凡人が才能のある人に勝つためにやるべき1%のこと

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「才能」という言葉は便利な言葉だ。努力を一瞬で無かったことにしたり、初めから能力が高いと片付ける為に使われたりする。この「才能」という言葉の裏には、人が物事を偏った見方をしている場合がある。人は結果だけを見て、それまでのプロセス(努力)を深く分析しようとしない。

ある局所的な勝利の「決定的な瞬間」を見れば「才能がある」という錯覚をしてしまう。私には残念ながら人に言えるの様な「才能」はない。いずれも人並み程度だ。ただある程度は強い選手に混じって走りたい、私はどうにかして速くなろうと練習を続けてきた。

しかし、私のような凡人が語る「速くなる為」の記事についての話は面白くない。だから具体的に表立って当ブログ内でその内容を伝えたことはない。しかし「15秒でチギれた私がタレずに着いて走れるようになるまで 」の単一記事がわりと反響があった。

よく考えてみると、世界は天才よりもどんぐりの背比べの中で戦う凡人達で溢れている。そして、思ったよりも「早くなりたい凡人」が沢山居るのかもしれない。そんな思いで文章で書き記そうと思う。

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凡人が速くなるための方法

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パワーメーターを買う?それは全てではない。「身近な強い選手と練習する」と「能力を定量化する」大きく分けてこの二つだ。パワーメータも競技力向上に大いに役立ったが、前者の方が伸び率が高く強くなる可能性が高い。しかし、『言うは易く行うは難し』である。これを私が書いたところで、実際に飛び込み営業のように走り出す少ない。

地味な作業の中に「早い人に着いていけなかったらどうしよう」という言い訳の思考が入る。では考え方を変えてはどうだろう。「ついていけない」から良いのだ。「ついていけない」という状態は達成感を生む起爆剤だ。「今日は15秒ついていけた」という結果「ついていけなかった」が1ヶ月後には「今日は30秒ついていけた」という成長に変わる。

峠でも同じことをしてみてもいい。きょうは10分30秒だった。明日は20秒に挑戦だと。これはパワートレーニングでも同様のことが行える。「5分300W」だったのが「5分310W」になる事も同様の意味として扱うことが出来る。

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初めのうちはその繰り返しだった。才能がない中でどうやって強くなるのか、一番成長が見えるのが強い選手を軸にした定量観察だった。あの人と走れるようになったら、自分もレースに出られるのではないか?と想像しながら。

私は実業団のレースで一度も入賞したことはない。そんな選手なので、才能は無いと自覚している。フィジカル、テクニック、メンタルと心技体全てのバランスが1勝に繋がる。ただ、「才能がない」という言葉をあきらめに使っているわけではない。むしろ才能がないなら、どうやったら速くなるのかを考える事がよほど得策ではないか。

あのトマ・ヴォクレールでさえも、勝つまでに7年かかっている。と言ったら、走る世界が違えど、勝利とはそう簡単に足元に転がり込んでは来ない。では、トマ・ヴォクレールの様な才能がない人が速くなるためには、何をどうしたら良いのだろうか。

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凡人の為の戦略を立てる

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才能のない凡人は何をすべきなのだろうか。永遠のテーマである。そう問うと決まって返ってくる言葉がある。それは「努力をする」だ。しかし努力と答えるのは間違いだと言える。具体的には為末大選手の話が参考になる。「才能の影響が少ない場で戦う」と「効率的な努力」の2点だ。

私のような凡人が間違ってはいけないのは、『凡人でも努力次第で才能のある人に勝てる』と思ってしまうことだ。非常に残酷な話だがそれは間違いだ。この『努力根性やれば出来る理論』は破綻している。『才能のある人が、凡人と同じ努力をした』としたら凡人はどうなってしまうのだろうか。

もはや、凡人には負けの二文字しか無い。

効率のよい努力をする

では凡人はどのような努力をして「才能の差」を埋めていかねばならないのだろうか。まず、凡人ができることは「努力のやり方」を間違えないことだ。どう努力をするかで才能の差を徐々に埋める事が出来る。つまり、「効率の良い努力」をするということだ。

才能のある人が効率のよい努力を行ったのならば・・・という話後ほどチームスカイの例を紹介する。話は戻り、1日60分しか練習時間を確保できないなら60分効率的な練習をする。どう効率よく練習するかに頭を使うわけだ。その「手段」としてパワーメーターがあるだけの話だ。

ここで「手段と方法」の話が出てきた。この2つの言葉の違いは、努力の話にも結びつく。「手段」とは具体的な行為や方策を指す。対して「方法」とは、手段という1つの要素を寄せあわせ「効果的・効率的」に動かすやり方と言える。

手段は多くの人が手に入れられるが、方法(効率的・効果的な)は生み出すか、教えてもらうかせずして得られない。だからコーチやトレーナーは、方法と技術をお金に変えることが出来る。BGフィット等のフィッティングも測定器(手段)を用いた「調整」という方法に技術料を支払っている。

才能の差が小さくなる場で戦う

2つ目。手段と方法の努力の話も重要だが、次に大事なのは「才能の影響を極力小さくする場」での勝負である。私はゴール前の爆発力が人より劣っている。ただ5分間であれば出力は5.9W/kg程は出るようになった。また、170km-200km程走ったラストの10分がどうやら強いらしい。

これは脚質かも知れないが、こんな力があっても、間違いなくゴールスプリントは他の選手に負ける確率が高い。

もし自分が勝機を望むならば、ゴールスプリントではないどこかに勝機を探すほうが得策だ。こう記載すると「勝負から逃げてる」と思われるかもしれない。しかし、スポーツの世界にかぎらず、様々な世の中の事象に共通していることがある。それは「才能を持つ者は、才能を持つ者の間で潰し合う」場合が多い。

登りであれば、登りが強い人達で潰し合う。平坦であれば引き合いが始まる。ゴール前であればスプリンターが揃う。ようは自分自身が秀でている世界で戦いたがる。ただ、勝つのは1人だ。凡人は、その隙に自分自身のが戦える場所で戦い、自身の立ち位置を確立するのも一つの策かもしれない

凡人は、凡人が勝てるジャンルで勝つ事もひとつの賢い選択である。それは人それぞれ違うはずだ。

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チームスカイ 才能と努力を積み重ねた集団

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ここまでは、私(凡人)がどのような方法で速くなれるのか、その一つの方法論を書いた。ホンの一例である。ここからは、仮に才能の上に努力をし、究極の手段と方法を施したらどうなるのか。結果はツール・ド・フランスで優勝するだろう。

適当に言っているのではない。チームスカイのゼネラルマネージャー兼監督に就任したデイブ・ブレイルスフォード氏の「人生を左右するのは「1%の積み重ね」」の話がある。

人生をハッキングするノウハウを紹介しているLifehackerの記事だ。IT系の方には馴染み深いかもしれない。そこに掲載されていたチームスカイの記事が興味深い。チームスカイといえば、2012年にウィギンスがイギリス人初のツール・ド・フランス優勝、2013年はフルームが優勝という戦歴を持つ。ツール・ド・フランスに限らず、監督のデイブ・ブレイルスフォード氏の手腕は凄まじい。

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氏は2012年に開催されたロンドンオリンピックにおいて自転車競技のイギリス代表チームのコーチも務めた。結果は「金メダルの7割がイギリス獲得」という成果を出した。その理由は何だったのか。いちサイクリストとしてどんな凄いことをしているのか非常に興味が湧いてくる。

その勝利の理由は「1%の積み重ね」ただそれだけだ、と言って流してしまうと後悔するだろう。このシンプルであり、見落としがちな1%の話はもっと深い意味と結果に結びつくのだ。

冒頭にこう記した。

ある局所的な「結果だけ」を見れば、才能があるという錯覚をしてしまう。

と。人は「決定的瞬間」ばかりに注目をする。そして抽出した「良い結果」のみにフォーカスする。局所的に見れば「成功」であり「華やか」である。だが、実際におろそかにしてはいけない点が小さな積み重ねである。

手洗いから始めたチームスカイ

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チームスカイと言えば最先端のトレーニング設備や、宇宙船のような選手控えバスを所有している最先端のチームだ。機材追求や風洞実験等にも余念はない。ただ、チームのスタートは何から始まったかというと「手洗い」からだという。手洗いという誰もが見過ごしがちな点でさえも「ありとあらゆる問題点」として改善していった。

事実、私の周りでも体調不良を理由に本来は強い選手のリザルトが伴わない事があった。もしかしたら「小さな手洗い」が彼らのリザルトを押し上げたかもしれない。他にも「快眠マクラ」や「効果が高いオイル」と小さな1%を積み重ねている。

これらの事から私(凡人)は何を学ぶべきか。

小さな事を積み重ねる重要性は、スポーツに限らず仕事や全てに共通している。大きな結果ばかりに目が行きがちだ。しかしそれら(小さなこと)は、偉大な業績結果の土台にひっそりと隠れている。だから我々はこの重要な点をしばしば忘れてしまう。

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1%の改善の積み重ねる意味

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1%というホンノの小さな事を積み重ねる。今このときはまったく意味の無いものかもしれない。ただ、「結果」を出す為には必ず必要なことだ。Lifehackerの記事内にもあるが、この小さな積み重ねは「スタート時点」ではなんら差は無い。ただ積み重ねていくごとに次第に差が成長していく。

「このチョコ1個ぐらい食べてもいいや」という選択は、今この時点ではなんら差は無いかもしれない。ただその積み重ねは次第に大きな差になる。「練習今日ぐらいやらなくてもいいや」も大きな差になるだろう。これは冬場のLSD等の地味なトレーニングにも言える。地味ながらも、辛抱強く地に根を這わせたのならば、きっと花は咲くはずだ。

「少し」「今日だけ」という1%を少しづつ改善していく事こそが、大きな事を成し遂げる近道に他ならない。

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まとめ:凡人が能力を埋めるために

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優勝や良い走りと言う華々しい結果が生まれると、我々はどうしてもその一片だけを見てしまう。あたかも何もせず偶然生まれた事象のように感じてしまう。しかしよく観察してみると、それは無数の努力と選択の積み重ねから成り立っている。

凡人は能力の範囲で、才能と努力をあわせ持つ人と戦わなくてはならない。そこで凡人に必要なのは、効率の良い努力をする「方法」を考えること、チームスカイのような小さな改善の繰り返すことだ。そして才能の影響がなるべく小さくなる条件を探す事で、差を埋められるかもしれない。いずれその取り組みが大きな差となり結果に結びつく。

これらは本当に時間はかかるし、地味な取り組みである。もしかしたら差は縮まらないかもしれない。しかし、少しづつ自分の前に「結果」を引き寄せる地味だが効果的な作業なのだ。その結果はまるで、1ピースが足りないと完成しない、パズルのような仕組みを持っている。

今この瞬間から、結果と言うパズルを完成させるべくすぐにでも1%を積み重ねるべきだ。それが私のような凡人でも能力差を埋め、ある程度の世界へ行けるようになる1%の重みなのだ。

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