情けは人の為ならず、の意味

日本のことわざの中で最も誤解されている「情けは人のためにならず」ということば。誤用として、「人に親切にすることはその人のためにならない」という使い方がある。というよりこの方が浸透しているかもしれないがこれは明確な間違い。しばしば、年配の方でもまちがって用いることがある。

このことばの本来の意味は、「人に親切にすれば、その相手のためにもなり、やがては巡り巡って良い報いが自分にもどってくる」ということ。というわけで、「見返りを求めている」と捉えられがちだ。しかし話は更に続く。

物事を見るときに我々は非常に狭い範囲で見てしまうことが多い。この言葉でもそうだ。先ほどの続き「やがては良い報いが自分にもどってくる」ということばに注目してほしい。これは「だれから」もどってくると指しているのだろうか。

しばしば、私達は「情けをかけた相手」という短絡的な結論に至ってしまう。そして、情けをかけた相手に対していっそうの期待を傾ける。ただしこれは間違いだ。この「だれか」はある特定の情けを受けた一人ではなくて、「情けを受けていないがあなたを知っている誰か」である。

情けをかけられた人ではなく、「情けをかけられていない人」を指すことがただしい。冒頭のことばに戻ろう。「やがては巡り巡って」ということばを少しばかり注目すると、「巡り巡って」は何か伝搬しているような表現である。その伝搬する役割を担うのはまさしく「人」である。

あなたを知ってる人、もしかしたら知らない人を媒体として、巡り巡って、いつか自分のところへ帰ってくる。だからこう思うのだ。「なんか親切にされたな」と思ったらのならば、遠い昔の自分の行いが僅かに関係しているかもしれない。自分の行いは、まるで世界一周を旅する船のように、出発点に帰ってくる。

ただ、肝に銘じて置かなければならないのは逆もしかり。なにか手助けしてくれない、扱いがひどいならば、もしかしたらその本人に一番の理由があるのかもしれない。ドミノのようにあらゆる期待を傾けていった先には、一体何があるのだろうか。それは、きっと今の自分自身に現れているだろう。