DT Swiss ARC 1100 SPLINE 38 CSは、同社の30年以上におよぶスポーク製造の歴史に風穴を開けた、初のカーボンスポーク搭載ホイールだ。
公称重量1,200g、リムハイト38mm、SWISS SIDEとの共同開発による空力最適化リム、そして180 SPLINE CSハブにSINCセラミックベアリングを内蔵した最上位仕様。従来のフラッグシップARC 1100 DICUT 38から約125g(10%相当)の軽量化を達成している。
しかし、数字だけを見て飛びつくのは早計だ。
20mmという内幅はいまの業界潮流からすれば狭く、サードパーティ製カーボンスポークの採用は、老舗スポークメーカーのDT Swissにとって異例中の異例であり、日本価格492,277円という値付けは競合との慎重な比較を迫る。
余談だが、筆者が初めてDT Swissのハブを手にしたとき、あの精密なラチェット音に心を奪われた記憶がある。スイスの時計産業に通じる精度への執念が、ハブという小さな部品に凝縮されている。
その同じメーカーが、スポークという自社の根幹技術を外部に委ねてまでカーボンスポーク化に踏み切った。この決断の重みを理解するには、まずVONOAという存在を知る必要がある。
VONOAがなぜ選ばれたのか

DT Swiss初のカーボンスポーク採用において最も注目すべき事実は、そのスポークがDT Swiss自社製ではなく、中国のカーボン複合素材メーカーSTREN社のブランドであるVONOAから供給されている点である。
世界最大のスポークメーカーが外部にスポーク技術を委ねるという、ある種の逆説がここにある。
VONOAのエアロカーボンスポークは、T字ヘッドのストレートプル方式を採用し、断面は約3.5mm × 2.2mmの扁平翼断面形状をとる。1本あたりの重量は約2.5~2.8gであり、従来のSapim CX-Rayブレーデッドスチールスポーク(約4.75g)のおよそ半分に過ぎない。
たとえるなら、スチールスポークが筋肉質のアスリートだとすれば、カーボンスポークは同じ力を持ちながら体脂肪率を半分に絞り込んだマラソンランナーのようなものである。この1本あたり約2gの差が、ホイールセット全体では100~125gの軽量化として結実する。
接着剤を使わない接合技術

カーボンスポーク最大の技術的課題は、リムやハブとの接合部にある。VONOAはこの問題に対して独自の「Glueless Mechanical Connection Technology」(接着剤不使用機械式接合技術)の特許を取得しほぼ市場を独占している。
テーパー加工された端部にアルミニウム合金製のヘッドとスレッドを強い力で圧入し、接着剤なしで強固な結合を実現する仕組みである。VONOAはこの技術に対して世界中で数十件の特許を出願済みだ。
ニップルはVONOA製の隠しアルミニップルで、リムベッド内側からHEX 5.5mmキーでアクセスする。
個別のスポーク交換とホイールの振れ取りが可能であり、Lightweight Meilensteinのようなモノコック一体成形構造とは異なるサービス性を確保している点は、実走派のライダーにとって安心材料だろう。
カーボンスポークの空力はスチールより優れる?

意外な事実がある。
カーボンスポークは空力面ではスチールに僅かに劣る可能性がある。スチールスポークはより薄い断面に成形できるため、純粋な空力性能ではSapim CX-Rayなどの極薄ブレーデッドスポークに分があるのだ。
Lightweight社のR&D責任者も「純粋にエアロを追求するなら、カーボンでは不可能な薄さをスチールで実現できる」と指摘している。
では、なぜDT Swissはカーボンスポークを選んだのか。答えは明快で、空力の微小なトレードオフを受け入れてでも、重量削減を最優先したのだろう。ここに、このホイールの方向性がみえてくる。
登坂においてはホイール外周部の重量が走りの軽さに直結するため、空力よりも回転慣性モーメントの低減を重視した判断だ。このあたりの優先順位の付け方に、クライミング特化型としての設計哲学が垣間見える。
なお、VONOAのスポークは標準的なGen.4製品であり、DT Swiss向けに特別改良されたものではないことが確認されている。
VONOAはNewmen、Reserve、Hunt、FFWD、Scopeなど多数のホイールブランドにスポークを供給しており、カーボンスポーク業界における事実上の標準サプライヤーになりつつある。
SWISS SIDE:F1レベルの空力開発

このホイールのリム空力設計を担当したのは、スイスの空力コンサルタント企業SWISS SIDEである。
ARC 1100 SPLINE 38 CSのスポーク本数はフロント18本、リア24本であり、前モデルDICUT 38のフロント24本から6本が削減された。カーボンスポークのスチール比約30%高い剛性がこの攻めた設計を可能にしている。
車のサスペンションでいえば、バネを太くしたぶん本数を減らせるのと同じ原理だ。
レーシングパターンは両輪とも2:1レーシングを採用している。フロントは高応力側12本、低応力側6本で、ラジアルと2クロスの混合配置。リアはドライブサイド16本、ノンドライブサイド8本の2クロスという非対称構成で、駆動力伝達効率と横剛性のバランスを最適化している。
競合製品とスポーク数の違い
| ホイールセット | フロント | リア | 合計 | スポーク素材 |
| DT Swiss ARC 1100 38 CS | 18 | 24 | 42 | カーボン(VONOA) |
| Roval Alpinist CLX III | 21 | 24 | 45 | 複合材(Arris熱可塑性) |
| Lightweight Meilenstein ART | 20 | 20 | 40 | カーボン(R2R一体成形) |
| Campagnolo Bora Ultra WTO 35 | 21 | 21 | 42 | スチール(G3パターン) |
| ENVE SES 2.3 | 24 | 24 | 48 | スチール |
| Zipp 303 Firecrest | 24 | 24 | 48 | スチール |
DT Swissのフロント18本は主要競合中で最少であり、合計42本はLightweight Meilenstein ARTの40本に次いで少ない。
スポーク数の削減は空力上の利点(抗力面積の縮小)と重量削減に寄与するが、横剛性とスポーク1本あたりの荷重増大というトレードオフが存在する。DT Swissはハブフランジの再設計と2:1レーシングの採用により、この課題を補っている。
重量1,200g、競合比較で見えるもの

公称1,200g(ホイールセットのみ、テープ・バルブ含まず)は、DT Swiss製品ページの1,204g表記と差がある。後者はフリーハブボディやリムテープを含む測定基準の違いと推測される。
主要クライミングホイールの重量
| 順位 | ホイールセット | 重量 | リムハイト | 内幅 |
| 1 | Princeton CarbonWorks Alta 3532 | 1,094g~ | 32-35mm | 21mm |
| 2 | Roval Alpinist CLX III | 1,131g(テープ+バルブ込) | 33mm | 21mm |
| 3 | DT Swiss ARC 1100 38 CS | 1,200g(テープ等含まず) | 38mm | 20mm |
| 4 | Lightweight Meilenstein ART | 1,190g(±3%) | 45mm | 22.9mm |
| 5 | ENVE SES 2.3 | 1,197-1,222g(±3%) | 28F/32R | 21mm |
| 6 | Roval Alpinist CLX II | 1,250-1,265g | 33mm | 21mm |
| 7 | Zipp 303 Firecrest | 1,355g | 40mm | 25mm |
| 8 | Campagnolo Bora Ultra WTO 33 | 1,385g | 33mm | 21mm |
この表を見て注意すべきは、各メーカーの計測基準が統一されていない点である。Rovalの1,131gはテープ・バルブ込みであるのに対し、DT Swissの1,200gは含まない。
テープとバルブを加算するとDT Swissは推定1,200~1,210gとなり、Roval CLX IIIとの実質差は約70~80gに広がる。一方で、DT Swissの38mmリムハイトはRovalの33mmより5mm深く、平地や下りでの空力で優位に立つ。
この「重量vs空力」のトレードオフこそ、両者の設計思想の根本的な違いである。
ARC 1100 SPLINE 38 CSはDT Swiss ARCシリーズ中で最軽量であり、10年前のMon Chasseral(28mm、チューブラー)をも下回る。DT Swiss史上最軽量のホイールと位置づけられている。
180 SPLINE CSハブ
ARC 1100 SPLINE 38 CSには、カーボンスポーク専用にハブフランジを完全再設計した180 Straightpull Spline CSハブが搭載される。
従来の180 DICUTハブとは別物であり、VONOAカーボンスポークの太いT字ヘッドを受け入れるための拡大されたスポーク孔と、最適化されたフランジ形状を持つ。いわばカーボンスポークのために仕立てられたオーダーメイドのハブだ。
Ratchet EXP
エンゲージメント機構はRatchet EXP 36Tを標準搭載し、エンゲージメント角度は10度。54T(6.7度)へのアップグレードも可能である。
最大の設計革新は、ラチェットリングとスレッドリングを単一部品に統合したことで、部品点数の削減と軽量化を同時に達成した点にある。スプリングも従来の2本から1本に簡素化されている。


Ratchet EXPの構造的優位は、全歯が同時に噛み合うことだ。ポール式ハブ(たとえばNovatechやIndustry Nine)が数点の接触ポイントで駆動力を受けるのに対し、ラチェットリング全面で荷重を分散するため、1点あたりの応力が大幅に低減される。
時計のゼンマイ機構に例えるなら、歯車全体で力を受け止めるか、一部の爪だけで受けるかの違いだ。ただし、接触面積の増大はフリーハブの抵抗がやや大きいという副作用を伴う。
ホイールを手で回転させるとクランクが連れ回りする現象が発生する。これは構造上の特性であり、実走行での影響は無視できるレベルだが、店頭で他社ハブと空転させて比較すると気になるかもしれない。
SINCセラミックベアリングの実力

SINC(Silicon Nitride Ceramic)ベアリングは、日本製の窒化ケイ素セラミックボールを使用し、ハブシートとの公差は1000分の1mm単位でマッチングされている。
DT Swissは従来のスチールベアリングと比較して回転抵抗の大幅な低減と4~5倍の寿命を主張する。EXP設計ではドライブサイドベアリングがスレッドリングに統合されており、ベアリング間距離の拡大によりハブ剛性が15%向上している。

セラミックベアリングの効果についてはサイクリング界で長らく議論があるが、DT Swissの場合はベアリング単体の性能だけでなく、EXP構造との統合設計による剛性向上も含めた総合的な優位性が訴求ポイントである。
セラミックベアリングを「宝石のような精度」と表現するのは大げさではなく、実際にSiNボールの表面粗さと真球度はスチールボールを凌ぐ。しかし、既にベアリングは超効率的であり、セラミックにしたとしても実際の効果は薄く、体感できるほどではない。
インプレッション:38mmクライミングホイールの哲学
スポークの覇者が他者を選ぶ意味
DT Swissといえば、世界最大のスポークメーカーである。ROVAL、BONTRAGER、ZIPP、Reynolds、GIANT、Reserveといったメジャーホイールブランドに長年スポークを供給し続けてきた、業界の屋台骨ともいえる存在だ。
その起源は1994年に自転車用スポークの生産を開始して以来、鉄のスポークとともに歩んできた歴史がある。
そのDT Swissが、自社の最高峰ホイールであるARC 1100 SPLINE 38 CSで外部の「中国製ブランドのカーボンスポーク」を採用した。飛ぶ鳥を落とす勢いのVONOAのカーボンスポークである。
この意味は大きい。世界最大のスポークメーカーが自社製スポークではなく他社製スポークをフラッグシップモデルに搭載するという、業界にとって極めて象徴的な出来事だ。あのシマノでさえ、新型DURA-ACEホイールのプロトタイプでVONOAを採用していることが確認されている。
【速報】シマノ新型DURA-ACE R9370、プロトタイプホイールにVONOA製カーボンスポーク搭載。 pic.twitter.com/srEqE7nNsk
— IT技術者ロードバイク (@FJT_TKS) March 13, 2026
カーボンスポークが静かに主流になりつつあるように、この潮流の中でDT Swissが採った判断は、一見すると「屈した」ように映るかもしれない。しかし、その本質をより深く見つめれば、これは敗北ではなく合理的な進化の選択であることが見えてくる。
Reserve WheelsがVONOAスポークの品質について述べた言葉は、わたしの記憶に強く残っている。「過去5年間カーボンスポークを調査してきた中で、スポークの引張試験における一貫性を初めて示したのがVONOAだった」と。
この発言が示すのは、VONOAが単なるコスト優位のサプライヤーではなく、品質と信頼性で業界の基準を満たした数少ないメーカーだということだ。VONOAは接着剤を使わない機械的接合の特許技術を保有し、世界各国で数十件の特許を取得している。
DT Swissほどの企業が自社のアイデンティティともいえるスポークを外部に委ねた事実は、VONOAの技術力が世界最高峰のスポークメーカーの品質基準を満たしたことの証左にほかならない。
ARC 1100 DICUT 38のスチールスポーク版はDT Aerolite IIを用いてペア1,299gを実現していたが、カーボンスポーク版のARC 1100 SPLINE 38 CSはペア1,200gへと125gの軽量化を達成した。
フロントのスポーク本数はスチール版の24本から18本に削減され、ラジアルと2クロスの混合パターンを採用。リアは24本の2クロスを維持しつつ、2:1レーシングで駆動側に16本、反駆動側に8本という構成である。
自社のスチールスポークでは到達し得なかった軽量性と剛性のバランスを、VONOAのカーボンスポークが可能にした。これはDT Swissにとって屈服ではなく、自社の限界を正確に認識した上で最善の解を求めた、エンジニアリング上の誠実な判断だと筆者は考える。
20mm内幅の「古い選択」は時代遅れか
ARC 1100 SPLINE 38 CSのスペックシートを見て、まず目を引くのがリム内幅20mmという数値だろう。
現代のホイール設計において、21mmは最低限、22~25mmが主流となりつつある。DT Swiss自身も、同時期に発表した第3世代ARC 1100 DICUT(55mm、65mm、85mm)では内幅を22mmに拡大している。
ENVEのSES 4.5は25mmの内幅を採用し、ワイドタイヤとの親和性を設計思想の核に据えている。こうした業界全体の潮流に照らすと、20mm内幅はたしかに「古い」と映る。
しかし、この数値には明確な設計上の意図がある。
DT Swissの開発チームは、SWISS SIDEのジャン=ポール・バラードとともに38mmのリムハイトと20mmの内幅を「最適な妥協点」として選択した。
クライミング用途にカテゴリを絞り、25mmや28mmのタイヤを前提とした場合、リムの体積と積層を減らすことで外周重量を極限まで削減できる。この思想は、2025年にENVEがSES 4.5 PROで取った設計変更と本質的に同じ方向を向いている。
ENVEはSES 4.5(内幅25mm)からSES 4.5 PRO(内幅23.5mm)へとリム幅を縮小し、高弾性率カーボンファイバーの採用とあわせてリム重量をフロント約40g、リア約32g軽量化した。
ENVEが『幅広が正義』のトレンドに逆行したわけではなく、その本質はクライミングという特化領域における重量と空力の最適化にある。
30mmのディープリムを使わず、あえて38mmを選び、ワイドリムを追わず20mmに留める。この「引き算の設計」は、万能性を手放す代わりに、登坂性能という一点において突き抜ける覚悟の表明である。
すべてを得ようとするホイールが溢れる市場において、何かを「捨てる」決断ができるかどうかが、道具としての純度を決めるのだと思う。
コーナリングの繊細さをどう捉えるか
28mmのタイヤに20mmの内幅を組み合わせるのは、個人的に久しぶりの体験だった。近年は21mm以上の内幅が当たり前になり、タイヤが自然に丸く膨らむ感覚に慣れきっていた。だからこそ、コーナリングから重点的に試すことにした。
結論から言えば、コーナーではシャープな旋回性を感じる。タイヤの接地面がわずかに狭くなることで、切り込むような鋭さが生まれる。これは「良いシャープさ」であると同時に、「繊細さ」でもある。
21mm以上の内幅で膨らんだタイヤがもたらす「包み込むような安心感」とは異質の感覚だ。
路面のうねりや砂の浮いたコーナーでは、よりタイヤの空気圧設定がシビアになる。裏を返せば、的確な空気圧を見つけたときの旋回性能は鋭く美しい。道具に合わせてセッティングを追い込む楽しさがある、とも言える。
加速感と減衰の物理
加速時にペダルを踏み込んだ瞬間、即座に反応する。このホイールの設計思想が最も色濃く反映される部分だろう。
ペア1,200gという外周重量の軽さは、慣性モーメントの低減として明確に体感できる。ゼロ発進からのスプリント、ダンシングでの加速、コーナー出口からの立ち上がり。あらゆる場面で「踏んだ分だけ進む」ダイレクトさがある。
ただし、物理の法則は公平だ。
外周の慣性モーメントが小さいということは、ペダリングをやめたときの速度維持力も低いということを意味する。45mm以上のディープリムと比較すると、巡航時の速度減衰は明らかに速い。
これは25~38mmクラスの軽量ホイールに共通する特性であり、ARC 1100 SPLINE 38 CSも例外ではない。平坦路でのロングの巡航では、ディープリムに対して不利になる場面があるだろう。
しかし逆に言えば、インターバル的な加減速を繰り返すヒルクライムやアップダウンの多いコースでは、この軽い慣性が味方になる。勾配の変化に対する応答性の高さは、レースにおける決定的なアドバンテージになり得る。
軽量ホイールに期待すべき空力性能
38mmのリムハイトに空力性能を過度に期待するのは筋違いだろう。しかし、ARC 1100 SPLINE 38 CSには空力の専門家であるSWISS SIDEが開発に関与しており、単なる軽量ホイールとは異なるアプローチがなされている。
DT Swissの風洞試験データによれば、低ヨー角ではARC 1100 DICUT 50に近い空力性能を示し、高ヨー角においてのみ数ワットの差が生じるにとどまるという。
さらに、本ホイールはWTS(Wheel Tire System)としてコンチネンタルと共同開発されたAERO 111タイヤ(フロント26mm)とGP 5000 STR(リア28mm)がセットで販売される。今回は私物のタイヤでテストしたが、ホイール単体を購入する際の抱き合わせになる。
AERO 111はタイヤ表面に設けられた特殊なエアロチャンバーによって乱流境界層を形成し、リムからの気流剥離を遅延させる設計だ。
この「ホイールとタイヤを一体のシステムとして最適化する」という思想は、DT SwissのAERO+コンセプトの核心であり、ARC 1100 SPLINE 38 CSにおいてもその恩恵は確実に感じられる。
今回のテストは六甲山で行った。
登坂区間での軽さ、勾配変化に対する応答性、カーボンスポークがもたらす剛性感はいずれも好印象だった。重要なのは、このホイールが「軽いだけ」ではなく、軽量性とエアロ効率の絶妙なバランスを1,200gという数字の中に凝縮しているという点だ。
意外と、走らせる歓びがある
実際のところ、VONOAカーボンスポークとバランスの取れた38mmリムという設計は、筆者が好むホイールの動きをする。悪い書き方をすると、Nepest NOVA 45を”高級”にした感じだ。
レースの結果を抜きにすると、走らせること自体が楽しいホイールだ。軽量性と優れた剛性の組み合わせが、ペダルにかける圧力のすべてに対して反射的に応答する。
冬の風の強い日にテストしたにもかかわらず、横風安定性、低ヨー角での速さ、下りでの安心感は高い水準にあった。38mmという控えめなリムハイトがもたらす横風への耐性は、50mm以上のホイールでは得難い安定感だ。
しかし一方で、リムの設計精度が非常に高い代償として、タイヤのマウントが難しい。コンチネンタルのタイヤと共同開発されたWTS仕様であることが関係しているのかもしれないが、ビードの嵌合はタイトで、マウントの難易度は高かった。
精度の高さと組み付けやすさはトレードオフの関係にあるが、出先でのタイヤ交換を考えると、事前の練習は必須だろう。
レースを走る筆者の経験から補足すれば、DT Swissのホイールは総じて神経質さがある。路面の情報をダイレクトに伝える反面、荒れた路面では硬質な突き上げを感じる場面もある。
しかし、スプリントからの立ち上がりで駆動力のロスが少なく、Ratchet EXPのラチェット機構が生み出す噛み合いの良さは、ペダリングに対する信頼感に直結する。踏んだ瞬間に駆動がかかる感覚は、レースの勝負所で精神的な安定をもたらしてくれる。
バイクとの相性
ARC 1100 SPLINE 38 CSの剛性感は、S-WORKS TARMAC SL8のような剛性感のレースバイクとの相性が良いと感じた。
スチールスポーク版のARC 1100 DICUT 38は、DT Swiss特有の「芯の硬さ」がときに神経質さとして現れることがあったが、カーボンスポーク化によってこの剛性感が「締まった方向」に作用していると感じる。
スチールスポークの金属的な振動の伝わり方とは異なり、カーボンスポークは振動の減衰特性が穏やかで、高剛性でありながら角の取れた乗り味を実現している。
余談だが、早くからVONOAスポークを採用してきたNEWMENのStreem Climbing VONOAやNepest NOVAでも、VONOAカーボンスポークの剛性と振動減衰特性が両立する点が評価されている点は納得できる。
これはGen4 カーボンファイバーの素材特性に由来するもので、鉄の約半分の重量でありながら引張強度に優れ、かつ振動吸収性が高いというカーボンスポーク特有の利点だ。
「引き算」の哲学が生んだクライミングツール
実際に試してわかることは、DT Swiss ARC 1100 SPLINE 38 CSは、万能なホイールではないということだ。このホイールは尖りすぎているが、設計思想と方向性が一点を向いているからだろう。だから万人受けはしないが、好きな人は好きなホイールだ。
20mmの内幅はワイドタイヤとの相性において制約を生むし、38mmのリムハイトは平坦路での巡航において50mm以上のホイールに劣る。タイヤのマウントは手間がかかり、約50万円の価格は決して安くない。
しかし、このホイールが問いかけているのは「すべてを得ることが、本当に最善なのか」という根源的なテーマだ。
DT Swissは自社のスチールスポークへの執着を手放し、VONOAのカーボンスポークを選んだ。リムの内幅を広げるトレンドに抗い、20mmに留めた。これらの「引き算」の判断が、ペア1,200gという圧倒的な軽さと、クライミングに特化した純度の高い走行体験を生み出した。
ホイール選びとは、結局のところ何を優先し、何を諦めるかという選択である。
すべてを満たすホイールは存在しない。だからこそ、ARC 1100 SPLINE 38 CSのように「何のために作られたのか」が明確なホイールには、道具としての誠実さがある。
六甲山の勾配を駆け上がりながら、そう感じた。
競合ホイールとの比較
Roval Alpinist CLX III:最大のライバル


1,131g(テープ・バルブ込み)は現行メジャーブランド最軽量であり、Arris製熱可塑性複合材スポークを採用する。33mmリムハイトはDT Swissの38mmより浅く、平地での空力は劣るが、純粋な登坂重量では優位。
21mm内幅はDT Swissの20mmより広い。価格は約$3,300~3,500で、WTS込みのDT Swissより割安。純粋なヒルクライム性能を最優先するライダーにはRovalが有力な選択肢となる。
Lightweight Meilenstein ART:芸術作品

ドイツ手工業によるカーボンスポーク一体成形ホイールの元祖。1,190g、45mmリムハイト、22.9mm内幅という優れたスペックだが、euro5,999~8,495という価格は別次元である。
DT Swissの約2倍のコストで性能差は小さい。ブランドの歴史と職人技に価値を見出すコレクター向けといえる。
ENVE SES 2.3:バランス型
1,197~1,222gでDT Swissに近い重量帯。28mm/32mmの前後異形リム、21mm内幅。約$2,850とDT Swissより$900近く安価である。
ただしフックレス専用であり、タイヤ互換性に制限がある。長年のプロ使用実績と高い品質管理で知られ、コスト重視のレースライダーに推奨される。
Zipp 303 Firecrest:コスパ高
1,355g、40mm深さ、25mm内幅で約$1,900。DT Swiss CSの半額以下で、より広い内幅を持つ。重量はDT Swissより181g重いが、グラベルからロードまでの汎用性は圧倒的だ。
純粋なクライミングホイールではないものの、バリューを重視するライダーには最も合理的な選択である。
改善すべき点
ARC 1100 SPLINE 38 CSにはその革新性の裏に複数の課題が存在する。購入を検討するなら、これらを正直に把握しておくべきだ。
最大の弱点は20mmという内幅の狭さである。2025-26年の業界トレンドが23~25mmに向かう中、同社の第3世代DICUT 55/65/85が22mmに拡大したにもかかわらず、このCSモデルは旧世代の20mmを踏襲している。
28mm以上のタイヤを最適な形状で装着する際に制約となり、特にロングダウンヒルでのコンフォート面で不利を生む可能性がある。ワイドタイヤ全盛の時代に20mmは、正直なところ時代遅れの感が否めない。
WTS(ホイール・タイヤ・システム)専売という販売形態も賛否が分かれる。ホイール単体での購入は不可であり、Continental AERO 111フロントタイヤ、GP 5000 S TRリアタイヤ、TPUチューブが強制的にバンドルされる。
DT SwissとContinentalの空力最適化というコンセプトは理解できるが、既にお気に入りのタイヤを持つライダーにとっては余分なコスト負担となる。
カーボンスポーク固有のリスクとして、スチールスポークが塑性変形で衝撃を吸収するのに対し、カーボンスポークは破断に至る可能性が高い。
実走での応急修理(スポークを巻き付ける)も困難であり、予備スポークの携帯が現実的でない点は長距離ライドやグランフォンドでの懸念材料だ。峠の頂上で折れたスポークと途方に暮れる自分を想像すると、少し背筋が寒くなる。
これは、あえてDT Swissという老舗スチールスポークメーカーの肩を持つような懸念点ではあるのだが、実際のところカーボンスポークホイールを使い込んでいる身からすると、問題はない観点だ。
2025年7月~8月に発生したDT Swissカーボンホイールのリコール(ベトナム工場製リムのフランジ剥離)は、ARC 38mmモデルは対象外であり、CSモデルのリムはポーランド自社工場でのPURE Carbon Technology製造であるため直接の影響はない。

日本での価格と入手方法
日本での販売価格は492,277円(税込)で、正規代理店はマルイが担当する。2026年3月からの出荷開始が予定されているが、スポット生産のため日本への割り当ては限定的であり、購入希望者は早期予約が推奨される。
価格面では、$3,727 USDを現行レート(約150円/USD)で換算すると約558,000円となるため、492,277円という日本価格には約12%の価格調整が施されていると推測される。
昨今の円安・ユーロ高の環境下を考えると、DT Swissやマルイの価格設定はありがたい。
まとめ:革新と妥協が共存するホイール
ARC 1100 SPLINE 38 CSは、DT Swissがカーボンスポーク時代に向けて放った最初の一矢であり、その意義は重量数値以上に大きい。
1,200gと38mmリムハイトの組み合わせは、純粋な重量ではRoval CLX IIIに、空力では深リムホイールに及ばないものの、クライミングとオールラウンド性能のバランスポイントとして独自のポジションを確立している。
DT Swissの最大の資産であるハブ技術(Ratchet EXP、SINCセラミックベアリング)とSWISS SIDEのF1レベル空力開発は、他社にない総合的なエンジニアリング基盤を提供する。
一方で、20mmの狭い内幅、サードパーティ製スポーク、WTS専売モデルという制約は、次世代モデルでの改善が期待される部分だ。
DT Swiss自身が「ポートフォリオ初のカーボンスポークホイール」と強調していることから、22mm内幅の新リムと自社開発カーボンスポークを搭載した後続モデルの登場は時間の問題だろう。
110kgのシステム重量上限とRatchet EXP 36Tの実績ある信頼性は、プロ・アマチュアを問わず安心材料となる。
しかし、492,277円という投資に見合う性能差を体感できるかどうかは、ライダーの脚力とコース特性に依存する。急勾配のヒルクライムTTや山岳グランフォンドでこそ、この125gの重量削減が意味を持つ場面である。
自転車機材の歴史を振り返ると、新素材の導入は常に「懐疑→実証→標準化」というサイクルを辿ってきた。カーボンフレーム、カーボンリム、そしていまカーボンスポーク。
DT Swiss ARC 1100 SPLINE 38 CSは、その標準化への第一歩を踏み出した製品である。完璧ではないが、未来への扉を開いた。その扉の先に何が待っているのか、まずはDT SwissのARC 1100シリーズの今後の進化を見届ける必要がある。
そして、もし予算と情熱が許すなら、このホイールで山を登ってみてほしい。1,200gの軽さが脚を通じて語りかけてくる何かが、きっとあるはずだ。

















