良いことは自分の中、悪いことは他人の中。

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今日も低酸素。以上終わり。以下本題。

物事を公平に、かつ認めたくない思考を観察していると身勝手な考え方をしている場合が多い。特に問題が起こった時だ。ありがちなのは、良いことは自分の手柄で自分のおかげ。悪いことやトラブルは人のせい、人が悪い、社会が悪い、政治が悪い、親が悪い、やってきた相手が悪い、人がヒトがひとがと。そんなことでは、何も変わらない。

権利を主張するのは良いが、主張するだけのことができているか。もしくは、何かしら自分の中で改善した結果、自分を変えようとした結果の先の提案なのか。どうも、最近様々なことを観察していると、「自分は動かないがあなたが調整して」というような受け身、他人がなんとかしてくれるという思考に触れることが多くなった。

このようなゴネ得、自分自身で何も変えはしないのに、やりもしないのに、建設的かつ前向きなことを進めないのに、他の第三者が自分の代わりに何かを行ってくれるはず、私の代わりに他人がやるべき、という考え方が見え隠れする。ただ、そのような人は自分から遠ざければよいし、関わらなければいい。

という、悶々とした、人として付き合っても良い方向に向かうはずもない人たちのことは忘れる。その濁った水をろ過するような、無償の愛というか、好意というか、ナイチンゲールというか、自転車チームのマネージャーななちゃんの取り組みは本当に見習うべきところがある。

やろうと思っていても、行動に移せる人間はひとにぎりだ。その労力を惜しまない、労力的だと思わない人間性が自分には欠けている、いわゆる一部の考え方が欠落した人間だと思っているので、ななちゃんの損得なく無償の愛のような取り組みには感謝しかないです。

言うは易く行うは難し。口で言うだけならどんなことでも簡単だが、実行となると口で言うほど簡単ではない。チームの周りを見ると、池ちゃんは口だけでなく、レースに出て結果を残す行動が伴っている。外野で、スマホのスクリーンを見ながら評論家気取りで偉そうに言うことなど、簡単すぎて誰にでもできる。年下、年上関係なく、そんなことをするのは愚かだ。それは、年をとっても気づかない人は気づかない。念の為、この話の発端はビジネスでのこと。

反面教師ではないが、自分はそうはならないでおこうと思う。何かしら思いを持って突き進む人は、何か自分の中に静かながら大きなエネルギー持っている。噴火しないマグマのような、そんなエネルギーだ。

人として、なにか欠落している人間だと自覚はしているが、それらを理解しつつも、それは自分自身の中にある認めるべきことであるし、自分のことだから変えられることでもある。言うだけで何もしない人は遠ざけ、仕事上のドライな関係でいい。自転車は趣味だからこそ、一生懸命になれるが、自転車でつながったプラスのエネルギーを放つ人とこれからもつながりを保っていきたい。

より少なく、より良く。

友達100人、誰とでも仲良く、八方美人、みたいなのはやはり性に合わない。

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