調子というものは相対評価なのかもしれない。谷があるなら山がある。谷よりも高い山を経験すると、調子が良いと錯覚する。逆に高すぎる山を経験すると、少しでも何かあると調子が悪いと錯覚する。おそらく、自身の中ではそれほど大きな違いではないはずだが、何かと比較して良し悪しを決めている。
仕事にも置き換えてみよう。幾多の修羅場をくぐってきた営業さんや、トラブルを乗り越えてきた技術者は強い。経験してきた谷が深ければ深いほど、並のトラブルに右往左往しなくなる。ただ、経験の浅い人たちは同じトラブルだとしても恐れおののく。経験した谷が浅いからだ。
結局は本人の中にあるモノサシと、相対評価で物事は動いているのかもしれない。と、ここまでは自転車の話だが今人生的にはおそらく谷だ。なにやら湧いてきた諸説問題が散見される。ただ、「引越しの手続きが進まない」や「片付けられない」という細々としたものから、それらに付随する問題だ。
何か物事を決めようとする時、自分の考えよりも人の話をよく聞こうと心がけている。しかし、私も人間だし相手も人間だ。多くの人間が人の話を聞き、その結果を加味し発言するならことは丸く収まるが、人間も動物なので理性が効かない時がある。厄介なのが、一方的にまくしたてる場合だ。
一方的にまくしたて、自分の思うことばかり言っても相手には何ら伝わらない。そればかりか、お互いの関係を悪化させる。臨むべき到達点は相手と理解しあって物事を進めることであり、怒ることで相手を変えようとするのは逆効果(なのだが大抵こうなる)だ。
昨今書籍がベストセラーになった事でご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、アドラー心理学で「怒り」についてこう触れられている。「怒りとは出し入れ可能なもの」と。例えば、誰かと電話で喧嘩している時にお客様が来たとする。少しのイライラを持ちながらも、さっきまでヒートアップしていた怒りを引っ込め、お客様への対応はするはずだ。
これらは「怒りを捏造する」事と捉えられている。怒りは目的のために作り出される。この辺の話は、ぜひベストセラーとなった「嫌われる勇気」を読んでほしい。わかりやすくアドラー心理学をストーリー仕立てで綴っている。子育て、会社での人間関係、また、どうしても周りからよく思われていない理由が見えてくるかもしれない。最後は本書からこんな一文を覚えて仕事に行くこにしてみる。
もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。
相手が自分の思う通りに動いてくれなくても、怒ってはいけません。
人間関係は磁石のようなもので、NとS極が50%づつ居れば良いが、大抵極端に同じ極(私の期待を満たしてくれ!という人)が多かったりして反発し合う。それでは永遠に反発しあってしてしまうし、うまく行くはずもない。そこで、数え切れないS極が蔓延する群れの中に、自信がN極として存在できたらどうだろう。
そうそう簡単にはいかないが、優れたリーダーや指導者が、世界に溢れてまくっていないのもこれらの理由が根底にあるのかもしれない。自分自身を大多数の方に分類するか、それとも考え方を改め少数の方に分類させるか、最後は自分自身の行い次第である。他人は何もしてくれないと割り切り、むしろ自分が他人に何かしてあげれられるのならば、これ以上望むことはないだろう(それでも望む人間は淘汰されて行く)。
さて、今日は頭の血が下がっていることだろうから、もう一度電話してくっつき合う磁石のような関係で話すことを心がけて見たい。いくら問題が山積みになった谷でも、時間が経って後ろを振り返ってみるとこう思うはずだ。「本当に些細な事だった」と。それらは経験値が上がり、少し成長できた証かもしれない。