何もやる気が起こらない。

この記事は約4分で読めます。

土曜日、日曜日も空いた時間で低酸素を。酸素濃度15.8(2200mぐらい)%、Spo2 88%、暑熱41℃、酸素が薄く、暑く、運動できる限界、、というかトレーニングやりすぎて死んだ奴はおらんけど、これはほんまに死を感じる。というのも、インターバルでもがきまくったら45リットルのエアチャンバー使いきってしまい、息ができなくなった。

ここまでやっても、リザルトとは関係ないんだけども。

土曜日は井上さんと杉尾方面に行くも、全く走れず。日曜日は単独練。とはいえ、一日の家族スケジュールがうまく噛み合わず低酸素をする。前から悩んでいたことは、今やっていることは楽しくないし、ただこのままぼんやりとした不安を抱えながら何かを続けていても余計に精神的な負担になるだけだと思った。

何もやる気がなくなってしまった。一度思い切って休んだら良いとも考えたりした。五月から七月にかけてリズムが狂う。トレーニングもメニューをこなせない。練習もついていけない。一体、なんのために生きているのか。子供が生まれたり、引っ越ししたり、仕事が36協定引っかかる寸前だったり、帰宅は深夜、子どもと会えるのは朝出社前の10分。

土日は子供と居る時間を大事にしようと思いつつ、自転車にのる無意識のルーティン自体に嫌悪感を感じる。平日は仕事、休みは自転車、これで自分の人生本当にいいんだろうか。自転車は確かに素晴らしい側面もあるが、バランスだと思う。やりようによっては、人生を狂わすほどの力がある。ただ、それをコントロールできるかは自分次第、というよりも自分のわがままを理解してくれる家族の存在も必要だ。

我が家は、他の家と比べても相当な理解がある。ただ、私がクズすぎて迷惑をかけてばかり。人として、人間として、自分を俯瞰してみると、やっぱりクズすぎる。ただ、生きていく他のATMの役割はなんとかなってるものの、世の中金じゃない。

いま、自分は競技を主体にするチームに所属しているけど、選手としてレースに出られない。そして、レースを満足に走るだけの最低限の力も無い。目標としているレースにまったく合わせられず、DNSが続く。今年の広島はたまたま運が良かっただけだ。過去のことを思い返しても意味がない。そこから、練習は日々継続して、更に上の負荷、更にきつい環境におけば置くほど、さらに理想とはまたかけ離れていく。ただ金だけ払って登録だけして、結果を残せない。一番嫌な、やるだけ選手になってしまっている。

チームというコミュニティに所属したい、仲間でいたいというメリットやその気持ちもある。土日仲間と走れるし、それだけでも価値があるものだ。ただ、本質的な部分を考えると、そこが目的になってしまったら、成長はない。競馬の馬が走れなくなったら安楽死になってしまう場合がある。自分の中に厳しい基準を置かないと、ただやるだけになってしまう気がする。

そんなことを考えていたら何もやる気が起きなくなってしまった。

それでもそのあとは、娘氏と一緒に遊んだり、よく笑う息子氏をあやしたり、妻とみんなで遊びに行ったり。これが今は一番楽しく、幸せだ。これだけがあれば、今は自転車いらないな、と思う。子供は楽しいからやる、自分も自転車が楽しくてずっとやってきたけど、途中から仕事みたいにつまらないものになっていたのかもしれない。

だからこそ、楽しんでやってる人には勝てないというのは、辛いと感じていないからなんだろう。はて、自転車で楽しいことが本当に自分にあったのだろうかと思い返しても、あまり出てこなくなった。記憶は、嫌な思い出を消すというが、良き思い出も消えたのか。この先、どうなるかわからないが、今日も朝4:50に起きて、低酸素、暑熱と「やめるという決断を下せない」だけの名ばかり継続をしていた。

もう何年も朝練をしていると、体に組み込まれてしまい、きつかろうがなんだろうが体が勝手に練習へと向かわせる。低酸素環境下での自分自身への体の変化の方に興味があるのだけど、やはり研究とか実験とか考察だとか、そういうほうが自分には向いているんだろうか。答えは出ないし、やる気も起きない。はて、どうしたものか。

タイトルとURLをコピーしました