「どの状態で満足とするか」で楽しみ方は変わってくる。日本一になりたいだとか、峠のタイムを縮めたいだとか、目的は様々だ。レースに出る人は少しでも順位を追い求めるし、人との競り合いが楽しい人もいる。ただ、最近わかったことがある。わたしはそこまで勝ちにこだわっていないのかもしれない。
見方を変えれば、いままで目立った成績がないから、それらを肯定するには「勝ちにこだわっていない」という後付の説明をしたいだけなのかもしれないが、何か勝ちとは別の所に自転車の面白さや楽しみを感じている。
それは、なんだろう。
悩ましいもの
自転車は科学である。科学はあるべき事象と、揺るがない定理の上に成り立つ。それらは突然変異のようにめったに変わらないし、法則を見抜けば理解が容易い。ただし、ある程度のベースとなる知識が必要で、さらに人に説明しようとすれば、色んな角度から切り口を提示できるような深い理解をしなくてはならない。
自転車とは、自分で発生させた力が駆動する仕組みへと伝わり、ホイールがまわり、私という人間を自分の力以上に前に進める。一見単純だが、空気抵抗や、物体の重さ、生み出すパワー、そして踏みやめることのない精神力と、この世の何よりも楽しませてくれる自転車が好きなのかもしれない。
ただ、その速くなった先に求めていることは私の場合は「勝利」ではない。求めているのは、耐えることのない探究心を満たしてくれる「疑問」や「不思議に思うこと」だ。それらを私はブログに綴るわけだが、そのまとめた内容を「勝ちたい人」が見て何かしらの結果が得られたらそっちのほうが、もしかしたら嬉しいと思う。
考えることをやめさせてくれない自転車は、私にとって勝負の道具ではなく、楽しいおもちゃみたいなものだ。
1番になるという、勝ちへの貪欲さがないと言われるが、まさにそのとおりだと思う。それでも私が毎日毎日キツくて苦しいトレーニングを一日も休まず続けられるのは、「おめでとうございますあなたのレベルは99です!」なんて自分の限界をいつまでたっても知ることができないからだと思う。
今よりももう少し前進できるんじゃないか、今よりもももっと早く走れるんじゃないか、機材は、、と。ホイールの円の上を歩けば永遠に終わりがないのと同じように、私は自転車を回して、終わりのない挑戦し続けて行こうと思う。