2013年の漢字は輪
まだ書くのかと、本当は期待しているあなたへ。
2013その年をイメージする漢字一字は「輪」であった。財団法人日本漢字能力検定協会が決める漢字一文字に込められる『意味』は非常に感慨深い。2013年も本日を持って、終りを迎える。自転車の輪、そして人の輪を持って、今年一年を振り返る。
救急搬送で始まった2013年
正月一発目は、救急搬送だ。多くの方にご迷惑をかけたことをここでお詫びいたします。いや、でも意識が飛ぶまでは楽しかった。2013年初詣ライドの前日、村上と飲んでアルコールが抜ける時間を計算して飲む。その脚で初詣ライドへ。
当時、村上が人生のビッグイベントセカンドステージを迎えていた。それを突破する為の妙案を二人で日夜話していたことが懐かしい。元旦から仕事始めまで日々走る日が続く。
チームとはなにか考える日々
大事なことだからあえて書く。「特に嫌な」ことを思い返し、反省する事こそ成長と人の糧になる。今年一番頭を使ったのは人の「輪」だ。対、人について考え、悩まされた。しかし今から思えばひとつの区切りである。
新しいことを始めるためには常に痛みが伴う。
人によってあの時の痛みは違った。それぞれが違う痛みを持っていた。日本一を目指さないチームなど魅力がない。異論はない、私も同意だ。そこで人の選択肢は2つある。1.新しく何かを生むか、2.古くなったものを作りなおすか。
今だからこそ、振り返ろうか。
どちらが正しいか
実際どちらが英断だったのか。1も2も人それぞれの想いや状況、人の「輪」を考えると正しい。私は当時、自分自身がどんな判断をするのか注意深く観察した。私が判断材料にする”であろう”材料は尊敬する先輩たちの「輪」だった。
つまるところ、私の場合それが判断を狂わす。自分の意思決定ではなく「人の意志に流される」と分析できる。自身の判断は「私自身が出した判断」ではなく「第三者の意思決定に便乗する」のだ。
自分を分析して後で後悔しないよう、私は早い段階で自身の身の振り方を宣言した。
今回の件にかぎらず経験として得たことがある。物事は判断した内容(先ほどの1か2か)ではなく、判断を選択したのが、他人であったか自分であったかにつきる。
選択する自由を誰かに明け渡した時点で、それは自分(私)の意志ではない。結果、ブレが生じる。
渦中の中にいる間は、やまぬ雨に思えた。しかし一旦そこ抜けると見たことのない晴れた世界が待っていた。
2012年はJ-ELITE TOUR総合優勝、2013年は
2013年は惨敗であった。2011年と、2012年と日本一になったチームの結果として最低のものである。原因はなにか。2011年と2012年と比べ私の感じたそのままのことを言う。チームとしてのまとまりはあの頃と比べ無い。
例えば、目標が中途半端なままの1隻の船がある。出向の時も目的地を持たぬまま航海を続ける。一度海に出てしまえば”どこか”へ進むが、乗船している人がそれぞれ考える目的地はバラバラだ。「新大陸に行きたい」と思う人もいるだろうし、「生まれた国に行きたい」という人もいる。
選択の自由
人それぞれ意志が違うのは、しかたないのか。いや私は乗船した事にこそ意味があると考える。あなたは別の船に乗ってもいいのだ。港には多くの船が停泊している。どの船もお願いしたら、乗せてもらえる。だれも文句は言わない。
何か船に魅力を感じ、自身の意識を持ち集うだけで良いのか。さらに旗を振る人、道に迷わせない人、そして『明確な目的地』を船出の前に船頭が明言する必要がある。
明言で難しいことは不要だ。単純に一言ですませ、あとは各個人がそれぞれの生活の中でうまいようにやる。船が目的地に辿り着くまでに、自己研鑚をする。あとは放っておけば良い。やるひとはやるし、やらない人はやらないから。
ただ、船は間違いなく目的地を”目指して”進むので相応の事が自身に求められる。だから身の引き締まる思いだ。このへんの話のさらに深い考察は
チームとはなにか
チームとは何か自転車を乗り始めた人と走りわかること
で書いている。
輪で表されるもの
今年一年を代表する言葉が輪である事は感慨深い。振り返ること全てに輪を感じる。輪を回すために払った犠牲も、輪を止めないための手段であった。そして新しい和を作るための方法でもあった。自転車で繋がった様々な人の輪は2014年も廻り続けるのであろう。
1年間ありがとうございました。
2013年おわり
photo credit: Ella’s Dad via photopin cc