人に判断され続けているから、なにか起こった時に人のせいにしてしまう。「〜さん言ったじゃないですか」というふうによく口走ってしまう。しかし、実際に行動したのは自分自身であって、判断を委ねたのも自分である。何でも人のせいにしてしまう人がいる。
自分は悪くない、悪いのは全部人、言ったからやったのにうまく行かなかった。なんとも、生産性のない話だ。こんな事をいう輩が世の中にはたくさんいるからまいってしまう。電子レンジの説明書に「猫を乾かさないでください」なんて書かなきゃならないのだから、世の中のエンジニアたちは大変だ。
そういや、ニットー五千番はその便利さからか多くの人たちに使ってもらえているようだ。実際に日東の社員さんがレースに出ているらしく、ご本人もそんな使い方ができるのかと購入された様子。開発者が予想してなかった使い方で多くの人が幸せになれるのは良い。
さて、このニットー五千番であるが少し問題も発生している。レース後に「ゼッケン側にテープが必ず残る」という利点は、欠点にもなっているようだ。どうやらゼッケン側のテープが剥がせなくなるらしい。実は何件か報告を受けているが、私はそんなことはなかった。
レース後すぐはがそう
よくよく聞いてみると、レース後ジャージを着たまま車に乗ったらしく体温とシートのサーモスタット機能でテープが溶けてしまった模様。こうなっては剥がせない。実はこの症状に陥ったのは二人いて、一人は知らない人、一人は監督だ。前者は「こんなもん二度と使うか!」という感じだったが、監督は「次回からはレース後にすぐ剥がす」と言っただけだった。
彼らの心理を考えてみると、問題が起こった時に向けられている責任のベクトルに違いがある。前者は他人に向けられ、監督は自分自身に向けられている。双方とも同じ過ちを犯したのに、その後の考え方はまるで対局だ。多くの人のサンプルを見ていると、他人のせいにしがちな人は、人に判断を委ねる。しかし、自分自身の中で消化し、責任を取る人って来た人たちは、自分自身で判断と決断を繰り返しているように見える。
判断と責任の重みは常に自分自身の中にある。その重みを抱えるのが嫌だったり、抱えきれず、判断を人に委ねたとしても、最後に判断するのは自分自身であって、他人ではないのだ。一見判断をしてもらっているかのように見えて、最後の決断はいつも自分自身の中にある。
悪いことは人のせい、良いことは自分一人の手柄。少なくとも、そんな人間にならないように自分だけでも気をつけたいものだ。
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