努力は結果と比例しない。

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今、競技として自転車に向き合っている。普段は仕事をしているけど選手として走る以上結果が全てだ。結果が全て。レースに参加することに意義があるという人もいるけど、結果が全てだ。監督に「努力することが目標になるなよ」とよく言われた。言葉の先には続きがあると思っている。

目標は成績を出すことであって、努力や練習はそのための手段でしかない。結果を出せれば、寝ていたって、走らなくてもいい。最近自分の考え方を観察していると、努力や練習量と結果を結びつけようとしているけど相関関係はとても弱い。

競技として走る以上、結果が全てだ。

ただ、プロではない。たしかにそう。仕事ではない、強制ではない。そのように受け皿を広くしておかねば、様々な生活スタイル、仕事、考え方、取り組み方が異なる集団はまとまらない。だからこそ、自分の中に軸が必要になってくる。

自分の軸は結果を出すこと。

この時期になると、競技を辞めたり離れていく人も居る。私は去るもの追わず、来る者拒まずだけど、潔く選手を辞めることが出来る人は逆に強いなと思う。変に選手という存在にステイタスを感じ続けるほうがダサい。選手登録だけなら金払えば表向きは選手だ。中途半端にやるくらいなら今すぐやめる覚悟を持って走る。

という前置きをしつつ、自分自身が今競技を続けるか悩んでいるというのもある。結果が出なかったから辞めるのか。結果が出るまで試行錯誤し続けるのか。結論は後者だ。だから、切り口を変えてみれば、試行錯誤という努力は必ず必要だということになる。ただそれでも、努力は過程であって目標ではない。

中途半端にやるくらいなら、明日にでも辞めたほうがいいと思っている。だから、キッパリと選手をやめますと宣言できる強さがある人を尊敬してしまう。だらだらと続けることに意味はない。

シクロクロスのシーズンが始まったけど昨年のリザルトとは程遠い結果しか出なくて心折れた。レース中序盤10番手で走るものの、なぜか走れなくなって、踏むのを辞めた。ロードの練習仲間からは、ツール・ド・おきなわ前の仕上がった選手たちとの練習であれほど走れていたのに、と言われてなおのことへこむ。ただ、フィジカル以外の要素が絡んでくるのがシクロクロスだ。

メンタル面なのか、なんなのかわからない。KTR氏に「今シーズンやめますわ」と言ってしまったが、久しぶりに折れたわ。ただ、やっぱりまた走ろうと思ったりもする。

断片的に書いて申し訳ないが、

ただ、逆に今の実力通りの結果なのだと受け入れがたいとおもいつつも割り切って説明がつくのではないかとも思う。単純に弱くて走れていない。なんのために練習してるんやと思う時もある。

ただ、練習したら結果が出ると思うのは勘違いで、皆が皆トレーニングしているから結果と必ずしも結びつかないのは理解しておかねばならない。やったらやったぶんだけリザルトに反映されればよいが、そんなことはない。

人生何がおきるかわからないから、明日突然走れなくなったとしても、悔いが無いように走らねばと思う。

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