朝起きる。これは習慣だろうか、それとも継続だろうか。では朝”早く”起きる。こちらはどうだろうか。朝練習帰りの帰路の中、ふと今の状態が何たるかを考えていた。厳密に言えば継続は現在完了で、習慣は現在形である。ただ、それでは分かりにくい。
例えばこんな例はどうだろう。
「私は毎朝トレーニングをしています。」という表現なら現在形に従い習慣。対して、
「私は一年間毎朝トレーニングをしています。」という表現なら現在完了形なので継続である。
ただしそれは「ことば」という言語レベルのでの話だ。では、実際の行動や思考レベルだとどうだろう。例として朝練の場合を考える。深夜残業から寝に入り、朝を迎える。目覚ましをかけなくてもふと5:30に起きる。立派な「習慣」である。そこから、「継続」「習慣」を判断する二つの思考に分かれる
「継続」の思考は、朝練をやるか、やらないか判断の条件分岐のフェーズが入る。「行くのやだな」「まだ寝ていたい」と。この時点ではまだまだ、継続レベルである。ただ、習慣だとこの条件分岐が省かれる。朝起きて、「あ、会社行かなきゃ」という習慣のように「行く」「行かない」の条件分岐は存在しない。
したがって世の中のまっとうな社会人は「習慣」を経験している。ただ、「会社行くのやだなぁ」という新社会人はまだまだ、継続レベルであろう。
とすると、われわれが目指すべき状態とは「継続」を積み重ね「習慣化」することだ。ここで「化」と記したが少しばかり意味がある。まるでサナギが美しい蝶に「化」けるように、状態が遷移し全く異なる状態になる。だとすれば、「継続」と「習慣」とは意味は独立しているものの一つの状態遷移の中に存在する。
決して異なるものではなく、「継続」の先には「習慣」があるのだ。そう考えれば、日々継続し続けることは習慣へと昇華する過程となる。ただし、継続のゴールは習慣かもしれないが、習慣のゴールは無い。当たり前に、無心でやり続けるか。人の一番弱く、なかなかなし得難いこの行動する力は、日々の積み重ねによって作られる。
明日も「継続」できるだろうか。今日僅かながら達成した継続を是非大事にして頂きたい。それらは、いつしか「習慣」に必ず必要な一つの部品になるのだから。
講談社
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