自転車は暇人のものなのか。

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ここ何年も、やれて当たり前かのように自転車のトレーニングを毎日欠かさずやってた。日々継続することの大切さや、辛いことを乗り越えること、目標を立てひとつひとつ突き進む事、これらをさも大層なことをやっているかのように書いてきた。ただ、ふと立ち止まって考えてみると、それはすこし違うんじゃないかと思いつつある。

時間がないと思う原因として常々思っていたことは、「時間を作ろうとしていない」や「無駄なことに時間を費やしている」はたまた「仕事が忙しいという言い訳」ということだった。ただ、家族や仕事のように自転車よりも優先すべきことのほうがたくさんある。それらに優先順をつけ、時間を配分していったとき、優先度が最も低くなるのは自転車だ。

そう理解していても、朝の90分は朝練の為に時間を「捻出」することができている。ただ、ここで気づくべき大切なことがある。この「捻出」とは、「自分のやりくりがうまい」というわけではない。ということをもう少し早く気づくべきだった。なにより、家族、妻や、妻の両親がサポートしてくれているということが大きい。それらの助けがあってこそ、

本当は乗らなくてもいい自転車をさせていただいいているということにつながっている。

いま、自分がやりたいことを少なからずできているということは、自分自身が優秀でタイムマネジメントができているからだと勘違いしてはいないか。少なくともここ数年、いやそれよりもずっと前からそうだった。能力が低いがゆえに、誰かの時間や誰かの助けを借りて(無償の外注をして)、その結果、本来別のことに費やす時間を自転車に消費している。

子育てとサラリーマン業を営む者にとって、自転車なんてものはある局面においては人生に全くもって必要ではない。むしろ、時間を無駄に浪費し単なる暇を埋めるための暇人の遊びだと言われてもしかたがないくらいだ。

ということを思いながら、妻や妻の両親、娘に感謝に改めて感謝せねばならない。傍から見れば無駄なことに時間を費やしているだけの自分勝手な時間を、いかに普段の生活に影響を及ぼさないようにするのかよく考えて練習していく必要がある。

それが無駄だとわかっていても、好きだからやるし、この「無駄な暇人の趣味」の自転車が生きがいという理由もある。そんなことを思いながら、罪滅ぼしではないが、電車オタクの娘氏と電車を見に大阪駅へむかう。

眼下には、せわしなく様々な人がそれぞれの人生を送っている。このお気に入りのスポットは、大阪駅だけだけどめっちゃ人少ない。いわゆる穴場スポットだ。仕事をサボっているサラリーマンや、せっかく外に出てきているのに携帯のスクリーンを見つめるだけの寂しい人も多い。

そんな人の観察をするよりも、娘を見ていることが楽しい。どうやら、USJのマリオワールドのグラフィックが描かれた電車を見て喜んでいる。

話は変わるが、娘の一番好きな乗り物は「ゴミ収集車」だ。次に「カーキャリア」で次にお気に入りなのが工事現場にいる「ショベルカー」、次に「トヨタハイエース」は通称「まきちゃんのくるま」だ。黒のハイエースはノイちゃん家の車だと思っている。何かお仕事をしている車が好きなようだ。

この趣味というか、なんと言うか、一見無駄なことも、本人にとっては楽しいこととして扱われることがある。興味があり、普段のストレスや嫌なことを発散する役目やメリットもある。暇人の遊びや、暇人の時間つぶしのようなことであっても、精神安定剤のように働いてくれる場合もある。

「暇人の遊び」であったとしても、何かしらの意味を持っている。

意味を持っていることに対し、どれだけの時間を費やせるかについても注意を払う必要がある。無限に時間を費やせば、いずれどこかで飽和してく。だからこそバランスが大事で、やり過ぎも良くない。その妥協点と最適解を出す作業は、日々の生活や周囲のバランスから決めていくのだろう。

いま自分がこうやって練習できてレースに出られるということは、自分自身の力だけではないのだとつくづく思わされた。

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