全国的に「自分のいるところが寒い自慢選手権」が活発に繰り広げられている。私の実家の親も例にもれず雪降ったよ、と連絡が来た。「40cmと少ないけど雪降った」と。確かに昔に比べたら少ない。昔はこの辺でも1.5m-2m降った時代があったらしい。しかし、確実に温暖化が進み積雪は減っていく。
実家の気温を見ると最低マイナス5度だった。これは寒いが、北陸では普通だろうか。小さい頃から当たり前だと思っていたことがある。それは冬の間はほぼ、曇りの日や雪が4月まで続くという事だ。日本海側からやってきた雲が山脈でせき止められ雪を降らせる。しかし、太平洋側はその分雲ひとつない。
初めて家を出て一人暮らしをしをした時、太平洋側の天気に感動した。雲がなく晴れ渡っている。気温が氷点下ではなく、雪も積もっていない。自分が当たり前だと思っていたことは、世界が変われば当たり前のことで無かった。たまに実家に帰った時、親がこんなことを言う。
「大阪はいつも晴れてるんでしょ、良いねえ」
と。やはり曇りと雪の天候が多いから、冬晴れているということは珍しいのだ。とすると、気になるのは雪国のサイクリストの事である(田崎さんや村山さんと強豪を連想するが)。聞くところによると、冬場はずっと室内トレーニングらしい。外は太いタイヤのマウンテンじゃないと走れない。春の雪解けまで外を走ることはできない。では話を今の私の環境に戻してみよう。
天候はやはり冬で寒い。ただ寒くともなんと雪国よりは気温の高い1〜2℃だろうか。確かに寒い。しかし雪は積もっていない。そう、外を走れるという雪国の人からしたらとてもありがたい環境がある。「冬でも雪が積もっていない道」という私が当たり前だと思っている環境は、じつは当たり前では無かったりする。
雪解けなど待たず、雪国より少し気温が高い(寒いことに変わりはないが)事を我慢しさえすれば、外を走れる。よく考えたら、大阪のただ寒いだけの環境はとてもありがたい事なのかもしれない。しかし、人間は今置かれている状況から良い悪いを判断する。判断材料がは自分の生きてきた環境の中からしか判断できない。
という、言い訳できない頭の整理をしてから、室外気温計測器の「0℃」を見なかった事にして、峠へ向かう。モンベルのジオラインEXPを着て、南極大陸へ向かう気分になりながら。
ただ、走ると意外と寒くない。
雪国で育った恩恵かなと思いながら、晴れ渡った青空を見上げて実家なら走れないよな、と弱い心を締め出す材料にする。寒くて走りたくない。それは家から出るまでの話であって、走り終われば達成感が待っている。人間は環境に適応する。良くも悪くも。
ただ、峠の下りは尋常じゃなく寒かった。山の気温はマイナス4℃だった。意外と大阪も侮れない。ただ、雪が積もってなく、凍結防止剤が撒かれてるだけマシだなと。そう言い聞かせて、春に芽がでるように、地道に深く、深く根を生やすのだ。春に花が咲くかはわからない。
ただ、土台の基礎が伴わずして大輪も咲かないだろう。苦しいが、楽しいオフロードから地道な基礎練が始まる。いや、シクロクロスの冬での短パン半袖を考えるとロードの完全防寒は「温室」だと言える。そう考えれば、この冬も楽に乗り越えられそうだ。雪国とシクロクロスは、寒さをしのぐ為のメンタルも養わせてくれた。