうすぐ手に入れられるかもしれないが、不明瞭な中でもがく事は非常に苦労を伴う。目的地は告げられず、目的地を目指しなさい、と言われるようなものだ。
ただし、目的地は必ず存在している。
失敗の積み重ねから学び改善することは、成功のために必要な部品集めに過ぎない。結果、完成した時の喜びも比例して大きくなって行く。完成した状態はだれも検討もつかないが、この失敗という部品を集める事自体を嫌わず、諦めないことだ。結果的に、何かしらの形を形成していく。
その形はどんな状態になるのかは誰にもわからない。しかし、やり続けなくては全容を見ることなく虚しく終えてしまう事だろう。仕事であれ、なんであれ、やり続けなくては活路を見出せない。進まずして、望むべき結果を得られる程、成功というものは甘くはない。
もしかしたら、次の一踏み、次の一もがきで、壁は壊れるかもしれない。ただ、それは誰にもわからないから、自分で工夫して改善しながらやり続ける。改善のためには、失敗が必ず必要な部品である。物事は捉え方と受け取り方でその様相は大きく異なって行く。